【中央公論新社】
『背教者ユリアヌス』

辻邦生著 



 哲学とはどういうものなのか、という問いかけに対して私が思い出すのは、灰谷健次郎の書いた『わたしの出会った子どもたち』という本のなかで紹介されている、ある校長先生の言葉である。彼はその本のなかでソクラテスの説いた「ドクサ」について言及していて、邦訳ではよく「善」と訳されるそれは、じつは「人が本当に求めているもの、それを得てはじめて満足できるもの」であると述べている。ソクラテスが人間の無知について触れるときは、常にこの「ドクサ」を前提としたものであり、真の賢者とは、多くの知識を持つものではなく、ただ「ドクサ」を知る者のことを指している――たしか、そんな話だったように思う。

 私は古代ギリシアの哲学については通り一遍の知識しか持ち合わせていないが、少なくともソクラテスが説いた「人が本当に求めているもの」が、金や権力や快楽といった即物的なものを指しているわけではない、ということくらいは理解できる。人間とは何か、人生とは何か、生とは何か、死とは何か――哲学とは、こうした物事の根本原理を深く思索していくという、ある意味壮大な学問であるが、その根底には、人間の知恵はいつかきっと物事の真理に到達することができるのだ、という強い信念が息づいていると言える。学問とは、人間が生み出し、発見してきた知恵の結晶だ。そして私たち人間が、あくまで人間という限定された生から逃れられないものである以上、私たちはこの地上で、あくまで一個のちっぽけな人間として望みうる「本当に求めているもの」=「ドクサ」へと近づくために、不断の努力をつづけなければならない。人間がまぎれもない人間として生きていくための学問、それが哲学というものの本質なのだ。

 かつて、この地上に通算1400年という長きにわたって存続しつづけたローマ帝国は、その歴史自体がひとつの一大叙事詩であり、『ローマ帝国衰亡記』を著したエドワード・ギボンをはじめ、今もなお多くの人たちの心をとらえつづける国であることに、疑いの余地はないだろう。本書『背教者ユリアヌス』は、そんなローマの歴代皇帝のなかでも、たとえばカエサルをはじめとして暴君ネロ、いわゆる五賢帝、あるいは軍人皇帝時代を終わらせたディオクレティアヌス帝といった、世界史でも出てくる有名人ではなく、私も本書を手にとるまではその存在すら知らなかった、ユリアヌスという皇帝の生涯を描いたものである。

 じっさい、ローマ帝国史におけるユリアヌスの在位期間はたった3年程度のものであり、皇帝としておこなった治世の評価は、先にあげた皇帝たちほど目立ったものではない。だが、それでもなお著者がユリアヌスという、ひとりの人間に目を向けたとき、その人柄、その考え、その行動理念といったもののなかに、何か人の心を強くとらえるものがあったのは間違いない。「背教者」という肩書きは、当時帝国における国教として急速にその勢力をのばしてきたキリスト教を否定し、古代ギリシアの神々の信仰を復活させようとしたことからつけられたものであるが、読者は本書のなかにいるユリアヌスに、「背教者」と呼ばれたその裏にある、人間は目に見えない絶対者への信仰といったものに頼らずとも、自らの意思で正義を成すことができるし、人間の意思の力はこの地上に必ず秩序をもたらすことができるのだという、あまりにも高潔な夢を、そしてその夢をあくまで夢としてあきらめることなく、ただ純粋に追求しつづけていった魂の輝きがたしかに宿っているのをまのあたりにすることになる。

 当時、ローマの各都市で急速にその勢力をのばしつつあったキリスト教徒たちの熱狂的な信仰とその団結力の高さに目をつけ、ローマ帝国再建の道具としてキリスト教を国教とさだめ、自らもキリスト教徒に改宗したコンスタンティヌス大帝――ユリアヌスは、その大帝の甥にあたる皇族のひとりとして生を受けるが、その人生は終始、キリスト教との戦い、より正確に言えば、ローマ帝国の権威と結びつき、国教としての地位を頑なに守ろうとする教会勢力との戦いに彩られていたと言ってもいい。大帝の後継者のひとりとして帝国東方を分担統治することになったコンスタンティウスの深い猜疑心にたくみにつけこんで、ユリアヌスの父であるユリウスに連なる家系の者たちをことごとく殺戮するように仕向けたのは、当時の大司教の地位にある者であったし、その後も教会勢力の者たちは、自分たちの地位を磐石のものとするために、ことあるごとにユリアヌスを追いつめ、亡き者にしようとさまざまな画策を重ねることになる。

 幼年の頃から厳しい監視のつけられた、幽閉同然の生活を強いられてきたユリアヌスの、けっして平穏とは言えない人生の中で、何度も訪れる身の危険――教会勢力の悪辣な陰謀に対して、ユリアヌスはどう対応し、どうやってピンチを切り抜けていくか、という、いかにも物語的な展開も本書の読みどころのひとつであるが、何よりも注目すべきなのは、ユリアヌスがこうした人間のもっとも愚かで酷薄な一面をさんざん見せつけられるような人生を歩んできたにもかかわらず、けっして絶望することなく、なお人間が正義をなし、秩序を形成しうると信じつづけることができたという、そのひたむきさ、純粋な思いである。

 私は正義とはあらゆる強制を含まぬものと思っている。正義とは自由に他ならぬ。少なくともただ自由のなかだけに存在するのだ。――(中略)――私は人間を強制しようとは思わない。百年たっても人間は愚かであるかもしれない。五百年たっても人間は自発的に正義を実現しようとしないかもしれない。千年の後にもなお絶望が支配しているかもしれない。しかし人間が人間を自由な存在としたこと自体が、すでに正義の観念を実現したことなのだ。あと千年か、二千年か、あくまでこの観念をまもりぬくほかない。

 常に教会勢力からその命を狙われる立場にあったユリアヌスにとって、生きることは、そのままキリスト教の教義――深い思索や研鑚にかけることもないままに、自らの教義を絶対と信じて疑わず、それ以外の信仰や概念を徹底的に排除することに何の痛痒も感じない、自分の頭で考え、行動することを放棄したように見えるキリスト教そのものと戦うことと同義であった。だが、兄ガルスとは異なり、生来感受性の強い、謙虚で心やさしい一面をもち、何より読書を好み、夢想するような眼をしたユリアヌスが目指したのは、力に対して力で対抗するような、暴力的な戦いではなく、人間が人間であることから逃げることなく、あくまで自由と、それにともなう責任を自分ひとりで背負うべきだとする哲学の戦いである。

 人間は弱い生き物だ。それゆえに時に現実の悩みや苦しみに負けて大きな過ちを犯すこともあるし、自分の利益のために他人を陥れ、平気で嘘をついたりすることだってありうる。だが同時に、人間はその気になればいくらでも欲望に対抗し、自らの精神を高くたもつことができるし、他人のために自らを犠牲にすることだってありうる。人間が自由である、というのは、善悪の選択をすることの自由なのだ。ユリアヌスがキリスト教の教義についてどうしても納得できなかったのは、信者が自らこの自由を――人間が人間であるがゆえの自由を捨てるよう強制しているように見えたからに他ならない。キリスト教徒たちが自らの掲げる「正義」のために、同じ人間であるはずの異教徒たちの自由を奪い、虐殺していくという大いなる矛盾は、自分たちを外から眺める自由を捨てた人たちにはけっして見えない。その陥穽におちいることを、ユリアヌスは拒んだのだ。彼の生き様は、まさに人間肯定、人間讃歌の物語だと言うことができよう。

 正義や秩序といった言葉が、その本来の崇高さを失い、ただの胡散臭い響きだけを残すようになって久しい。そんな時代において、大真面目に正義や秩序について語り、それを実践していこうとする者がいたとすれば、そいつはただの大馬鹿だと見なされるに違いない。人間は変わっていく。夢の実現を、無理だとあきらめていく。厳しい現実に迎合してしまう。何かに身をゆだね、考えることを放棄してしまう。楽なほうへと流されていく。そんなふうに考えたときに、副帝となっても、皇帝となってもけっして変わらない理想を思い、その実現のために夢想をつづけていったユリアヌスの姿は、本当にただの大馬鹿なのだろうか。もしかしたら、彼こそがもっとも人間らしい人間としての生をまっとうした、とは言えないだろうか。

 大切なのは、種を腐らせぬことだ。種が播かれることだ。種を世代から世代へ伝えてゆくことだ。たとえ種がただちに麦をみのらさずとも、夢想のなかで種が生きつづけるかぎり、人間は、人間に失望してはならないのだ。

 歴史を紐解けばわかることだが、ユリアヌスはペルシア遠征の途中で夢なかばにして倒れている。彼が夢想した、この世に人間の手で正義と秩序を実現させるという壮大な夢は、ついに実現されることなく終わった。だが、本書が完成したというその事実によって、彼の夢想はまさに世代を超えて多くの読者に伝えられたと言うことができよう。私たちは本書から、人間が真に到達すべき理想の姿をきっと学ぶことができるはずなのだ。(2003.06.27)

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