【幻冬舎】
『雪を待つ八月』

狗飼恭子著 



 すべての物事には、必ず始まりと終わりとがある。何かを新しく始める、ということは、同時にいつかはやってくるに違いない終わりを迎えなければならない、ということでもある。そして、その「終わり」がいつ、どのような形でやってくるのかは、その時が来てみなければ誰にもわからない。ただひとつだけ言えることがあるとすれば、それは、私たちの生きるこの世界は常に変化をつづけており、その変化は個々の人間の気持ちなど一顧だにしない、ということだけであろう。

 突然の恋の終わりは、本当に痛い。もう立ち上がれないほどの傷を一度に受けるよりは、いばらの冠を百年間かぶり続けるほうがましだ。

 人間の気持ちというのは移ろいやすく、儚いものだ。その移ろいやすさは、けっして何が悪い、というわけでもなく、人間であれば誰でもが持っている性質と言うべきものであるが、その結果としてひとつの恋が終わってしまうとすれば、それはやはり悲しく、やるせないものだろう。はじまったときは夢にも思わなかった、恋の終わり――もし、あなたが本書『雪を待つ八月』の優美の立場だったとしたら、どんなふうに恋が終わっていくことを望むだろうか。

 東京のある会社の総務としてはたらく優実は、雪道という名の年下の男性と同棲している。ふたりは恋人同士だ。だが、本書の物語がはじまった時点で、その関係は終わりを迎えようとしていた。優美の知らない別の女性が好きになったと告げる雪道――しかし、こうして彼の移り変わっていく心を彼自身の口から聞くことは、ふたりが愛し合いはじめた頃に交わした、最初の約束だったのだ……。

「もしもいつか私以外の誰かを好きになったなら、そのときは、一番最初に私に言ってね」

 あたりまえのことだが、誰かに恋をしているときに、他ならぬその恋が終わることを前提に何かを考えることはない。たしかに、すべての物事に始まりと終わりがあるのは世の習いであるが、はじめから終わることを念頭に置いたうえでの恋愛というのは、どこか不健全な感じがする。なぜなら、そこには恋愛が終わることによって自分が傷つくことを極端に恐れている、悪く言えば自己中心的な思いが垣間見えるからだ。

 かつて、優美は昔の恋人から、突然別れ話を切り出されたことがあった。自分は変わらずその人を愛しており、彼もまた自分を変わらず愛してくれていると信じて疑っていなかった優美にとって、彼の別れ話はまさに青天の霹靂だった。ふたりの恋だったはずなのに、いっぽうの気持ちとはまったく関係ないところで静かに終わってしまう恋――その経験は、誰かを愛するという行為に対して優美を必要以上に臆病にしてしまっていた。

 今まで優美のマンション以外に住む場所もなかった雪道が、アルバイト先から給料をもらい、出ていくまでの1ヶ月――本書に書かれているのは、そうしたなんとも中途半端な期間の物語だ。すでに恋人どうしでなくなっているにもかかわらず、同棲をつづけるふたりの時間は、優美にひとつの恋愛の終わりをゆっくりと理解させるための時間となるはずだった。だが、現実の優美は、自分が失恋したという事実を悲しみ、真夏に雪が降るような奇跡が起こってくれないか、と願うばかり。

 自分はこんなにも不幸で、可哀想なんだと、おそらく自分でも知らないうちに思いこみ、ことあるごとに悲しんでばかりいる優美の姿は、まるでなんとかして悲しくなるような材料を探しつづける、悲劇の主人公を気取りたい人間のようで、ことさら醜く見えてくる。そのくせ、表面上はけっしてそのようなそぶりを見せようとはしない。つらくてつらくて、身も引き裂かれそうなほどに傷ついている自分の心に嘘をついてまで、理解ある大人の女性を演じようとあがいている、ある意味愚かな優美の醜さを、しかし私たちはけっして責めることはできない。誰だって傷つくのは恐いのだし、格好悪いと思われたくない、という最低限のプライドは誰しもが持っているのだから。

 人はあまりに悲しい出来事に遭遇したとき、崩壊してしまいそうな自分の心を守るために、その悲しい出来事を忘れようとする。まるで、はじめから何も存在しなかったかのように。そうした心の動きは、たとえば加納朋子の『いちばん初めにあった海』でも見られたものであるが、そういう意味では本書と『いちばん初めにあった海』は、よく似ていると言える。ただ本書の場合、どれだけ忘れようと願っても、いや、忘れようと意識すればするほど、他でもないその「忘れよう」という意識のために、ますます忘れられなくなる、という矛盾に優美は陥ってしまっている。

 忘れてしまいたい、でもどうしても忘れられない。それほどの強い思いを抱くことができるというのは、逆に言えば、それだけその人にとっては大切な記憶だということでもある。それは、それほど悲しむべきことなのだろうか。むしろ、まぎれもない人間だからこそ抱くことのできるその思いを忘れてしまうことのほうが、よほど悲しむべきことなのではないだろうか。

 きっときちんと失恋できたときに、私もそう思えるのだろう。一度でも本気で好きになった人は、みんなみんな幸せになって欲しいって、きっと。

 すべての物事には、必ず始まりと終わりとがある。始まった物事は、いつかは終わる。だが、終わってしまうことを恐れていては、人は何も始めることができないし、それでは一歩も前に進めなくなってしまう。それは、人はいつか死ぬのだから、生きているあいだにやることはすべて無意味だ、と思いこんでしまうのと同じくらい愚かなことだ。八月に雪が降ることはない。だが、優美は本書のラストで、たしかに雪を降らせる方法を知った。前へ進むことを恐れているすべての人に、ぜひ本書を読んでもらいたいと思う(2003.07.20)

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