【白帝社】
『余秋雨精粋』
――中国文化を歩く

余秋雨著/新谷秀明他訳 



 二葉亭四迷と言えば、日本の近代文学を語るうえでけっして欠かすことのできない文学者のひとりとして、教科書にもその名が載っているほどの有名人だ。彼の代表作である『浮雲』は、今も岩波文庫で読むことができるので、機会があればぜひ目を通してもらいたいところであるが、たんに言文一致体で書かれた最初の小説、近代文学の基礎となった作品、という位置づけだけでなく、ひとつの物語としての完成度も高く、今読んでも充分面白いテーマを内包した作品だと言うことができる。

 そんな二葉亭四迷の晩年は、特派員としてロシアに赴くものの、肺炎と肺結核を併発、帰国を余儀なくされたが、ついに日本の地を踏むことなく船上でその生涯を閉じた、ということになっている。そのさい、荼毘に付されたシンガポールの郊外に、他ならぬ彼の墓と記念碑がある、という話を、私は意外な人物の意外な著書によって知ることになる。それが今回紹介する『余秋雨精粋――中国文化を歩く』である。

 本書は、中国で今も散文作家として活躍している余秋雨が書いた『文化苦旅』のなかから、とくに選び抜いた19篇を収めたもので、日本では本書が初の翻訳本ということになる。著者の余秋雨について少しだけ触れておくと、以前は上海戯劇学院で演劇理論を研究していた学者であり、一時期は同学院の院長の職にまでのぼりつめたものの、中国をはじめとして世界各地に残されている人類の文明の跡を自分の足でまわってみる、という壮大な計画のために辞職、散文作家への転身をはかったという経歴の持ち主である。著者がひとつひとつの文化の現場とその名残を求めていかに広く旅をしてきたか、ということについては、冒頭のエピソードをひとつ挙げておけば充分だろう。日本人にさえあまり知られていないであろう二葉亭四迷の墓がシンガポールにあること――しかも、無数の日本人娼婦や日本軍人の墓に混じって存在していることを、著者はたしかに知っていたのである。

 著者が旅した場所は数多く、書き上げた文章は多岐にわたるが、もしその特長をひとつ挙げるとするなら、それは、ともすると中国人でさえ忘れつつあるような、さまざまな時代の中国文化の痕跡に触れ、まるで物語を語るかのような叙情的表現で、当時の情景を生き生きとよみがえらせることに尽きるだろう。ときに時代の流れに置き去りにされ、ときに心無い者たちによって散逸していく、過去の貴重な芸術や遺跡、資料、文献に対する著者の並々ならぬ情熱は、たとえば「道士の塔」における、ひとりの愚かな道士によって計り知れないほどの敦煌文物が中国から持ち出されてしまったことへの深い嘆きや、「風雨天一閣」における、収集された膨大な歴史的蔵書を何世代にもわたって管理保存してきた范氏一族に対する崇敬の念といった形で、その邦訳文からも充分読み取ることができる。

 中国文化には後人が先人を受け継ぐという強固な踏襲関係が存在する。だがそれぞれの個人の意識が希薄なことにより、個性が進んだ文化の継承は多くの場合生命の終結とともに終結していく。

 文化というのは、けっして個人の力だけでは成立しない。そこには必ず人から人へと受け継がれていくという過程が必要であり、そうしたことの長き積み重ねがあってはじめて文化が形成されていくのである。上記の引用は本書に収録された「蔵書の憂鬱」からのものであるが、多分に個人的な色彩の濃い蔵書という行為が、けっして個人からさらに高みへと昇ることのないという事実に、著者はなかば愕然とした思いで文章をつづっている。本を集め、保管しておくという作業については、著者自身もまた蔵書家であるがゆえに、深く思うところがあったであろうことは想像できるのだ。

 文明発祥の地のひとつであるといわれる、中国という広大な大陸では、じつにさまざまな国が興っては滅んでいった。栄枯盛衰は歴史の必然であるとはいえ、そうした歴史が生み出した、その時代の人々がたしかに生きていたという証拠としての文化が、あたかも個人の蔵書のように、ひとつの時代の終わりとともに失われていくべきではない、という強い信念――本書のなかで紹介されている紀行文のなかには、私たち日本人にとってはあまり馴染みのない場所が多いのだが、たとえば古代の水利施設である都江堰は、その存在によって四川省に自然の恵みがもたらされ、後の歴史に名を残すことになる三国志の劉備や諸葛亮を生み出し、あるいは唐時代の詩人李白や杜甫といった人物が美しい詩文を残したという意味では重要な場所のひとつである。そこには、個人の生の営みが、時を超えて中国文化へと高められた証拠がたしかにある。そして、そうした著者の信念は、けっして中国文化にのみあたはまるものではない。いや、むしろ戦後からはじまった急激な西欧文化の蹂躙によって、それまで脈々と受け継がれてきた日本文化を否定し、その結果自分たちの進むべき道を見失ってしまったように見える私たち日本人こそが、著者の信念にもっとも呼応すべきなのではないか、とさえ思えてくるのだ。

 世界に点在する文明の故地を訪れ、かつてそこではぐくまれてきたであろう文化について、夢みるように語る著者の文章が、はたしてたんなるエッセイ的なもので終わってしまうのか、それとも中国文化のひとつとして歴史に名を残すほどのものになるのか、それは時の流れに判断をゆだねるほかにない。ただひとつだけ言えるのは、著者の行動が、その孤独な思索が、そしてそこから生まれてきた数々の文章が、今にも絶ち切られてしまいそうな文化を受け継ぐ鎖のひとつとして、ふたたび機能していくことを切望している、ということである。(2003.07.11)

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