【筑摩書房】
『君は永遠にそいつらより若い』

津村記久子著 
第21回太宰治賞受賞作 



 新聞記事やテレビのニュースなどに目を通すと、この世界では毎日のように痛ましい事件や事故が起きていることを知ることができる。多くの死者を出した自然災害や海外の紛争、無関係の市民を巻き込むテロ行為、あるいは子どもたちの自殺や虐待といった事件の数々は、それを知った私たちの感情を揺さぶるに充分な悲惨さに彩られている。こうした事件の犠牲者となるのは大抵、何の力もないか弱き者たちであり、まさにそれだけの理由をもって、彼らが事件の被害者として選ばれてしまったという理不尽さに、私たちは彼らに対して心底同情するし、事件の加害者に対しては義憤に駆られずにはいられない。

 だが同時に、そうした事件の直接の関係者ではない大多数の人たちは、事件の痛ましさに心を痛めつつも、それ以上の行動を起こすようなことはない。それはけっきょくのところ他人事であり、それでなくとも私たちは毎日の生活に追いたてられている。想像力とは変な妄想を膨らませることではなく、他人のことを自分のことのように受け止める力のことだという言葉は至言ではあるが、他人のあらゆる感情をいちいち受け止めることなど、どだい無理な話だ。

 私たちはあくまで主観の生き物であるし、また自らの主観に縛られて生きている。他人の痛みはしょせん他人の痛みであって、自分自身が痛いわけではない、という認識は、ある意味でまっとうな心の動きだとも言える。本書『君は永遠にそいつらより若い』の語り手である堀貝佐世は、そうした「割り切り」がうまくできない人物として登場する。

 それは、捜し物が見つからない焦燥というよりは、けして巻き戻すことのできない時の流れのすげなさへの怒りだった。そこにいられなかったからこそ、わたしは今ここで這い回って地面を掘り返しているのだ。

 京都の大学に通う堀貝は今年で四年目であるが、それまでの三年間で児童福祉司の資格を取り、また地元の地方公務員試験にも合格しており、言ってみれば何の問題もない大学生活を送っていた。本書の中心となっているのは、彼女が「イノギさん」と呼ぶ猪乃木楠子との関係であるが、このふたりの人間関係について論じるには、堀貝の進路――児童福祉司としての道を歩む決意をした、その志望動機について語る必要がある。

 彼女が進路を決定したのは、彼女が十八のときに見た未解決事件の特集番組の影響だった。より具体的には、そのテレビ番組で見かけた、行方不明の男の子を探し出すという衝動が、児童福祉司になるという彼女の意思を支えている。それは堀貝にとっては強烈な体験をともなうものであり、志望動機としては充分すぎるほど正当なものとなっていたが、同時に世間一般の常識と照らし合わせたときに、多くの矛盾をはらんだものであることも自覚していた。つまり、個人的には強烈な志望動機でありながら、それは他人に伝えるための言葉をもたないものであり、逆に下手に言葉にしてしまうと、このうえなく軽薄でふざけたもののようにとらえられてしまうものでもあった。そして、ここに堀貝佐世という女性の個性が集約されている。

 彼女とその行方不明の少年とのあいだに、つながるものは何もない。言ってみれば、まったくの赤の他人にすぎないのだが、それでもなおその少年のことを考えずにはいられない堀貝は、他人の不幸や悲劇を他人事として受け流す「割り切り」ができない、このうえなく不器用な人間である。そもそも児童福祉司になることが、行方不明の少年を探し出すこととつながるわけでないことは、ちょっと論理的に考えれば誰にでもわかることであるし、当の本人にもわかっている。だが彼女にとって、児童福祉司になることがその少年とつながる道であるという思いは、理屈を超えた強さでもって彼女を突き動かしている。

 そうした堀貝の強い信念は、しかし彼女のふだんの生活のなかではほとんど表に出てくることはない。むしろ、驚くほど問題のない、悪く言えば無個性で、他人の言動に流されがちな人物という印象が強かったりする。そしてそれは、堀貝を突き動かす衝動が、リアルな現実としっかりと結びついていないことの象徴としても機能している。

 私たちの心のなかの動きを、言葉できっちりと説明するのは難しい。しかし言葉にできないものは、私たちの生きるこの世界においては存在しないも同然の扱いを受ける。堀貝がかかえる、児童福祉司となって行方不明の少年を捜すという衝動は、言葉にできないがゆえに現実のリアルとの結びつきがこのうえなく弱く、またそれゆえに表に出てくる彼女の言動もまた説明のつかないものが多い。結果、周囲からは変わった人だと受け取られてしまうし、そのことを恥ずかしいとも感じてしまう。まるで、行方不明の少年を襲った不幸に対して、何もできないでいる自分の存在を申し訳ないと感じているかのように。

 イノギさんとの出会いは、そんな彼女の行き場のない思いを、たしかな現実のリアルと結びつけるきっかけとして本書では書かれている。行方不明になった少年は、現実の出来事ではあるかもしれないが、遠い国の戦争のニュースと同じくらい現実感に乏しいものであり、堀貝の言動もまた空回りに近い状態を続けていた。だが、イノギさんは血の通ったリアルな人間として、彼女の前に登場した。そして彼女は、行方不明になった少年が受けたであろう理不尽な出来事に巻き込まれ、しかしかろうじて行方不明にならずに済んだ過去をもつ女性でもあった。

 毎日のように流され、耳にする他人の不幸に対して、私たちにできることはほとんどない。そしてそれゆえに、私たちはその不幸のことをそのまま忘れ去ってしまう。堀貝は、他の大勢のように忘れ去ってしまうことを拒否した人間であり、そういう意味で非常な真摯な人物でもある。本書はそんな彼女の真摯さが、えてして不器用さとしてとらえられてしまう世界との乖離を書くと同時に、イノギさんとの関係を通じてその真摯さにたしかな方向性を与えようと試みた作品でもある。はたして、彼女の不器用なまでの真摯さが、どのような形をとって世界のリアルに迫っていくことになるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2010.08.27)

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