【集英社】
『優しくって少し ばか』

原田宗典著 



 たとえば、ある天気の良い休日の午後、部屋を出て街へくり出すと、じつに多くの男女のカップルを目にすることができる。仲良く手をつないでゆっくりと歩いていく二人、喫茶店で向かい合い、何か深刻そうな顔で話をしている二人、やわらかな陽射しの下、公園の芝生でただ並んで座っている二人――それはじつにお似合いの組み合わせのように見えるときもあれば、なんでこの二人が? と思わずにはいられないほど、まったく不釣合いな組み合わせのように見えるときもあるのだが、いずれにせよ、そこにはさまざまな物語の要素に満ちているものである。そして、小説というものの基本して、人と人との関係を表現することがある以上、男と女の関係をテーマにした小説が――いや、たとえそれがテーマでなかったとしても、物語の過程において男女が何らかの関係をもつ小説が――巷に溢れかえってしまうのは、これはもう、小説が背負ってしまう宿命のようなものなのだ。
 ようするに何が言いたかったかというと、本書『優しくって少し ばか』に収められている六つの短編は、いずれも若い男女が織り成すさまざまな関係を描いたものだ、ということなのである。

 『優しくって少し ばか』で登場するのは、明らかに恋人同士の関係にある男女だ。彼女の部屋に泊まった次の日、二人ともそろって風邪をひいてしまった、という設定から、体温計の水銀がどうとか、会社の上司がどうとかいった、じつにとりとめのない会話が続いていく、という内容なのだが、ここで面白いのは、男の心の中でその時々に応じて渦巻く脈絡のない思考が、会話と会話の間に微妙なタイミングで差し挟まれていくところで、そのたいして意味もなさそうな会話、独り言のように勝手に進む思考は、「たしかに好きな人といっしょにいるときには、えてしてどうでもいいようなことを考えているものだよな」といった感じで納得させられてしまうのである。全体としておのろけムードたっぷりのその雰囲気を気に入らないと思うか、微笑ましいと思うかは、読む人によって変わってくるところだろうと思われる。

 『テーブルの上の魔法』はまさにタイトルどおり、ある女占い師が男との食事のさいに、まさにそのテーブルの上で「過去を変える」という魔法をかけてしまう、という話だ。「過去を変える」という女の言葉が何を意味するのか、その見事にひねりの効いた種明かしに、おもわずニヤリとさせられてしまうこと請け合いである。

 『西洋風林檎ワイン煮』および『ポール・ニザンを残して』は、ちょっとミステリー色の強い、前の二作とは対照的に暗くて少し怖い話となっている。『西洋風林檎ワイン煮』は、文字どおり、女がリンゴを煮ているのだが、そこからたち込める異常な臭気や、ユニットバスにからみつく、別の女性の髪の毛、女のパジャマについた妙な血糊、そして数日前から連絡のとれない浮気相手の女――そこから男が徐々に最悪の結果を予想してしまう話であるし、『ポール・ニザンを残して』は、空港まで車で女を送っていく間、車の中で交わされる会話を中心に進められていく話で、雰囲気そのものは終始軽い感じで流れていくのだが、それが女の残した最後の言葉でガラリと一転してしまう、というしかけが用意されている。そして『海へ行こう、と男は』では、泳げない女を沖まで連れ出した男の不気味な様子が妙に気になる話だし、『雑司ヶ谷へ』にいたっては、中絶手術を受けた女と、中絶させたという事実、そしてその女とつきあっていたという実感すらもてないままに、ただ流されていく男の姿をむなしく描いた作品だ。

 こうして本書に収められた作品をよく読みくらべてみると、『優しくって少し ばか』と、残りの作品とは、あきらかにその作風が異なっているのがわかると思う。残りの作品の方は、おもに情景描写や会話文、登場人物の行動などを書き連ね、全体としては乾いた雰囲気の文体を構築しようとしているのに対し、『優しくって少し ばか』だけが、男の内面に沸きあがるどうでもいいような思考をそのまま言葉にし、さらに段落や句読点を無視した文章をつづることで、全体的になんとなくやわらかな――良い意味でおまぬけな感じを出そうとしているのである。そして、他の作品が、日常のなかにまぎれこむ非日常を冷静に描いているのに対し、『優しくって少し ばか』だけが、何気ない日常からはじまった物語が何気ない日常を維持したまま、唐突に収束するのである。これはいったい、何を意味するのだろうか。

 ひとつだけ、言えることがある。『優しくって少し ばか』は、そのタイトルどおり、優しいのだ。他の作品は、それほど優しくはないし、内容もけっこうハードなものが多い。そして、そこに登場する男女は、たしかに「ばか」ではないのかもしれないが、同時に人間としての魅力に欠けたところが感じられるのだ。だが、『優しくって少し ばか』については、ちょっと甘ったるくなるような幸福感に満ちており、その雰囲気が、登場する男女になんとも言えない人間臭さを感じさせてくれるのである。
 そのことをもっとも象徴しているのが、ちょっと頭のたりないパン屋さんの話だ。女の家の近くにあるパン屋で働いている、時間にいつも厳格で、いつもおいしいパンを焼いて、それを売りきってにこにこしている「優しくって少しばか」なパン屋さんのことを、男は好きでたまらないのだ。

 こんなふうにぼくは思うんだ世間には中途半端な利口が多過ぎるって。――(中略)――よけいな知識よけいな情報よけいな感情よけいな物ありとあらゆる"よけい"の中にぼくはどっぷり首まで浸かってもう手も足も出ないどれが大事なのかさっぱり分からない

 男の言う"よけい"にどっぷり浸かって身動きがとれないでいるもの――私には何だか、この後につづく五つの短編に登場する男女の様子が、まさにそれではないか、という気がしてならないのだ。よけいな知識に翻弄され、よけいな噂に一喜一憂し、よけいな詮索で結果として自滅するような格好になってしまう人々は、たしかに利口なのかもしれないが、どこか哀しいところがある。

 本書のタイトルにもなっている『優しくって少し ばか』――これは「ちょっとばかだけど、でも優しい」という気持ちの表れを、著者が照れ隠しに逆転させたものに違いないと、私は信じている。(2000.04.29)

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