【文芸社】
『山ながし』
− ある和算家の生涯 −

一木壽一著 



 「和算」という言葉をご存知だろうか。これは、江戸の中期頃に全国で発展した日本独自の数学のことであるが、もし「日本の数学なんて、せいぜい算盤くらいのもの」といった偏見をお持ちの方がいたとしたら、ただちに考えをあらためてもらう必要があるだろう。加減乗除といった基本はもちろんのこと、平方根や三角関数、微分、積分、あるいは整数論といった、今日の日本教育における高校、大学レベルの数学理論のほとんどを網羅し、分野によっては西欧よりも早く理論が確立されたものさえあると言われている和算は、日本の建築や土木、測量、暦法など、さまざまな方面に応用され、今の私たちの生活にも密接に結びついている学問である。たとえば、「億」「兆」「京」といったおなじみの単位は、すべて和算から生み出されたものなのだ。ちょっと調べてみるとわかることだが、当時鎖国状態にあった日本で、これほど高度な数学が研鑽されていたというのは、まさに驚愕すべき事実であり、日本が誇れるもののひとつだといっても過言ではあるまい。

 本書『山ながし』は、そのサブタイトルからもわかるように、江戸時代を生きたある和算家の生涯を描いた作品であるが、基本的に物語という形をとっている本書を読んでいくと、この作品がたんなる伝記というだけでなく、和算とはどのようなもので、また人々の生活にどのような形で結びついていったのか、といった部分も同時に見えてくるのがわかってくると思う。そういう意味では、本書は和算のことを書いた小説であり、また日本という国がかつて持っていた、すばらしい側面のひとつを紹介した作品でもあるのだ。

 時は享保十六年の初秋、信州岩佐藩の中老大野正信らが、藩領内の地形調査の帰りに、急な病に倒れた男とその娘の介抱をするところから物語ははじまる。日守安子と名乗る娘の口から、その男――日守君道が武家浪人であること、しかも寺子屋で算盤を教えることを生業にしていたことなどを知った正信だったが、彼と接しているうちに、この男が今の岩佐藩のかかえる問題を解決するのに必要な知識をもっていることを確信し、ぜひ力を貸してほしいと願い出る。正信らはそのとき、江戸幕府の命により、藩内の地形図の試作品をつくるという難問をかかえていたのである。

 いったい、どのような方法をもちいれば、幕府が意図するような精緻で詳細な地形図を完成させることができるのか、そもそも、その土地の正確な広さや距離、高低差といったものを、どうやって測るのが望ましいのか――本書は、正信の恩を受けた君道が数年の歳月をかけて藩内の人々に測量術を教え込み、地形図の製作に多大な貢献を残したことを物語る前半部と、その地形図完成間近に行方知れずとなった君道を探し出すために、正信とその家臣である太兵衛が彼の過去を調査する旅を始め、いろいろと謎の多かった君道のたどった、不運としか言いようのないその人生の足跡にせまるという後半部とで分けられる。前半部にはおもに、君道が地形図作成のおりに見せた高度な測定術――角術や孤率、また測りとった数値から実数値への算勘処理といった、現代のそれと比べてもほとんど遜色のない、すぐれた数学の知識を持ち合わせていること、後半部では、そうした知識が和算に属するものであり、君道が和算家、それも外国の言葉に通じている和算の天才児であったこと、そして当時の和算がどのようなものとして扱われていたのか、といった事情が書かれているのだが、こうした和算の世界を通じて見えてくる江戸時代は、たとえば私たちが時代劇などでなじみ深いと思っていたそれとは、また違った趣きがあり、まるで古代遺跡でオーパーツを発見するかのような、ファンタジー的な要素がある。

 和算というと、複雑な数学の問題とその解答を絵馬にして記した「算額」を、神社や仏閣に奉納したという面白い風習があるが、本書で紹介されている当時の和算は、まるで剣術のようにさまざまな流派があり、流派間の交流がほとんどなく、それゆえに使われる記号が統一されていなかったり、勘算方法がその流派の秘伝として扱われていたりといった、今から考えると相当に風変わりな世界だったという。本書がもっている一種のファンタジー性は、こうした専門的な世界に特有の特異性――数学という、きわめて近代的色彩の濃い分野が、江戸時代においてさかんに研鑽されていたことのギャップもさることながら、本書に登場する日守君道と名乗る男が、物語のなかではたす役割に拠るところも大きい。

 外部からやってきた人々が、その土地の住人たちに、それまでにない何かを伝えたりもたらしたりする――この手の話は、世界中の神話や民間伝承でよく見られるモチーフのひとつである。かつては将来を有望された、すぐれた和算家であった君道は、結果として岩佐藩に測量術という高度な技術を惜しげもなく教えた。和算の流派がもつ閉鎖性、隠匿性を考えれば、君道の行為がどれだけ大きな価値をもつのか、あらためて語るまでもないだろう。本書はかつて実在したある和算家のことをつづった伝記小説であるが、著者はその和算家の、ほとんど記録に残っていない生涯の一部に、神話伝承のモチーフをあてはめることで、彼自身の人間性はもちろんのこと、その名誉を回復させることにも成功したのだ。

 風は森羅万象の中で、数少ない無色透明なものだ、と申せます。無色で透明であるがゆえに、誰の目にもその姿は見えません。この、誰にも見えない、誰にも見られないところが好きなわけです。

 けっして自らその知識をひけらかしたり、出世の道具にしたりするようなことはせず、しかしそのありあまる数学の才能ゆえに、不遇の人生を歩まなければならなかった、ある和算家の生涯――それは文字どおり、どこかで何かとぶつからなければ、それこそ風のように吹き抜けて、誰にも記憶されないまま消えてしまうようなものだったのかもしれない。だが、私たちは彼らのような、歴史に名を残すこともなく消えていった人々の不断の努力があるからこそ、今の世の中が成り立っているのだということを、もっと深く認識すべきである。そして、日本にはかつて、和算という独特の、しかし世界に誇るべき数学があったという事実を、ぜひとも知ってもらいたい。(004.03.09)

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