【文芸社】
『夕焼けの彼方に』

大田清隆著 

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 私にも経験があることなのでよくわかるのだが、学生というのは時間をもて余しているからなのか、それとも若さゆえのエネルギーのためなのか、とかく「人生とは何なのか」「生きるとはどういうことなのか」といった哲学的な問いかけをせずにはいられないものである。もちろん、彼らもいずれは大学を卒業し、社会人として働きはじめることになるのだが、そうすると大半の人たちは、日々の仕事の煩雑さに追われて、いつしかそうした問いかけには無関心になっていく。そもそも試験などとは異なり、明確な解答など存在しないそうした問いかけについて考えること自体、時間の無駄だという認識が、私も含めた労働にたずさわる者たちの頭にはできあがっているわけであるが、その根底に「いかに仕事を効率的にこなしていくか」という価値観があることを考えたとき、大学というモラトリアムな時間を過ごすこと、答えのない命題について真剣に考えるということが、いかに貴重な経験であるか、ということが今になって実感されるのである。

 本書『夕焼けの彼方に』は、大学生の「ぼく」が、奈良の飛鳥地方を旅していたときに親しくなった、男女5人のグループとの心の交流を描いた青春小説である。彼らと出会うきっかけとなるのは、たまたまその日、ユースホステルの客となったという、ただそれだけのことなのだが、そもそも「ぼく」のひとり旅が、高校時代の同級生だった恋人との仲で疲れてしまい、人間関係に憂さを感じてのことだったことを考えたとき、旅先で思いがけず芽生えた彼らとの奇妙な友情が、「ぼく」にとって特別な意味をもつものであったのは、なかば必然と言っていいだろう。

 都会はどことなく欺瞞に満ち溢れていた。大学の中にも、学問といわれるものの中にも、また行きつけの喫茶店の中にも、アルバイト先の塾にも、その中に生きている人々の笑いの中にも、ぼくは常に欺瞞を感じていた。生きていく上での本質とはまったく正反対のものを感じていた。

 知ない人のために一応説明しておくと、ユースホステルという宿は、通常の旅館やホテルとは異なり、純粋に食事と泊まる場所を提供するところである。かならずしもサービスを売りにしているわけではないので、値段は格安なのだが、基本的に部屋は大部屋で、他の客と寝起きをともにする、というケースがほとんどだ。各ユースホステルごとに経営者の方針が微妙に異なっており、なかにはユースホステルめぐりそのものが目的で旅をする者もいるくらいなのだが、旅という非日常的行為――しかもひとり旅という孤独な行為のなかに、ユースホステルという「場」は否応なく、他者との接触を強いられる場所でもあるのだ。

 今でこそユースホステルの経営は、以前ほどの勤勉さ、融通のなさはなくなりつつあるようだが、当時のユースホステルの雰囲気を、ある意味「ぼく」を含む6人の旅人との結びつきは象徴しているように思える。まったく見ず知らずの人たちと、もしかしたら深く結びつくことができるのではないか、というかすかな期待感――「ぼく」が後に「現実世界の欺瞞を越えた唯一の世界」と確信するほどの価値ある瞬間を共有できるのでは、という予感に満ちた本書は、飛鳥という、時の流れに逆らうかのように古代の香りを漂わせている「場」の美しさとあいまって、たんに学生であるがゆえの青臭さを詰めこんだ青春小説というには、構造的に凝った作風だと言える。

 本書のなかにはよく、「永遠」と「瞬間」という言葉が出てくる。このふたつの単語は対極に位置するものであるが、主人公である「ぼく」は、今回の旅で知り合った人たちとたしかに共有していた思い出を通じて、「瞬間」が「永遠」へとつながっていく感覚をしばしば味わうことになる。日々の瞬間の積み重ねであるかのような、せわしなさとともにある日常と、今もなお古代のゆるやかな流れのなかにあるかのような、旅先の飛鳥、恋人との関係も含めた、都会での乾いた人間関係と、旅先で出会った5人とのあいだで深く結びついた特別な関係――よくよく比べてみると、それはいずれも「瞬間」と「永遠」という対比を成している。

 旅での出会いというものはいつでも、軽い陶酔を伴っている。それが現実とは遠くかけ離れているがゆえに、いろいろな約束がいたずらに交わされる。実際、現実に還ってしまえば、そんな約束などあっという間に、日常のなかにかき消されてしまうのに。

 だが、「ぼく」は旅が終わってもなお、そのときの関係を保ちたいと願い、じっさいに東京で彼らと再会をはたし、さらにはそのなかのひとりである女性に恋愛感情を抱いたりする。絶え間ない日常の繰り返しへの一種の反逆行為のひとつが旅という行為であるとするなら、「ぼく」は本書の中で、常に日常という「瞬間」の積み重ねへの反逆を試みていたのではないだろうか。そうした反逆行為は、若者であるがゆえの特権であり、だからこそ、ときに「ぼく」の行動や思考は、その青臭さが鼻についたりするのだが、それもまた「ぼく」にとっての青春の形なのである。

 ひとつの国、あるいは地球、あるいは宇宙というマクロな視点に立ったとき、人の一生などまさに「瞬間」に等しいほどちっぽけなものでしかないのだが、それでもなお、私たちの生は、たとえどれほど小さなものであったとしても、世界に何らかの影響を与えずにはいられない存在でもある。「ぼく」が彼らとの関係のなかで感じた、「瞬間が無限につながる」時間の共有――そんなはかなくも素晴らしい青春の1ページが、本書のなかには封じ込められている。(2002.05.19)

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