【文藝春秋】
『容疑者Xの献身』

東野圭吾著 
第134回直木賞受賞作 

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「人に解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか。ただし、解答は必ず存在する。どうだ、面白いと思わないか」

 私が本を読むときは、どちらかというとその本に書かれた物語を読む、という意識が強く、それゆえにミステリーというジャンルの小説を読むときも、たとえば犯人が誰なのか、そしてどのようなトリックが使われたのか、という、いわゆる読者=探偵という読み方ではなく、あくまでただの読者としてひとつの物語に対するアプローチをしていくことになる。それは同時に、謎の出題者たる作家の提示する解答を、唯一の真理として無条件に受け入れていくという、良く言えば素直な、悪く言えばひねりのない読み方でもあるのだが、ミステリー通の方のなかには、その作家の提示した解答編に対してさえも、それが本当に正しいものなのか、もし正しくないのであれば、いったいどこが間違っているのかを吟味していくことに意味を見出そうとする者もいる、という話を聞いたことがある。

 たとえば、私たちにとって「1+1=2」という計算式は、あたりまえのものとして認識されている。あまりにあたりまえすぎて、なぜそうなるのか、ということに私たちが意識を向けるようなことすらないのだが、その計算式が本当に正しいのかどうかを証明するためには、じつは非常に高度な数学的知識が必要になるという。そういう意味では、問題をつくるよりも、それを解くこと――より厳密に言えば、解答を出し、その解答が正しいことを証明するほうがはるかに難しいように思えるのだが、じっさいはどうなのだろうか。上述の引用文は、本書『容疑者Xの献身』において、探偵役を担うことになる「ガリレオ先生」こと物理学者の湯川学が、同じ大学の旧友であり、すぐれた数学者としてその才能を唯一認めている石神哲哉に対して放った言葉であるが、その言葉の奥に秘められた湯川の思いについて考えたとき、人の解けない、しかし解答は必ず存在する問題を作成することの困難さ、そしてそんな問題をひねり出すことを決意した石神の強い信念について、認識をあらたにせずにはいられないものがある。

 本書は殺人事件が発生し、探偵役の人間が最終的にその事件を正しく推理する、という形のミステリーであるが、犯人が誰なのか、という点については、物語の早い段階であきらかにされる。「べんてん亭」という弁当屋ではたらいている花岡靖子は、以前は錦糸町などのクラブではたらく水商売の女だったが、離婚した前の夫である富樫慎二にしつこく復縁を迫られており、なかば身を隠すような生活を余儀なくされていた。その富樫に「べんてん亭」ではたらいていること、さらには今住んでいるアパートの住所まで突き止められてしまった靖子は、そのアパートでひと悶着起こした末に、娘の美里と共謀して彼を絞殺してしまうのだ。

 このあたりのストーリーについては、いかにもどこかにありそうな、殺人事件の内容としてはさほど面白みのないものであるが、そこに石神哲哉という数学者が絡んでくることで、この殺人事件のミステリー性が大きく増してくることになる。靖子の部屋の隣に住んでいた彼は、そのきわめて論理的な洞察力で靖子の部屋で起きた惨事をすべて理解するのだが、以前から彼女に対して深い想いを寄せており、わざわざ彼女のはたらく弁当屋で弁当を買ったりしていた石神は、すでに起こってしまった殺人事件を完全犯罪に仕立てあげることで、靖子と美里の今の生活を守ろうと決意するのである。

 自分が守らねばならない、と石神は改めて思った。自分のような人間がこの美しい女性と密接な関わりを持てることなど、今後一切ないに違いないのだ。今こそすべての知恵と力を総動員して、彼女たちに災いが訪れるのを阻止しなければならない。

 このように、本書のミステリーとしての面白さは、犯人を推理することではなく、その犯罪には直接関与しなかった石神が、どのような方法で警察や湯川の目をあざむいてその犯罪を隠蔽しえるのか、という点にこそあるのだが、これは今までのミステリーの基本形であった、あくまで探偵が中心となって事件の解明をめざすものとは対極に位置する形である。それはもちろん、物語的に探偵や刑事よりも、むしろ殺されて当然のような最低の男を殺してしまった靖子や、彼女への愛ゆえにその犯罪の隠蔽に力を貸すことにした石神といった登場人物のほうに、読者がより感情移入しやすいものであることもひとつの要因であるが、それ以上に重要なのは、数学者石神が、たとえひそかな思いを寄せているとはいえ、犯罪幇助にも匹敵する大きなリスクを、なぜあえて行なうことになったのか、というその心情面こそが、本書の中心にあるからこそでもあるのだ。

 本書を読んでいくとわかるのだが、この石神という男の靖子に対する愛情がどの程度のものなのか、という点について、じつはあまり言葉を尽くしてはいない。それは見方によっては彼の愛、そして愛ゆえの献身ぶりが、ミステリーの謎ありきで生じた、いわばとってつけたような印象を与えかねないものであるのだが、本書のタイトルが示すとおり、本書のもっともメインとなるテーマは、人間の愛――人が自分以外の誰かのために、どれだけのことができるのか、という一点につきるのだ。そしてその献身がどれほど大きなものなのか、という点について、本書はありがちな言葉をつらねる必要はまったくなかった、と言ってもいいだろう。なぜなら、本書の最後であきらかになる謎解きこそが、同時に石神という男の靖子に対する愛の深さを思わせるに充分な衝撃とすさまじさを併せ持ったものとなっているからである。

 いわば、ミステリーのトリックを仕掛けるという、たったそれだけのことで、人間のその無限の愛を何百万の言葉を費やすよりも深く、強く表現することに成功した作品、それこそが本書『容疑者Xの献身』なのだ。そして、だからこそ探偵などよりも、「容疑者」たる石神というキャラクターが物語の中心となってくるのである。

 この書評の冒頭で引用した文章は、「人に解けない問題を作る」者=犯人であり、「問題を解く」者=探偵という構図を示すものでもあるが、何よりその探偵役となる湯川自身が、「問題を作るほうが難しい」と答えている。すべての謎を解く宿命を背負った探偵をして、謎を仕掛けた人間に対して最大限の賛辞とも言うべき言葉をかけずにはいられない――それだけのすさまじさをもったトリックとは、はたしてどういうものなのか。才能がありながらその才能を充分生かすことのできない立場にあるひとりの男が、その才能を自分が守るべき者のためだけに費やしていくという、倒錯していながら、それでいて、いやだからこそ美しいそのトリックの境地をぜひたしかめてもらいたい。(2006.01.20)

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