【角川書店】
『白いへび眠る島』

三浦しをん著 



 昔からつづく伝統や風習、しきたり、制度といったものについて、なぜそれを守らなければならないのかよくわからなくなっているものは多い。もちろん、そういったものができた背景にはそれなりの理由があり、だからこそその慣例が続けられてきたのだが、長い年月を経てそれの意味するところや理由が断ち切られ、ただその形だけが「やるべきこと」として伝わっている、というのが実情である。それは逆に、もしそれらの決まりごとのそもそもの経緯が明らかになり、それが今の時代にそぐわないもの、無意味なものと化しているとわかるのであれば、変えていくなり廃止するなりすればいい、ということでもある。

 何かの起源を問いかけるという姿勢は、物事の本質を見極めるという意味で非常に重要な資質のひとつである。だが同時に、人はしばしば自分に都合のいい解釈をもって真実だと思い込んでしまう生き物でもある。現状を変えるという目的だけが肥大化し、知らず知らずのうちにその起源を捏造してしまうのは、ともすると知らずに続けることよりも悪質でやっかいなのが常だ。神道系の儀式などのように、もはやその起源を遡れないほど古くから続けられてきた事柄は、その長さゆえに尊ばれるべきものを持ち合わせている場合があるということも、私たちが肝に銘じておくべきことのひとつだと言える。

「世界は理由の定かでない決まりごとで成り立っている」

 本書『白いへび眠る島』の舞台となる拝島には、人の出入りについて閉鎖的な人々が暮らす、過疎化が進む小さな集落がある。その拝島の出身でありながら、本土の港湾都市にある高校へ進学した前田悟史が、高校三年の夏に拝島に帰省するところからはじまる本書において、まず気がつく点があるとすれば、それは彼と拝島とのあいだに横たわる距離感だ。自分の故郷でありながら、その土地がもつ独自性にどうしてもなじめないでいる悟史の感情は、冒頭こそその閉鎖性ゆえの窮屈な感じや、住人どうしの濃密な近所づきあい、あるいはその集落のなかでのみ通用する風変わりな慣習といった、田舎の町にありがちな地域性に根ざしているようであるが、読み進めていくうちに、むしろ悟史自身の抱えているある種の体質によるところが大きいということが見えてくる。

 人には見えない「不思議なもの」が見えてしまう――子どもの頃に遭遇したある事件をきっかけに、ある程度の年頃まで悟史の見る世界は、現実として存在するものと、彼の目にしか映らない怪奇とがごちゃまぜになった混沌としたものであり、その状況になかば翻弄されるような生活を余儀なくされていた時期が彼にはあった。小さな島という環境ゆえに、漁業を主要産業としている土地柄でありながら、船が苦手ですぐに酔ってしまうという悟史の体質は、同時に現実世界ともうひとつの異世界とのあいだで揺れ動く故郷という意味でも呼応しており、ほとんどそうした「不思議」を見なくなった今も、彼のなかで違和感として残っている。

 こうした悟史の人物設定は、物語のなかで起こる怪奇の置き所を曖昧なものにするという意味で、欠かすことのできない要素のひとつとなっている。折りしも拝島では、十三年に一度の大祭をひかえて高揚感した雰囲気に包まれているのだが、そんななか、集落ではここ最近「あれ」とだけ呼ばれる忌まわしい化け物が出たという噂が頻出し、悟史もその化け物の姿を夜の闇のなかで目撃してしまう。しかしながら、もともと人には見えない怪奇を見てきたという過去をもつがゆえに、その噂が本当の怪奇なのか、あるいは何かの目的をはたすための人為的なものなのか、悟史はもちろん、私たち読者にもにわかに判断がつけられないという状況に陥る。

 ともすると、昔のおとぎばなしの世界が今もなお息づいているかのような、かぎりなく閉じられた拝島のなかの曖昧な境界線――物語はその曖昧さに何らかの決着をつけていく方向で展開していくことになるのだが、たしかな現実とそうでないものとに切り分ける役割は、自分と故郷との立ち位置で悩んでいる悟史だけでは荷が重い。そこでそうした役割を担う人物として登場するのが、中川光市と神宮荒太のふたりである。

 境界がとろけだしそうな悟史に、確固たるラインを教えるのはいつも光市の役目だった。光市はいつもはっきりと、「俺には見えない」「なんとなく気配は感じる」と、判断を下した。

 悟史の幼なじみである光市は、同じようにある事件を体験していながら、悟史のように怪異を見る目をもたずに育った。そして、自分には見えない何かが見えるという悟史の言葉をそのまま納得し、受け入れるという態度を崩さないがゆえに、悟史のぐらつく土台を支えてきた光市は、まさに親友というにふさわしい人物なのだが、面白いことにこのふたりの関係もまた、拝島の風習のひとつとして絡み取られている。島の住人の長男同士で結ぶ絆である「持念兄弟」――ここでもまた、悟史は光市との関係が島の風習によるものなのか、純粋に友情として結ばれているのかの判断に迷うことになるのだが、その決着がどのようにつけられるのかも、本書の読みどころのひとつとなっている。

 いっぽうの荒太は、荒垣神社の神職を担う家系の次男で、島の守り神である白蛇の直系と伝えられている家系につらなる者のひとりだ。そういう意味で、彼も悟史同様、見えないものを見る力をもっているわけだが、荒太の場合、そうした力があることを認めたうえで、自分が何をするべきなのかという視点をもち、また島との関係について、確固たる足場に立っているという位置づけにある。今回の一連の騒動を収束させるうえで、彼の存在は不可欠のものであるのだが、そもそも長男だけに家を継がせるという島の根強い風習は、そんな彼の立場を微妙なものにしてしまっている。

 本書を読み進めていくとわかってくることであるが、光市にしろ荒太にしろ、島の古い因習に束縛されながらも、まぎれもない自分自身の価値判断をもち、場合によってはその因習を破ることも厭わないという精神的な強さをもった人物として書かれている。大祭という大きなイベントを前に、現実世界ともうひとつの異世界の両方で起こる騒動の顛末を描いた本書であるが、同時にそれまで自分と故郷との距離感について、つねに揺れ動いていたところのある悟史が、光市や荒太たちと協力しながら次第にその立ち位置をはっきりさせていく、というある種の青春もの、少年の成長物語としての側面ももっている。

 島の守り神として祭られている白蛇が眠る島――現実世界と「不思議なもの」が今なお息づく世界とがより近接している島の物語を、ぜひ楽しんでもらいたい。(2012.11.17)

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