【国書刊行会】
『箱ちがい』

R・L・スティーヴンスン&ロイド・オズボーン著/千葉康樹訳 

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 保険と年金は、同じような性質をもつものの表裏であって、その本質は非常に似通ったところがある。保険とは、自分が死ぬこと、それも早く死ぬということを「当たり」として金をかけつづける博打であって、早く死ねば死ぬほど得をするという仕組みである。ただし、自分の死を賭けている以上、「当たり」の配当金は当の本人には何の意味もないものであるし、胴元としては、もし全員が早死にしてしまったら大損ということになってしまう。だからこそ、保険というのは長生きしそうな人、つまり長く金を払いつづけられそうな人に入ってもらうことで成り立っているし、保険に入る人の動機としては、万が一自分が早死にしてしまったときの、残された家族への保障ということを念頭に置いているのである。

 年金とは逆に、自分が長生きすることを「当たり」として金をかけつづける博打だ。当然のことながら、当事者は長生きして配当金を多く受け取ろうと努力することになるのだが、もし全員が長生きしてしまったら、極端な話、賭けは成立しなくなってしまう。年金が「長生きゲーム」の側面をもっている以上、そのプレイヤーとしては、自分以外のプレイヤーが先に死んでくれれば、それだけ自身の配当金が大きくなるということになる。

 保険にしろ年金にしろ、どこかに人の死を望む、人の死がなんらかの形で自身の得になるという、どこか倒錯した欲望と結びついている。だが、保険や年金といった制度は、そうした側面を見えにくくするどころか、「相互扶助」といった美辞麗句で飾り立て、あたかも人の役に立つかのごとく装われているところがある。むろん、それらのすべてが偽りであると言うつもりはない。だが、本書『箱ちがい』における、ひとつの死体をめぐるちょっとした騒動を評することになったときに、私の頭にまず浮かんできたのは、保険や年金が隠しもっている、人の死に対するある種の不謹慎な側面だった。だが、物語というのはときに、不謹慎であればあるほど面白くなることもある、というのも事実だったりする。

 本書において中心を成しているのは、「トンチン年金」というシステムである。ロレンツォ・トンティによって考案されたというこの年金は、参加者から掛け金をあずかったうえで、最後まで生き残ったひとり、つまりもっとも長生きした人が、その利息もふくめた全額を受け取るという極端なもの。この物語がはじまった時点では、マスターマンとジョゼフのフィンズベリー兄弟のふたりが、この年金を受け取ることのできる唯一の生存者であるが、彼らはともに七十歳を越えた老人であり、たとえどちらが年金を受け取っても、老い先短い人生のなかでその金を有効に使っていけるとは思えない。だが、現在ジョゼフの後見人という立場にいる従弟のモリスにとっては事情が異なっている。なんといっても彼は、ジョゼフの「トンチン年金」の権利を譲渡された者であり、なんとしてもジョゼフには長生きしてもらい、トンチン年金の配当金を受け取らなければという思いに囚われていた。

 そんなある日のこと、ジョゼフとモリス、そしてモリスの弟ジョンを乗せてロンドンに向かっていた列車が対向列車との衝突事故を起こす。奇跡的に無傷で済んだモリスが見たのは、ジョゼフと同じ服装をしている、顔の損傷の激しい死体だった。それがジョゼフであると確信したモリスは、とっさにその死体を隠蔽してしまおうと画策するのだが……。

 トンチン年金を受け取るためには、なんとしてもジョゼフには生きていてもらわなければならない。それゆえに、ジョゼフの死の証拠である死体を隠蔽しようというモリスの言動は至極論理的なものであるが、上述の「ジョゼフと同じ服装をしている、顔の損傷の激しい死体」という、いわくつきの表現からも察せられるように、その死体はじつはジョゼフのものではない。ジョゼフと似たような服装をした、しかしジョゼフとはまったくの別人の死体、という点が本書におけるユーモアのミソである。つまり、モリスはトンチン年金に囚われるあまり――より正確には、かつてジョゼフが自身の事業のために投資してしまった、もとはモリスのものだった持参金を取り戻したいという執念ゆえに、まったく無駄な努力をしてしまっているのだ。しかも、その死体をより安全な場所に輸送しようと樽の中に隠し、それを列車便で送ったところ、とある人物のささやかないたずらのせいで配送先が別の荷物と入れ替わってしまい、届いたのは巨大なヘラクレスの彫像というありさま。いっぽうの死体の入った樽を受け取った人物は、自分とは何のかかわりもない、しかし事件性だけはプンプンするそのやっかいな荷物を、どうにかして手放そうとさらなる画策をもくろんでいく。

 本書において、読者はいわゆる「神の視点」からこの物語を俯瞰することができる立場にいる。そしてこの物語のなかで、まるでババ抜きのジョーカーのごとく、登場人物のあいだを渡り歩いていく死体は、しかしそれを誰よりも必要としているモリスの手にだけは渡らない。しかもモリスが死んだと思い込んでいたジョゼフは、トンチン年金のためだけに生かされているような生活に嫌気が差して、列車事故を利用してさっさと行方をくらましてしまったというオチまでついている。要するに、この物語では登場人物のほとんど全員が、しなくてもいい苦労をさせられているのだ。さらに「トンチン年金」そのものが、本書にも書かれているとおり「参加者の誰ひとりとして得することのない制度」であり、ある種のナンセンスの象徴でもあるという要素を考えると、本書は誰もが無駄な努力に精を出しているという意味で、まさに人間の本質を描いた作品だと言うことができる。

 本書の著者のひとりであるロバート・ルイス・スティーヴンスンは、あの『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』といった、冒険ものや怪奇ものの小説のほうで有名であり、本書のような異色作は、熱心な読者の間でも評価が分かれているという。だが、本来何の意味もない事柄に対して、なんらかの意味をひねり出そうとする人間のユーモアを描いた本書は、何よりも人間臭く、だからこそ馬鹿馬鹿しくも愛しいものを感じずにはいられない。はたして、最後にババをひくことになったのは誰なのか、そしてトンチン年金はどうなったのか、その結末が知りたいという方は、ぜひ本書を読んでたしかめてほしいところである。(2009.01.25)

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