【文藝春秋】
『魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?』

東川篤哉著 



 魔法や超能力といった要素が、およそミステリーと相性がよくないというのは、おそらく誰もが首肯せざるを得ない事実ではあるが、そうした作品が皆無というわけではない。たとえば、西澤保彦は『七回死んだ男』『人格転移の殺人』といった、超能力の絡む非日常的ルールが適用されるミステリーを書いているし、米澤穂信の『折れた竜骨』の舞台は、中世ヨーロッパを土台とした架空の世界で、そこでは魔術というスキルが存在するという設定となっている。だが、いずれの作品においてもそこに登場する魔法や超能力は、いわゆる「何でもアリ」の都合のいい奇跡ではなく、あくまで限定的なものであったり、科学と同じように体系だった技術として扱われるというのが定石となっている。

 言ってみれば、それらの作品における魔法や超能力は、あくまで「変則ルール」の一種に過ぎず、そういう意味では「絶海の孤島」や「吹雪に閉ざされた別荘」といった要素と大差ない。それはそうだろう、もし本当になんでもアリの魔法があるのだとしたら、どんなトリックを構築しても「魔法だから」のひと言で片づけられてしまう。それではミステリーとして成り立たない。だが、この非常に都合のいい「魔法」という概念を、まさにそのままの意味でミステリーの世界に持ち込んでしまった大胆な作品が存在する。それが今回紹介する本書『魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?』である。

「――わたしが犯人に違いないという、完璧なロジックでもあるというのかね?」
「ロジック!? なにそれ!? 必要!?」

(『魔法使いとさかさまの部屋』より)

 全部で四つの作品を収めた連作短編集である本書では、その冒頭で殺人事件が発生し、その事件を刑事たちが捜査し、最終的に犯人を暴き出すという流れをとっている。犯人は冒頭で明らかにされるため、刑事がその犯人をどうやって追い詰めていくか、という形のミステリーであるが、本書に登場する刑事たちは、三十九歳の微妙なお年頃でありながら、いまだ結婚願望をかなえることができず、その鬱憤を部下に当たり散らしたりしている椿木綾乃警部にしろ、そんな彼女にののしられ、暴力を振るわれることに無上の喜びを感じてしまう変態性癖の持ち主である小山田聡介刑事にしろ、どこか頼りない印象が否めない。あえて探偵に近い人物を挙げるとすれば、事件の難易度を椿木警部基準で推し量ることができる小山田ということになるのだが、彼にしても、たとえば刑事コロンボのようなタイプとは言いがたい。じっさい、彼はある程度犯人として誰が怪しいのかを絞り込むことはできるのだが、探偵に必要な直観や洞察力といった要素が抜けており、そこから先に推理を進めることができないでいるのだ。

 だが、ここでそんな小山田をサポートする役として登場するのが、マリィと名乗る魔法使いである。

 彼女は最初の短編『魔法使いとさかさまの部屋』で、殺人事件の起こった映画監督の屋敷で新しく雇われたメイドとして登場するのだが、常に相棒のように古い箒を持ち歩き、急に目の前から姿を消したり、ありもしないところから冷蔵庫や看板をもってきたりといった、まさに魔法としかいいようのない力を発揮する。言ってしまえば、マリィは本物の魔法を使うことができる「魔女っ子」なのだ。だが、あくまでミステリーとして構築された本書において、物理法則を完全に無視する魔法使いの存在が、ただそれだけで都合の悪いものであることは、冒頭でも説明したとおりである。たとえば『魔法使いとさかさまの部屋』において、彼女は自分にかけられた疑いをはらすため、小山田に協力することになるのだが、そこでマリィがやったのは、「魔法の力で犯人を特定する」という反則技である。

 魔法使いであるマリィにとって、それはごく当然の行為ではある。だが、それはあくまで彼女にだけ通用する常識であって、少なくともミステリーの常識ではない。当初、彼女が犯人を目撃しているのかと期待していた小山田も、そんなマリィの「非常識」さに頭を抱えることになるのだが、ここで彼が偉大なのは、彼女が用いる魔法をインチキと一蹴するのではなく、そういう特別な力があると容認した点である。どんな原理なのかはさっぱりわからないが、とにかくマリィには「魔法」を扱うスキルがあり、それによってともあれ誰が犯人なのかは「だけ」は確実に当てることができる――小山田という刑事は、それを受け入れることにした。そしてそのことで、彼は私たち読者により近い位置に立つことができるようになった。

「そう急かすなよ。犯罪捜査ってのは、一朝一夕にはいかないものだ。つまりこの世は、魔法の杖をひと振りして、すべてが解決するような単純な世界じゃないってことさ」

(『魔法使いと失くしたボタン』より)

 よくよく考えれば、ガチガチのリアリストであるべき刑事が、魔法という曖昧きわまりないものを信じてしまうというのは、それだけでとんでもないことではある。だが、そんなトンデモをそのまま受け入れさせるような、ある種のコメディ的要素が、本書のなかにはたしかにある。じっさい、本書ではかならず殺人事件が起こるものの、そこに悲壮感はほとんどなく、登場人物たちの言動もどこかオーバーアクション気味で、悪く言えば現実味が欠けている。だが、本書はそのマイナス要素を「魔法」という要素を違和感なく溶け込ますための装置として利用することに成功した。そして面白いことに、そうすることによって小山田は探偵として必要なロジックを組み立て、それで犯人を追い詰めたり、失言を誘ったりするという、いかにもミステリーらしい展開を進めることができているのだ。

 言ってみれば、小山田とマリィのふたりが、お互いに足りないものを補うことではじめて探偵役を担うことが可能になった、ということでもある。論理や過程をすっ飛ばして、いきなり事件の真相に到達してしまうマリィの魔法は、ある意味で名探偵がもちえる直観に等しいものではあるが、それだけでは事件を解決したことにはならない。そのための証拠集めや謎解きのためのロジックが必要となるわけで、そのためにこそ警察組織に属する小山田が必要となってくるのである。もちろん、そのためにはなぜマリィがなんだかんだ言いながらも小山田に協力的なのか、なぜ小山田がすんなりマリィの魔法を――もっと言うなら、マリィの言葉をあっさりと信じることができるのか、といった部分の説明が必要となってくるはずなのだが、本書のコメディ的ノリが、そうした疑問をささいなものとして打ち消す役目をはたしてくれている。そういう意味では、本書は非常によくできたミステリーだと言うことができる。

 ちなみに、本書のタイトルである『魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?』は、言うまでもなく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』からとってきたものであるが、もし魔法使いという「何でもアリ」な存在が、完全犯罪なんかを夢みた日には、それこそミステリーが崩壊しかねない。できればマリィには完全犯罪など考えずにいてほしいのだが、住む家にさえ苦労していたり、神宮球場でビール売りのアルバイトをしていたりと、特技であるはずの魔法を現実世界でまったく生かしきれていないところを見ると、当面はそんな心配はなさそうである。ふたりでようやく一人前の探偵たちが繰り広げるドタバタミステリーを、ぜひ楽しんでもらいたい。(2014.12.13)

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