【叢文社】
『人生とは何か』
−21世紀の人生設計術−

一條浩司著 



「人生とは何か」と大上段にかまえたタイトルの本書であるが、もし本書のなかに、自分がこれからの人生をどのように生きていくべきかの指針や、自身がかかえる人生の悩みを解決するためのヒントが得られると期待している方がいらっしゃるようであれば、それはあなたが本書の本質を間違った形でとらえている、ということを最初に申し上げておかなくてはならない。なぜなら、本書に書かれていることは、たしかに「人生とは何か」という問いに対する包括的な解答ではあるが、だからといってその解答があなたという個人が感じた、問題への心理的欲求を必ずしも満たすものではないからであり、それゆえに、本書が導き出した「包括的解答」とは無関係に、けっきょくは個人が納得できる形で「人生とは何か」に対する答えを探し出し、作り出すしかない、というのが本書の結論でもあるからだ。

 こうして結論だけを提示してしまうと、いかにもあっけなく、またいかにもありがちなものでしかないという印象ばかりが残りそうであるのだが、だからといって本書について、もう読む意味がない、と考えてしまうのは、物事の結論ばかりを求めて、なぜそのような結論に到ったのかといった思考力をはたらかせようとしない、安易な人間の典型的な例であり、またインターネットをはじめとする情報の洪水に押し流されてしまい、自分自身を見失っている人間の典型的な例だと言われても、仕方のない態度だと言わなければならない。私が本書を読み終えて思ったのは、本書のタイトルである「人生とは何か」という問いは、本書に書かれている内容との関係性はきわめて低く、ようするに例題のひとつといった程度のものでしかない、というものである。おそらく本書のタイトルは、「人はなぜ生きるのか」でもいいし、「人はなぜ心をもつようになったのか」でもかまわなかった。およそどのような問いをタイトルに冠したとしても、本書に書かれてあることの本質はまったく揺るがない。人間が思いつく、およそどんな問いに対しても対応可能である――そういう意味で、本書に提示された解答は、真に包括的なものであり、また本質的な部分から生まれた解答だと言えるのである。

 本書は全部で五つの章にわかれており、それぞれ「人生とは何か」という問いに対して、次元の異なる視点からのアプローチを試みている。たとえば第一章では、人間が操る言葉の性質から「問いを発する」ことの意味を説明し、たとえ同じ問いかけをしても、各人各様の解答が生じてしまう原因を追究しているし、第二章では、そうした問いを理解すること、分かることの意味を問いただしている。第三章では、おもに人間の脳の活動について主観を置き、その心理的欲求の特色を解説したうえで、人間存在の限界性との差異を、まさに人間であるがゆえの特性としてとらえ、第四章では、そんな人間の能力を超える問いがなぜ生じるのかについて、そして第五章では、一度すべての価値観を捨て去ったうえでそうした問いを見つめなおし、最終的に「人生とは何か」に対する「包括的な解答」について述べている。

 こまかい説明については、本書の内容そのものに場を譲るとして、ここで重要なのは、ある命題について、本書は「なぜそうした命題が発されるのか」「何をもって命題が解決されたとするのか」「どのような種類の解答が求められているのか」といった、通常であればあまり重要視されない部分にも律儀に焦点をあてていることである。つまり、著者はある命題に解答しようとするとき、あくまで「個人的な」解答をただ提示するだけでなく、まず読者に命題が生じるさまざまなケースがあることを理解させたうえで論を進めているのだ。そして、ある命題に対するこうしたアプローチの方法は、何より自身の存在を客観視すること、つまり、世の中にはじつに大勢の人間が生きており、彼らの考え方や感じ方は個々によって異なっているという事実をあらためて私たちの前に提示することになる。

 そして此処で私が何を指摘したかったかと言えば、自分の答え、判断に限界があるにも関わらず、それを本人が客観視することが如何に難しいかと言うことである。

 自分という存在がけっして特別なものではなく、あくまで大勢のなかのひとつにすぎない、という認識――これは池田清彦の『正しく生きるとはどういうことか』においても指摘されていることであるが、この認識は人間がこの世界を生きていくうえで非常に重要なものである。例を挙げると、たとえばあなたがある特定の異性を好きになり、勇気をもってお付き合いしたい旨を彼女に告げたところ、断られてしまったとする。私にも経験あることなのでよくわかるが、こうした失恋のショックは非常に大きく、まるで自分の全人格が否定されたかのような気分になるのだが、その彼女はたしかにあなたを振ったものの、よくよく考えてみればその事実と、あなたの全人格が否定されることとはまったく何の関係もないことである。こうした認識は、自身を客観視することによって生まれてくるものであり、それがどうしてもできない人間が、ときにストーカーや殺人といった極端な行動をとってしまうことは、ニュースでもおなじみのことである。

「人生とは何か」という命題に対する本書の解答も、けっきょくは上述の認識が前提となって生じてくるものであり、それゆえに本書の大半は、いかにしてある命題を客観視するか、ということに費やされているといっても過言ではない。逆に、それを理解することができれば、本書の主張の八割方は理解できたと考えてもいいだろう。そしてそうした理解は、あなたが今後生きていくうえで必ずプラスの方向にはたらくたぐいのものなのだ。そういう意味では、本書のサブタイトルである「人生設計術」というのは――それが必ずしも21世紀のものかどうかは別として――たしかに本書の本質をついている。「人生とは何か」という命題とは関係なしに、この世界を生きる「自分」という存在について、あらためて問い直したいとお考えの方には、本書はきっと大きな指針をしめしてくれることだろう。(2005.04.03)

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