【新潮社】
『白い犬とワルツを』

テリー・ケイ著/兼武進訳 



 老人の生きざまを描いたものでもっとも共感を覚えた作品といえば、ヘミングウェイの『老人と海』が挙げられる。漁師として海とともに生きてきたキューバの老人サンチャゴがたったひとり、巨大なカジキマグロを相手に格闘する姿に、私はまるでハードボイルドの原点を垣間見たような気分になったのだが、そこにあったのは言うなれば、長い年月を経て徐々に弱り、言うことをきかなくなってくる自分の肉体に対する、精神の戦い――老いてなお自分の信条や生き方を貫き通そうとする、頑固で意地っ張りな男の戦いである。

 たとえば、自分が愛しい人と結婚して子どもを授かり、その子どもが大きくなって多くの孫に恵まれる姿を想像する。昔のように三世代の家族が同じ屋根の下に暮らす、というのは今の時代では難しいのかもしれないが、自分の子どもや孫たちが変わらず老いた自分のことを忘れず、たびたび会いに来てくれたりしてくれれば、おそらく人としては幸せな人生であろうと思う。だが、老人の心はしばしば過去の時間を生きるものだ。その過去が大切な、光り輝くものであればあるほど、残された余生をその過去とともに生きたいと願う心は強いに違いない。本書『白い犬とワルツを』は、長年連れ添ってきた妻に先立たれた老人サム・ピークの物語であるが、それはけっして若者たちにとっても無関係なものではあるまい。なぜなら、本書は読者たちに、老いてなお光り輝く思い出となるような生き方をしているか、どんなに苦しくても人として誠実な生き方をしてきたか、と問いかける作品であるからだ。

 物語自体はけっして複雑ではない。妻の死によって家にひとり取り残される形になったサムが、歩行器なしでは歩けない足の弱った父の今後を案じる息子や娘たちの心配をよそに、妻との思い出とともに余生を生きようと決意する様子を淡々と描いた作品で、あれこれと世話をやこうとする子どもたちの気持ちをありがたいと思いつつ、まだそこまで落ちぶれたわけではない、と頑固に自分のそれまでの生き方を貫こうとするサムの前に、彼の前にしか姿を見せない不思議な白い犬が現われ、彼と生活をともにするようになる、というものだ。

 妻の死からしばらくして姿を見せるようになったその白い犬が、本書の解説にもあるように、サムの「結婚生活の化身」であることは間違いないだろうし、おそらくサム自身もなんとはなしに悟っていたのではないだろうか。でなければ、マディソン郡で行なわれる同窓会――サムとその妻コウラが出会った学校の同窓会にその犬を連れていこうとはしなかっただろうし、おんぼろトラックで長い道のりをかけてやってきておきながら、けっきょく同窓会に参加しなかった理由の説明がつかなくなる。サムにとって大切なのは、学生だった頃のさまざまな思い出の中でも、コウラとの出会いに関するものであり、同窓会に参加して老いた友人たちと思い出をあたためるよりも、妻と出会った場所で、誰にも邪魔されずに思い出にひたることであった。そしてその場にいてもいいのは、けっして吠えたてたりすることのない、「結婚生活の化身」である白い犬だけなのだ。

 老いてなお、自分の思うような生き方をつづける、という意味では、『老人と海』のサンチャゴも、本書のサムも、ともに頑固でやせ我慢の好きな親父、ということになるのだろう。ふたりがともに、海と大地という違い、そして漁師と植木屋という違いはあれ、自然とじかに接するような仕事を誇りを持ってつづけてきた、ということも。ただ、『老人と海』が雄大な自然にちっぽけな人間が挑戦する、という点に主題が置かれていたのに対して、本書では人と人との関係が主題であると言えるだろう。サムとコウラの関係はその最たるものであるが、葬式に参列するたびに少なくなっていく古い時代の友人たちとの関係や、息子や娘たちとの関係など、多くの人たちがサムの周囲を取り巻いている、という感がある。

 そしてそろいもそろって良い人たちだ。親の遺産をめぐって泥沼のような争いをつづける子どもたちや、夫にかけられた保険金目当てに殺害を計画したり、あるいは徐々に冷めていく夫婦関係、あげくの不倫や離婚といった騒ぎが、すでに日常茶飯事のように思われがちが今日において、しみじみと故人を「良い人」として懐古する友人たちや、多少おせっかいがすぎるところがあるものの、父親の身を案じている子どもたちの姿、そして妻との長い結婚生活を大切な思い出として、それを支えに余生を暮らそうと思えるような夫婦の関係は、物語としては平凡かもしれないが、じつはそれこそが人間にとって大切なことなのだということを、あらためて私たちに教えてくれる。

 人間に限らず、すべての生き物は生きていくうえで何かを奪ったり、また奪われたりということを繰り返すものだ。それが生き物としての本能であり、まただからこそそこに、人間としてのリアリティを求めることもできるのかもしれない。だが、そうした醜い本性を越えたところに、人間としてあるべき姿を問いかけることこそ、あるいは今の世の中に必要なことではないだろうか。『老人と海』的なハードボイルドとは異なるが、本書もまた人間だからこその生き様を示した作品だと言うことができるだろう。(2002.11.11)

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