【評論社】
『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』

リチャード・アダムズ著/神宮輝夫訳 

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 苦境に立たされたときにどのような行動をとるかによって、人は大きく2種類に分けることができる。ひとつは、その苦境にすっかりうちのめされて無気力になり、ただ我が身の不幸を嘆いて自分をなぐさめる者、もうひとつは、その苦境をひとつのチャンスと考え、頭をはたらかせたり行動を起こしたりすることで、さらに自分を高めようとする者である。基本的に、人は平穏と安定を求める生き物であるが、あまりに変化に乏しい日常というものは、人から創意工夫する力を奪い、怠惰を生み出す原因にもなる。そういう意味では、苦境や困難というのは人の成長をうながすためのカンフル剤的な役割をはたすものだと言うことができるのかもしれない。

 ところで私は今、対象を人間に限定してここまで述べてきたわけであるが、こうした傾向がけっして人間だけのものでないことは、たとえば人に飼育された動物と、厳しい自然のなかで生きる野生の動物との違いを考えればよくわかると思う。食糧の確保や天敵の脅威、グループをつくる種類の動物であれば、その中での勢力争いなど、ひとつひとつの問題が生死に直接かかわってくるものであるだけに、多くの危険に満ちた野生の動物たちもまた、生き残るため、子孫を残すために、おのれの体に擬態をほどこしたり、他の動物と共存関係を結んだりと、じつにさまざまな策略をめぐらしているし、またそうした能力に秀でている者のみが生き残ることができるのだ。そして、動物たちの世界というのは、天敵というものを持たない私たち人間の世界とは異なり、そのぶんだけハードであると同時に、そのぶんだけ多くのドラマに溢れてもいるのだ。

 本書『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』について簡単に説明するなら、まさに次のような感じになるだろう。うさぎたちの、うさぎたちによる、うさぎたちのための物語――ニューベリーにあるうさぎたちの村で平穏に暮らしてきたヘイズルをはじめとする何匹かのうさぎたちが、村に迫る未曾有の危機を察知し、新天地を求めて危険に満ちた放浪の旅を開始する、というストーリーは、ある意味では典型的な冒険譚の流れを汲むものであり、それ自体はけっして目新しいものではない。だが、本書がたんなる冒険譚であることを越えて、読者に感銘を与える要素があるとすれば、それはうさぎという動物の生態について熟知していることから生まれてくるリアルさをまったく崩すことなく、なお著者の想像力によって、うさぎたちそれぞれに素晴らしい個性が与えられ、波瀾万丈の冒険物語として完成している、という一点に尽きるだろう。

 おもに児童書を中心として、人間以外の動物が主人公となって冒険を繰り広げる物語は数多いが、自然のなかで生きる動物たちが、多くの困難にさらされていることを考えれば、それだけ物語の材料には事欠かない、と言うことはできるだろう。だが、現実のリアルな動物たちの世界と、想像力がもたらす虚構の世界との差異は、人間がけっきょくのところ人間としての価値観から逃れるのが難しいがゆえに、なかなか融合させることができない、というのが現実ではないだろうか。そしてその差異は、ときに動物を主人公にしているにもかかわらず、どこか人間臭さをただよわせる、という事態を引き起こすことになる。

 本書もまた、そうした要素がまったくない、と言いきることはできない。しかし、少なくとも「うさぎから見た世界」ということを常に意識し、うさぎ独自の視点、うさぎ独自の思考、うさぎ独自の行動という点を徹底させようとしていることは明らかだ。人間の目から見たとき、ほんの数キロ四方の小さな自然を舞台に、うさぎたちが移動していくという、それだけのことを書いているにすぎないのに、うさぎから見た視点で物語を書くことを徹底することで、まったく違った世界が読者の前に展開されることになる。自動車は嫌な煙を吐くフルドドとなり、ゆるやかな小川は激流となって立ちはだかり、犬や猫といった愛玩動物でさえ、命を奪いかねない「千の敵」のひとつと化すのだ。

 そこには、私たちの身近に存在しながら、しかし私たちのまったく知らないもうひとつの世界がたしかにある。独自の神話や伝説を持ち、独自の社会を構成して生きていくうさぎたち――そういう意味では、剣も魔法も出てこないが、別世界を舞台としたファンタジーという位置づけは的を射たものだと言えよう。

 もちろん、純粋に読み物として楽しんでもまったく問題ない。古い因襲にとらわれることのない新しい発想と行動力で、仲間たちの信頼を勝ち取っていくヘイズルはもちろんのこと、喧嘩っぱやくて向こう見ずなところがあるものの、もっとも頼りになる戦士であるビグウィグや、神懸り的洞察力で仲間のピンチを何度も救うファイバー、理知的な思考の持ち主で、斬新なアイディアをあみだすブラックベリ、物語を語らせたら右に出るもののないダンディライアンなど、じつに個性あふれるうさぎたちが、お互いの足りない部分を補い合うようにして助け合い、さまざまな危機を乗り越えて成長していく様子は、本書の醍醐味のひとつであることに間違いない。

 人間たる私たち読者は、本書のなかにあるうさぎたちの世界に没入し、登場するうさぎたちと一体になって物語を楽しむかたわら、ふと人間の視点に立ち戻り、まるで全体を俯瞰するかのように物語を楽しむこともできる。そしてそのとき、ヘイズルたちの成長や、カウスリップの村の存在、あるいはエルラファを支配するウーンドウォートの独裁といったものの中に、多くの寓意性が含まれていることを知ることになる。生きのびるために新天地を目指し、子孫を繁栄させるために必要と思える事柄を、次々と実行に移していくうさぎたち――そこには、私たちが生きる現実と虚構との理想的な融合の、ひとつの形がたしかにあるのだ。

 うさぎたちの、うさぎたちによる、うさぎたちのための物語――しかし、苦境に立ち向かい、新しいことに挑戦していくヘイズルたちの生き様は、私たち人間にも強く訴える何かを持っている。そしてその「何か」は、教訓的な言葉ではなく、本書のような物語によってのみ伝えられるものではないだろうか。(2002.04.15)

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