【小学館】
『ウォールデン 森の生活』

ヘンリー・D・ソロー著/今泉吉晴訳 

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 ずっと昔、私がまだ小さな子どもだった頃にいだいていた夢のなかのひとつに、将来はキャンピングカーを購入して、そこで悠々自適の生活をする、というのがあったのをふと思い出した。

 なんでそんなことを夢想していたのか、とくに深く考えることもなく現在にいたり、当然のことというべきなのか、キャンピングカーも、自分の持ち家もないという独身男の街道をまっしぐらに驀進している私だが、ここ何年かつづいた、マンション購入のしつこい電話勧誘の手口にほとほと閉口させられた不愉快な経験から、自分はもしかしたら、どこかの土地で定住するという生活に無意識のうちに抵抗を感じているのではないか、と思いいたるようになっている。

 キャンピングカーで生活するという発想は、言ってみれば移動する家への願望だ。車でありながら、同時に家としても機能するキャンピングカーは、その気になればいつでも今住んでいる場所から移動ができるというのがメリットである。むろん、キャンピングカーはあくまでキャンピングカーであって、家ではない。そこで長く生活していくにはいろいろと問題があるのはたしかだが、重要なのは、キャンピングカーで暮らすことがどうこうということではなく、どこかの土地に、何十年ものローンを払いつづける覚悟をしてまで自分の持ち家や、あるいは分譲マンションの一室を購入するという行為に対して、私がいだかずにはいられないこのうえない違和感のほうである。

 なぜ、そこまで無理をする必要があるのだろうか。しつこいマンションの勧誘員たちは、言葉巧みに私の意識を誘導するための文句を並べ立てたが、それでもなおどうしてもぬぐえない違和感は、おそらく持ち家を購入するという行為と、そこからつながっていく生活が、私にとって大きな負担だと感じているからこそのものだと言える。そしてそんなふうに自分の気持ちがはっきりしてきたのは、今回紹介する本書『ウォールデン 森の生活』を読んだからでもあるのだ。

 文明化した人の人生の目的が、未開の人のそれと比べ、格段の価値があるとはいえず、実際、暮らしのほとんどを、ただ暮らしに必要な物と心地よさを追い求めるために費やすとしたら、なぜ、文明化した人は未開の人より良い住居に住む必要があるのでしょうか?

 本書の著者であるヘンリー・D・ソローは、一八四五年七月から約二年間、現在のアメリカのマサチューセッツ州、コンコードにあるウォールデン池のほとりに簡素な家を自分で建て、森の中でたったひとり、自給自足の生活を実践した。本書はそのときの記録であるが、それは著者にとって、ひとりの人間が自力で手に入れることができる、生活に必要な最低限のものは何なのかを見極めるための実験という側面をもっていたのはもちろんであるが、それ以上に重要な意味をもっていたのは、他ならぬ自然のなかにその身を置いて生きていく、という点だと言える。そして、ここでいう「自然」とは、たんにウォールデン池とその外に広がっている森といった、文字通りの自然だけではなく、自身の内側にある自然、ようするに「自然体」で生きることを指してもいる。

 人が本を著するとき、そこにはその人の表現したいと思う事柄があり、それゆえに私は書評を書くときに、著者はなぜこの作品を書こうと決意したのか、という点についてまず考えをめぐらせることになるのだが、こと本書にかんして言うなら、私の心をとらえたのは本書と著者との関係というよりも、むしろ著者とその生き方そのものとの関係だった。なぜソローは、このような生き方をしたのか、という疑問――それは他ならぬ本書が、そのまま人が生きるための本であるということと、けっして無関係ではない。

 人間社会という枠から一度外に出て、森の中に小さな住まいをもち、自分が食べるだけの食料を育て、そして日々移りゆくコンコードの自然に目を向け、そのなかから得られる発見や体験を確実に自分のものとしていく生活――まるで隠遁した老詩人のようなその簡素極まりない生活の様子は、しかし簡素であるからこそ、その視線は自分の周囲に広がっている、本当に豊かな自然の姿をとらえていく。じっさい、著者がとらえる自然の姿はじつに多彩で、とりわけ人間社会に溢れているさまざまな雑音から解放された著者の耳が、まるで極上の音楽のように、豊かな自然の中に満ちている音を聞きとっていく様子は、私たち読者に、自分たちの周囲に生きているのは人間だけではない、というあたりまえの事実にあらためて気づかせてくれる。

 本書は十九世紀を生きた人によって書かれた古典であり、それゆえにその表現の裏に隠された意味について、多くの注釈を必要とする構成となっているが、それでもなお、今を生きる私たち読者に問いかけてくるものは、けっして軽いものではない。じっさい、本書を読み進めていくと、自然界のマクロとミクロにおける共通点の指摘や、自然を見る目から得られる鋭い洞察力など、数々の注目すべき点があるのだが、なかでも私がもっとも感銘を受けた事柄は、そのシンプルな生き方に対する考え方である。人間が本当に生きていくのに必要なものは何なのか、という問い――それは、とりもなおさず人間もまた動物の一種としてとらえることへとつながっていくのだが、そんなふうに考えを突きつめていくと、今の私たちは、人間社会の中でなんと複雑でややこしい、そしてなんとささいな事柄に縛られて生きているのかと思わずにはいられなくなる。生きるということは、じつは至極シンプルなものなのだ、ということを実践してみせた本書は、あるいは今という閉塞した時代にこそ必要なものであるのかもしれない。

 もちろん、誰もが著者のように生きられるわけではないし、また著者もそんなことを望んでいるわけではない。彼は何よりも、自分が自分らしくあるための生き方を模索していくことを望んだのであって、それがたまたま森の中で生活するということだった。だが、著者が本書のなかで、その身を持って示してくれたシンプルな生き方は、今を生きることに悩みをかかえている多くの人たちにとって、きっと福音となってくれるに違いない。人が生きていくというのは、その生き方を楽しむ心があるかぎり、けっして難しいことではないのだ。(2006.11.29)

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