【新潮社】
『『吾輩は猫である』殺人事件』

奥泉光著 



 よくよく考へて見れば、普段から「面白ひ文学」を目指してゐる著者が、夏目漱石の『吾輩は猫である』の面白さ――猫の目から見ると、人間というのはずいぶん奇妙奇天烈なことばかりしてゐるし、猫だつて人間以上に高尚な議論を戦はせることもある、と考えることの面白さ――に注目したのは、或いは至極当然のことなのかも知らん。そんな著者の力作とも云へる本書『『吾輩は猫である』殺人事件』は、まさにスリルとサスペンス、そして数々の謎と感動に満ちた傑作であるとはじめに断言する。

 夏目漱石の『吾輩は猫である』の最後で、水甕に落ちて死んだ筈の名無し猫が実は上海で生きて居た! しかも、苦沙弥先生が何者かの手によつて殺害されて居た! 果たして容疑者は誰なのか? 今ではもうレトロ調とも云へるあの名無し猫の語り口は其のままに、独逸猫の将軍君や仏蘭西猫の伯爵君、又かつて中国の孫文に飼われてゐたといふ虎君や、果てはホームズ君(三毛猫ホームズでは無い、念のため)やワトソン君といつた猫たちが入り混じつて、史上初の猫による苦沙弥氏殺害に関する推理合戦をおこなふことになるのだが……。

 本書の何がすごいつて、兎に角謎や伏線の膨大さに圧倒される。事件後の寒月氏の失踪、曾呂崎氏による時間に関する研究、「メルクリウスの猫」、苦沙弥宅に隠された秘密、迷亭氏と甘木医師による麻薬密輸入への関わりと云つた、諸猫による推理が進むにつれて次々と出てくる新事実に加え、名無し猫がみたと云ふ奇妙な夢の謎、又名無し猫が乗つてきたと云ふ船で、独仙や多々良三平、鈴木藤十郎と云つたなつかしのメンバーが勢ぞろひするばかりか、死んだ筈の三毛子嬢とまで再会し、更にはホームズの宿敵モリアチーやロシアの魔術師ラスプチンまでが登場するのである。しかも驚くべき事は、ここまで原作の内容を逸脱した物語――或ひは原作の内容から可能なかぎり想像力を膨らませることで書かれた物語、と云つたほうがいいのかも知らんが――であるにもかかわらず、原作の雰囲気を飽く迄維持し続けて居る、と云ふ事である。

 かつて人間の顔を薬缶のやうだと評した名無し猫の人間観察の妙は、本書の舞台である上海でも健在だ。麻雀の「白牌」も、彼に掛かると「なかには彫るのがたうとう面倒になったのか白いのつぺらばう」になつて仕舞ひ、麻雀の様子も「沢山の象牙を二段に積んでは一つづつ順番に崩して、ポンだとかチーだとか口にしながら折角苦労して積んだものを又壊して仕舞ふ」と片づけられて仕舞ふ、あの妙なおかしさが本書のなかでもしつかりと息づいて居る。文体其のものにも相当気を使つており、なんとかあの二十世紀初頭の日本文学に漂ふ雰囲気を生み出さうと努めて居るが、それは見事に成功して居ると云へよう。

 然し猫達による推理合戦からはじまつた物語の後半は、飽く迄劇的に進行する。思ひもよらぬ事件に否応無く巻き込まれて行く諸猫達、次々と明らかにされて行く謎、そして世紀の大実験――本書に多くの謎や伏線が張られて居るのは前にも記したが、それらがある一点に向かつて収束して行くとき、そもそも何故名無し猫には名前が無いのか、そして彼はどこからやつて来たのか、と云ふ根源的な謎が浮かび上がつて来る。
 さう、『吾輩は猫である』に出てくる猫には、何故名前が無いのか? 原作の著者夏目漱石がだういう積りで主人公の猫に名前をつけなかつたのか、今ではもう知る術も無いが、奥泉光の手にかかると、一見だうでも良さそうな謎も、とたんに神秘性を帯びて来る。この想像力のたくましさにはただただ脱帽するしかない。

 夏目漱石は時代を経てついにお札の絵柄にまでなつてしまつたが、彼の生み出した名無し猫もまた、文字どほり時間と空間を超えて生き続けて居るやうだ。著者が本書に仕掛けた壮大な真相を、是非とも味わつてもらいたいものである。(1999.03.17)

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