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『大聖堂―果てしなき世界』

ケン・フォレット著/戸田裕之訳 



 人間社会のなかで生きる私たちは、さまざまな決まりごとや法律にしたがって生きることを求められているし、そうでなくとも多かれ少なかれ何らかのしがらみに縛られて生きざるを得ないところがある。それは、自分以外の多くの他者とともに暮らしていく以上、ある程度は必要なものであるし、またそうした決まりごとによって自分の得るべき権利が守られている部分もあるのだが、いっぽうで、旧来のしきたりが時代の変化によって有名無実化していたり、逆に多くの人たちの不利益を招くような事態を引き起こすことも事実である。

 世の中は常に変化をつづけてとどまることはなく、それに従って私たちも、そして社会もより良い方向に変わっていく必要がある。誰もが自由気ままに生きることを許しては、力こそが正義の無法地帯となって社会は崩壊してしまうが、ありとあらゆる自由が極端に制限されてしまっては、その社会は時代の変化についていけず、動脈硬化を引き起こしてしまう。新しい発見やそれまでにない技術、柔軟な発想は、まさにそうした自由から生じるものであり、それが多くの人たちにとってより有益なものであるのなら、きちんと認められていくはずのものでもある。だが、そうした変化はかならずしも好意的に迎えられるわけではない。変化するということは、それまでにない未知の領域へと踏み込むということであり、そして人は、未知のものに対する恐怖をいだく生き物でもある。変化は世界の必然ではあるが、そのことを快く思わない人というのは、存外に多いものなのだ。

 本書『大聖堂―果てしなき世界』は、前作『大聖堂』から200年後のキングズブリッジを舞台とした作品であるが、一番大きなテーマとして、物語を推し進めていく原動力となっているのが「自由獲得のための戦い」だと言うことができる。そして、そのなかでももっとも象徴的な動きとして、キングズブリッジの自由都市としての認可というものがある。一握りの領主による封建的な支配からの脱却――キングズブリッジの場合、その領主とは修道院であり、聖堂区ギルドということになる。

 前作をご存知の方であれば、かつてフィリップ修道院長を中心としたキングズブリッジ修道院が、土地の貴族たちのもつ権力を相手に飽くなき戦いをつづけたことは周知のことであるが、それから200年が経過した本書の世界では、その修道院自体が大きな富と権力を保持し、既得権益の保守のために人々の自由を束縛する象徴と化していることに、ちょっとした感慨に似た思いをいだくかもしれない。そしてこうした時代の変化――キングズブリッジ修道院の権力の増加と保守への兆しの要素は、物語の冒頭における貧しい労働者の娘であるグウェンダの、大聖堂内で貴族の財布を盗むという行為と、それが決定打となって修道院に土地を差し出さざるを得なくなったある領主という形で表われている。それは、修道院という場所がもはや神聖な場所という要素を失いかけているということであり、また修道院が広大な土地を所有する領主的な立場にあるということを、何より雄弁に物語るエピソードでもある。

 しかし、そのエピソードがあって、はじめて主要な登場人物たちの物語が動き始めることになる。土地を失い、貴族としての地位も失った領主のふたりの息子のうち、兄のマーティンは大工の徒弟となり、これまでにない斬新なアイディアを次々と生み出していくなど、若いながらもその才能を発揮していくものの、そのありあまる才能は親方であるエルフリックの妬みを買い、なかなか納得のいく仕事を得られない状態にある。幼い頃から身体が強く、また暴力的な性格の片鱗を見せていた弟のラルフは、シャーリング伯の騎士見習いとなったが、出世して両親が失った地位を取り戻すという野望は、彼の努力とは裏腹になかなか認めてもらえないでいる。ある出来事がきっかけでリチャードたちと知り合った羊毛職人の娘カリスは、医者になりたいという夢をもっているものの、女は医者にはなれないという現実の壁を前にして、自分がこれからどうすべきなのかを見出せないでいるし、先程も登場したグウェンダは、裕福な農家の息子ウルフリックにぞっこんで、彼と結婚することを夢みているが、そのウルフリックは、アネットという女性のことしか頭にない。

 それぞれがそれぞれにやりたいことや叶えたい夢、あるいは野望などをいだいているものの、既得権益をもつ権力者の存在がその実現の大きな障害となって立ちふさがっており、ことあるごとに挫折したり、それでもあきらめきれなかったり、妙な因果で前進したり、という紆余曲折は前作同様、本書の読みどころのひとつであることは間違いない。それは良くも悪くも、個人が個人としての思いを遂げるための努力を認め、より自由に生きていこうとするひとつの流れでもある。そしてより大きな流れとして、キングズブリッジというひとつの街が自由都市としての道を歩みはじめるというものがあり、それは街を結ぶ橋の崩落という大事件によって動きはじめていく。

 橋は街の生命線であり、それがなくては街の商売は成り立たなくなってしまう。だが橋の再建のためには、修道院長の認可が必要不可欠であり、その修道院長は事故に巻き込まれて死亡しているという状況――この不幸な事故をうまく利用し、さまざまな策略や陰謀のはてにあらたな修道院長の座を勝ち取った人物がゴドウィンという名の修道士だったが、当初は改革路線をとなえていた彼は、いざ権力の座に収まるとあっさり保守派に転換してしまい、ことあるごとに街のギルドと対立することになる。そしてこの対立が、物語全体を貫く大きなテーマであることは上述のとおりである。

 多くの人の命を奪うことになった橋の崩落をはじめとして、魔女裁判やフランスとの戦争、さらにはペストの大流行といった事件が次々と降りかかってくるだけでなく、ゴドウィンやエルフリック、あるいは後に伯爵の地位を得ることになるラルフなど、大きな権力を握った難敵たちが、ことあるごとにマーティンたちの望みを打ち壊し、街の発展ではなく自身の個人的な欲望や歪んだ信仰を優先させようともくろんでくる。そういった大きな力を前に、力なき者たちがいかにして知恵を絞り、戦っていくかを描くその手法は、前回以上に磨きがかかっていて、読む人を惹きつけてやまないものがあるのだが、こと本書にかんしてとくに目立っているのが、女性たちの強さである。たとえばキングズブリッジで大工として認められないという状況に意気消沈していたマーティンをことあるごとに励まし、前に進ませていったのはカリスであるし、グウェンダは自身のささやかな幸せのためなら外道な男たちを殺すことさえためらわない強さをもっている。修道院長となったゴドウィンでさえ、じっさいはその母親であるペトラニッラの欲望を満たすための道具であるという側面がある。その他にも、病人の看病に凛とした態度で臨む女子修道院長のセリシアや、実体験にもとづいた薬学で人々の病気や怪我を治療するマティ・ワイズなど、本書に登場する女性たちはいずれもたくましい心と、不当な抑圧にはけっして屈しないという強い勇気の持ち主であり、そんな彼女たちの生きざまは、本書に登場する男たちだけでなく、私たち読者の心さえ打つものがある。

 この一人一人にそれぞれの人生があるのだ。どの人生も豊かで複雑で、過去には様々なドラマがあり、未来には夢がある。幸せな思い出もあれば、悲しい秘密もある。そこには数え切れないほどの味方が、敵が、そして愛する人がいる。

 前作におけるトム・ビルダーが「いつか自分の手で大聖堂を建てたい」という望みをいだいていたように、すぐれた建築職人としての腕をもつマーティンもまた、イングランドで一番高い建物を建てたいという夢をいだいていた。それは、彼がトム・ビルダーの遠い子孫にあたるという設定によるものであるのだが、物語当初のマーティンは、弟のラルフのように騎士となって家族の名誉を回復したいと望んでおり、「イングランドで一番高い建物を建てたい」という思いは、彼を動かす不屈の闘志の源泉となっているというわけではなく、むしろ独立精神の強いカリスとの仲がどのように進展していくのかが本書の読みどころとなっている部分も大きい。しかしながら、さまざまな苦難を乗り越えた末に、自分たちの望むものを手に入れた彼らが、そのもっとも高い場所から世界を見晴るかしたとき、そこに広がる文字どおりの「果てしなき世界」は、個人的な欲望にとどまらない、より大きな何かを彼らに指し示すことになる。上中下巻、全部で2000ページを超える、前作以上の大長編であるが、その長さを補ってあまりある壮大な人間ドラマが、本書にはたしかにある。(2010.01.08)

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