【早川書房】
『大はずれ殺人事件』

クレイグ・ライス著 



 火のない所に煙が立たないのと同じように、動機のないところに殺人は成立しない。もちろん、世の中には快楽のための殺人や、人を殺すこと自体が目的と化した無差別殺人もあるにはあるが、それはけっして動機が存在しないのではなく、殺人者の思考内では成立している動機が、社会の一般常識からあまりにもかけ離れているため、人々にとってその動機が理解不能であるという、それだけのことにすぎないのだ。そして、少なくともミステリーの世界が、一般常識を有している読者を対象としている以上、たとえそれが虚構であったとしても、いや、むしろ虚構であるからこそ、ひとつの殺人事件に対する動機と手口は理路整然としたものである必要があるだろう。

 本書『大はずれ殺人事件』について語るべきことは多くあるが、そのもっとも注目すべき点として挙げられるのは、本来なら対となっているべき殺人犯とその動機が分離してしまっており、そのふたつを結びつけることを、少なくとも表面上の謎として提示することによって、本書全体がより質の高いミステリーとなっていることである。

 もう少しわかりやすく説明するために、まず本書のストーリーを簡単に紹介してみよう。本書の冒頭で語られるのは、ひとりの男の死である。クリスマスシーズンで最高にごった返す、ふたつのストリートの交差点で、白昼堂々と行なわれた銃殺事件は、人々の雑踏を隠れ蓑にした大胆不敵なもので、それゆえに犯人の目撃者も特定できない状態であることが明らかにされる。
 その次に、その事件の前日に行なわれた、あるパーティーでの「賭け」が語られる。それは、シカゴ社交界の有名人であり、しばしば新聞のゴシップを賑わせる言動を繰り返すモーナ・マクレーンが、大胆にも「殺人予告」をおこない、自分を犯人として挙げることができれば、巨万の富をもたらす<カジノ>を進呈する、というものである。

「殺されても誰も嘆かず」、「個人的に殺す動機を持っている人間」を「公共の道路上で、白昼、射殺」――モーナ・マクレーンが示した殺人予告の5つの条件のうち、じつに4つまで合致する殺人事件が、賭けをした翌日に現実として起こってしまった、ということになる。はたしてこれはたんなる偶然なのか、それとも……という具合に話がつづくことになるのだが、これまでの話の流れで言えば、当然のことながら真っ先に容疑者として浮かんでくるのはモーナ・マクレーンということになる。じっさい、彼女と賭けをした、今は無職の身であるジェーク・ジャスタスは喜び勇んで、結婚した当日であるにもかかわらず、新婚旅行そっちのけで、最後に残された条件、つまりモーナ・マクレーンの犯行動機を見つけるために奔走することになるのだが、よくよく考えてみれば、彼女の示した賭けの条件が、賭けとしてはまったく無意味なものであることは、すぐにわかるはずだ。
 なぜなら、そこには犯行日時という条件が抜けており、それゆえにたとえば50年後であってもいい、ということになってしまうし、かといって犯行日時を設定してしまえば問答無用の現行犯であり、賭けどころではなくなってしまうからである。

 こうした点をきちんとふまえて本書を読み進めていくと、犯人と被害者がはっきりしているにもかかわらず、いっこうに明確にならない犯行動機を求めてあちこち探りを入れるジェークたちの一連の行動自体がひとつのユーモアであり、ミステリーというよりも、むしろ登場人物たちのドタバタを描いたユーモア小説としての要素が強い作品だと言えなくもない。

 ときには事故を起こさないのが奇跡のようなとんでもない粗暴運転で、同乗者たちの血を凍らせ、ときには女優顔負けの名演技でピンチを切り抜けてしまうヘレンや、もともとなりたいとも思っていなかった殺人課の警部になってしまい、ただでさえ日々のいまいましい事件に頭を悩ませているところに、今回の事件と例の「賭け」のせいで捜査をさんざんひっかき回されて爆発寸前のダニエル・フォン・フラナガン、たいした考えもなしに被害者の住んでいた部屋に忍び込み、警官にとっつかまってしまったりする、いいところなしのジェークや、そんな彼の尻拭いをさせられている感のある刑事弁護士のマーロン――いずれも負けず劣らずの強い個性の持ち主であり、事件とは関係のないところで繰り広げられる、漫才のように軽快な言葉のやりとりは、たしかに本書の大きな魅力である。とくに、物語が進むにつれて、ジェーク以上に事件の解決に熱中してしまうヘレンの破天荒ぶりは秀逸で、さすがのジェークも、自分たちが結婚したばかりであるということを彼女に説き伏せなければならなくなったくらいだ。

 ジェークたちをつけ狙うチンピラたちは、そろってどこか間が抜けているし、モーナ・マクレーンの犯行動機を探しているのに、出てくるのは彼女以外の人間の動機ばかり、肝心の事件の真相は二転三転して迷走しっぱなし、そしてそんななか、以前と同じように不敵な笑みを浮かべるモーナ・マクレーン――あるいは、殺人という重い事実を「賭け」にしてしまうこと自体に抵抗を感じてしまう方もいらっしゃるかもしれないが、そもそも結婚初夜からヘレンの粗暴運転で別れ別れになってしまい、いっしょになったと思ったら、知らないうちに殺人事件という非日常に深く巻きこまれてしまっているというストーリー展開は、結婚という人生最大のイベントが晴れやかなものであるがゆえに、どこか滑稽で面白いと言わなければならないだろう。

 じつは、私が最初に指摘したように、モーナ・マクレーンの「賭け」は、日時こそ指定されていないが、姉妹作『大あたり殺人事件』があるという事実から考えても、ある意味では続行しているようだ。彼女とジェークの<カジノ>を賭けた大勝負の行方が気になる方は、ぜひ本書『大はずれ殺人事件』と『大あたり殺人事件』をペアで読んでもらいたい。(2002.01.30)

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