【ベースボールマガジン社】
『ワールドカップで国歌斉唱!』

いとうやまね著 



 失敗したなあ、というのが、私の素直な感想だ。

 本書『ワールドカップで国歌斉唱!』である。失敗、と言っても、別にこの本が面白くなかった、ということではない。読む時期を誤ってしまった、という意味だ。もしこの本を、今年開催された日韓共催のサッカーワールドカップの前に読んでいたとしたら、私はおそらくサッカーの試合内容だけでなく、試合前に唄われる両国の国歌斉唱のときも、これまでとはまったく異なった心持ちで聴いていたことだろう。それがありありと想像できるだけの中身を持つ本書であるがゆえに、「読む時期を誤った」という気持ちは大きい(もっとも、本書が刊行されたのは2002年5月31日なので、発売された当日にでも買って読み終えていないかぎり、「読む時期」もなにもないのだが……)。次回サッカーワールドカップの開催は4年後のドイツ。前回のフランス大会のとき同様、放送は深夜枠となることだろう。極端に夜に弱く、夜更かしのできない体質である私には、とても起きていられない時間帯である。

 私はふだん、たいしてスポーツ観戦をしているわけではない。そもそも団体競技はあまり好きではない、と言ってもいいくらいだ。だから、国際的なスポーツ競技と国歌斉唱とのあいだにどれくらいの結びつきがあるものなのか、詳しいことは知らないのだが、おそらくサッカー、それも国どおしが戦うワールドカップ級のサッカー大会ほど、多くの国歌を耳にする機会はないのではないだろうか、と思っている。国を代表して戦うスポーツの祭典としては、オリンピックがあまりにも有名であるが、国歌が唄われるのは金メダルをとった国のみであるし、高校野球だって、1回の攻撃が終わったあと、双方の校歌が流れるようになったのは、つい数年前のことである。

 サッカーワールドカップでは、試合前に双方の国歌が斉唱される。それもサポーターたちの大合唱付きである。おそらく、今年のワールドカップで運良く日本の試合を観戦できた日本人たちも、ふだんはどう思っているのかはともかく、その場ではきっと「君が代」を口ずさんでいたことだろう。著者のいとうやまねは、1998年のフランスサッカーワールドカップで、チリの選手が、監督が、そしてサポーターたちが自国の国歌を熱唱するのをテレビでまのあたりにして以来、サッカーよりも各国の国歌のほうに興味を奪われてしまった方である。

 というわけで、本書はサッカーワールドカップの本、というよりは、むしろ国歌の本――今年のワールドカップに出場をはたした国(そして残念ながら本大会に進めなかった一部の国)の国歌と、その歴史的背景について書かれている本なのだ。といっても、けっしておカタイ印象ではなく、それぞれの国が抱える国歌の、ちょっとしたよもやま話、という感じで、スナック菓子のように気軽に読めるところがいい。

 それにしても、本当にいろいろな国歌があって面白い。十何番近くまである長い国歌や、歌だけでなくイントロまで長い国歌、歌詞の存在しない国家、物語調であるがゆえに、1番だけ唄われても何のことだかさっぱりわからない国歌、わけあって1番と2番が唄えない国歌、あまりにも複雑でまともに唄える国民の少ない国歌……などなど。だが、大半の国歌に共通して言えることは、これは著者も「あとがき」で触れていることだが、独立をはたした時の気運、溢れるようなエネルギーを色濃く残していることが実感できる、ということだろう。中南米の国々の国歌は、ヨーロッパ諸国の植民地支配から独立したときの熱気もそのままに、「独立か死か」といった激しさが歌詞に込められていることが多いし、また当のヨーロッパ諸国にしても、かつては王政打倒に燃えていた時期がたしかにあったのだ、ということが、国歌のなかにたしかに残っている。

 私は日本人で、国歌と言えば「君が代」を思い浮かべるのだが、たった32文字覚えれば歌える、短い国歌――他国の国歌が時間などの関係で、公式の場では大幅に省略されたり、1番しか演奏されなかったりすることを考えると、あらためてシンプルな国歌であることを痛感させられる。ちょっとシンプルすぎて、地味な一面ばかり目立ってしまうところが、スポーツ競技に唄われる歌としては難点ではあるのだが。

 ちなみに、本書は「君が代」のことにもしっかり触れている。日本人にとっての「君が代」のイメージはいろいろな問題をはらんでおり、今でも国旗掲揚とともに、巷をにぎわせたりするのだが、著者の立場は一貫している。それは、歌そのものが問題なのではなく、その歌の内容を故意に歪め、自分たちの都合のいいように解釈してしまう人間のほうが問題なのだ、という姿勢である。こうした傾向はかつての日本だけでなく、ナチス時代のドイツや、スターリン時代の旧ソ連についても同じことが言えるようだ。

「君」は天皇である。それは「古今集」の和歌の時代も、第1の『君が代』が作られた当初の目的からいっても明らかである。でも、そのことを問題にするのだったら共和制を唱えればいい。それだけのことだ。

 今年のサッカーワールドカップにおいて、日本代表は素晴らしい成績を残した。稲本は縦横無尽にグラウンドを走り回っていたし、宮原の「ゾロマスク」も目立っていた。ロシア戦ではゴン中山もピッチに立った。中田英寿も良い仕事をしていたと思う。そうした事柄を書いたワールドカップの関連本は多く出版されている。村上龍だっていくつもの本を書いている。そしてまた、審判のジャッジについてもいろいろな疑惑の噴出したワールドカップであり、そのことについて触れた本も多いだろう。だが、本書のようにいわゆるサッカー本がじつは国歌の本、というのは、おそらく本書を読んだ者だけが味わえる驚きではないだろうか。(2002.08.28)

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