【未知谷】
『笑いを売った少年』

ジェイムス・クリュス著/森川弘子訳 



 もしこの世に理想の世界があるとして、それはどんな世界かと問われたとき、今のところもっとも納得のいく、シンプルな答えは「子どもたちが笑顔でいられる世界」である。大人たちの庇護のもとにあって、世知辛い世のなかの現実をまだ知る必要もなく、無邪気な心の動きにまかせて自由に笑うことができる――それは言ってみれば、まだ世間知らずで未熟な子どもであるがゆえの特権ともいうべきものであるが、もしそんな特権すら許されていない世界があるとしたら、それは子どもたちばかりでなく、そこに生きるすべての人たちにとっての不幸だ。なぜならそこには、子どもたちが自由に笑えないような抑圧的状況がはたらいているということであり、そんな世界でどうして私たちが安心して生きていけるというのだろう。

 平和という言葉は戦争の反対語であり、戦争がなければそもそも平和の概念も存在しえなくなるわけだが、もし平和の概念を数量化できるとしたら、その単位はきっと子どもたちの笑顔の数となるに違いない。今回紹介する本書『笑いを売った少年』は、そのタイトルからして象徴的な雰囲気を帯びたものであるが、じっさいに読み終えてまず考えるのは、本書に登場する少年ティム・ターラーの「笑い」にどのような意味合いが込められているのか、という点である。

「――笑いはね、ティム、マーガリンのように売ったり買ったりできる商品じゃないんだよ。笑いを売り買いするのは、まちがいだ。笑いは、売り買いできないんだ。笑いは、自分でかちとるものなんだよ」

 それを耳にした人の心をあたたかくし、怒りや不機嫌といった感情を吹き飛ばしてしまうティムの笑い――最後にはしゃっくりがともなう、特徴的な彼の笑いは、ティム自身のものである物語の最初のほうでは、じつはあまり目立った活躍の場を与えられるわけではない。というのも、三歳のときに母親と死別し、貧しい人たちが暮らす裏通りの、継母のアパートで生活することになったティムの境遇は、けっして楽しいことばかりではないからだ。理由もなく叱りつける継母や、意地悪ばかりしてくる義兄の存在は、むしろティムから笑いの機会を奪う方向にはたらいていたのだが、それでも彼がその笑いを忘れなかったのは、実の父親という大きな支えがあったからに他ならない。
 やがて学校に通うようになり、今までより広い世界を知るようになったティムは、ようやく自分の笑いがもたらす力の片鱗を意識するようになるのだが、その矢先に、大きな支えだった父親が仕事場での事故に巻き込まれて死んでしまう。そして、その心の隙を突くようなタイミングで、ティムの前に謎の紳士L・リュフェットが現われ、彼にある契約をもちかけるのだ。

 それは、紳士のもつ「どんな賭けにも必ず勝てる」能力と、ティムの「笑い」を交換するというもの。競馬場でその力が本物であることを見せつけられたティムは、紳士との契約に応じて自身の笑いを売ってしまうのだが、代わりに手に入れた「どんな賭けにも必ず勝てる」能力――つまるところ莫大な富は、彼にとって幸せをもたらすどころか、余計な厄介ごとの種になるだけだった。しかも笑いを失ったことで、世の中のあらゆる楽しみや愉快なことからも遠ざけられてしまったことに気づかされたティムは、十四歳になったある日、謎の紳士に奪われてしまった自分の笑いを取り戻すため、船乗りとなって旅に出る決意をする……。

 はたしてティムは、無邪気な笑いを取り戻すことができるのか、そしてそれが可能だとすれば、どのような手段をもちいることになるのか? 相手は富や名声だけでなく、まるで魔法でも使うように、本来であれば取引できないようなものを交換することができる、聖書に出てくる悪魔を思わせるリュフェット氏である。か弱い子どもが勇気と知恵をふりしぼって、大きな力をもつ者に対抗し、打ち勝っていくというストーリーは、ファンタジーの要素をもつ児童書の王道のひとつであり、じっさいにティムが手に入れた「どんな賭けにも必ず勝てる」能力をフル活用して、意想外な活路を見出していったり、ふたりが交わした契約の穴を逆に利用したりする展開は、ちょっとしたコン・ゲームを見るような面白さがある。だが、本書を評するにあたってどうしても触れなければならないのは、ティムが売ってしまった「笑い」が何を象徴するのか、という点である。そしてそれは、本書全体を貫くテーマとも密接なつながりをもっているはずである。

 ティムが観た人形劇のなかで、「笑いは人と動物を区別するもの」というフレーズが出てくるが、ひと口に「笑い」といっても、そこにはいろいろな種類の笑いがある。たとえば、人を馬鹿にするときにも、相手に気に入られようとするときにも、人は笑う。だがそうした「嘲笑」や「愛想笑い」といったものは、ある程度その人の意志が介在する、言ってみれば計算された笑いだ。ティムが失い、そして取り戻そうとしている「笑い」は、そうした人間の意志でコントロールできるたぐいの笑いではなく、もっと純粋な――その人の意志とは無関係に湧き上がってきて、ついつい顔に表われてしまうような笑いである。何より、ティムは「嘲笑」や「愛想笑い」ができるほどには成熟してはいない。

 損得勘定や打算とは無縁の笑いとは、子どものもつ無邪気さの象徴である。そしてそれが奪われるということは、子どもらしさそのものの喪失と同義だ。つまり「笑い」を売ったティムは、その瞬間から無理やり大人となることを強制されたようなものだと言うことができる。じっさいに、契約によって自分が笑いを失った事情を他人に話すことを禁じられているティムは、笑いを取り戻すという目的のために独力でものを考え、周囲に気を配り、物事を急速に学んでいくという、きわめて自立した言動をとるようになるのだが、まさにそのせいで、大きな回り道をしてしまうことにもなる。

 複雑で混沌としているかのように思える世界――だが、それは理詰めですべてを理解しようとするがゆえに難しく見えているだけで、本当はもっと単純な形をしているのかもしれない。ティムの笑いを取り戻すための紆余曲折は、けっきょくのところそうした単純な真実にたどり着くための旅だったと言うことができる。そしてその真実は、「まだ笑うことができる全ての人々」にとっての真実でもあるはずだ。そんなふうに思わせるものが、本書にはたしかにある。(2012.02.29)

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