【新潮社】
『林檎の木の下で』

アリス・マンロー著/小竹由美子訳 



 以前、アリステア・マクラウドの『彼方なる歌に耳を澄ませよ』を読んだときに、私は自身の姓のルーツについて書評で触れたことがあるが、今現在の自分がこのような形であるということと、自身がそれまで経てきた過去の出来事とがけっして切り離すことのできないものであるとすれば、そこからさらに時間を遡ったところにあるはずのつながり、たとえば私の両親であるとか祖父母であるとか、さらにその両親や祖父母といった、連綿と続いてきたはずの血のつながりというものもまた、より大きなスケールでけっして無視することのできない重要な要素、ということになってくる。

 自身のルーツを探る、ということ――血のつながりを、過去に向けてずっとたどっていくという行為は、はたしてどのような心持ちのするものであり、またどのような衝動に駆られてのことなのだろうか、とふと考える。たとえば、自分の性質が父親似なのか、あるいは母親似なのか、といった程度のことであれば、なんとなく見当がついたりするのだが、じっさいに会ったこともないような遠いご先祖たちの存在を、まぎれもない自身の存在の一部分として認識していく、というのは、それこそちょっとした信仰と似たようなものがあるのではないか、と思わずにいられない。自分がどの一族に連なるものであるのか、という認識は、それを大事にする一族の家で生まれ育ったものであれば、なかば呼吸をするかのように身につくものなのかもしれない。だが、そうした時代は確実に過去のものとなりつつある。

 相対主義の時代――個人が個人として確立していかざるをえない時代、家族や血脈といった関係も、個人によってはけっして最重要のものではなくなった時代において、本書『林檎の木の下で』という作品は、はたしてどのような意味合いを帯びることになるのだろうか。

 こんなふうに過去を探らないではいられないのだ。怪しげな証拠を選り分け、ばらばらの名前や疑わしい日付や逸話をひとつにつなげ、糸にしがみつき、死んだ人たちと結びついている、だから、生きることと結びついているのだ、と主張しないではいられないのだ。

(『メッセンジャー』より)

 本書は表題作をふくむ12の短編を収めた作品集であるが、そこには著者自身をふくむ一族のことを題材にしている、という一貫した共通点がある。両親のこと、祖父母のこと、さらには、かつてスコットランドのエトリック・ヴァレーと呼ばれる痩せた丘陵地で生まれ育ち、後にカナダへと渡ってくることになる先祖たち――本書を読み進めていくという行為は、そのまま著者の連なっている血脈を、過去から現代へと下っていくことを意味する。第一部は、その土地ではなかば伝説的人物とされているウィリアム・レイドローの時代から、著者の両親の時代まで、第二部ではおもに著者自身が語り手となり、自分自身の過ごしてきた時間を描いている。

 第一部にも、第二部にも、そこに収められた短編のあるタイトルが冠せられているが、それぞれが「良いことは何もない」「家」となっているのは、非常に象徴的である。「良いことは何もない」というのは、著者の遠い祖先が住んでいたという農場地について、ある牧師が書いた純朴な感想であり、「家」というのは、言うまでもなく著者が生まれ育った家、ヒューロン郡の農地に建てられた、両親たちと暮らした家のことである。だが、この『家』という短編において、すでに結婚した著者の生活の場はそこにはないばかりか、母親もすでに死去しており、父親は再婚相手のイルマと新たな生活を営んではいるが、それも父自身の心臓発作もあって、いつまでもそこに残っていられる状況にはないことが書かれている。

 著者にとっては、今の自分につながる過去をはぐくんだ場所である「家」――けっして立派でも素敵でもない、常に貧窮と隣りあわせだった住処は、しかし自身の過去からさらに時間を遡っていったときに、その場を遠く隔てたスコットランドという土地における、かつての先祖が暮らしていたファー・ホープへと読者を導き、そこが「良いことは何もない」と言わしめた丘陵地で、人が生きるには厳しい自然と対峙しなければならなかったというひとつの共通点を見出すことになる。

 じっさい、第一部において著者の祖先やその親戚たちの何人かは、病気や事故といった要因であっけないくらいあっさりと死を迎えていく。そこにはけっして叙情的な雰囲気はなく、あくまで淡々とした調子で描かれているのだが、その自身の一族の過去に対する透徹した姿勢は、まるで第一部における歴史のつづきにすぎないかのように、第二部にも受け継がれていく。そこに書かれているのは、著者自身のことだ。だが、そこであった恋愛や、ちょっとした性的興味や、いかにも少女趣味なロマンチックを求める心といったことも含め、まるで他人のことを書くかのように、自分自身の少女時代を美化していくことなく書き出していく。

 楽しめるような娯楽など何もなく、あるのは厳しくて荒々しい原野のみ、という場所に移り住み、不屈の精神で荒々しい自然を開拓し、まさに生き残るために生きつづけてきた著者の一族――そこには、著者自身が明かすように、ある程度の創作もまじっており、純粋に一族のことを描いたと言うわけにはいかないのかもしれないが、それでもなお、本書のなかには血のつながりという一点で、過去から現在をたしかに結びつけるものがある。少なくとも、本書を読む読者は、そこに一族の人生があり、その連なりのなかに著者自身もいる、という認識を得ることができる。それは、おそらく著者にとって、何よりも強固な自己認識であり、だからこそあくまで叙情に溺れることなく、自分自身を小説の題材として描ききることができている。

 けっして特別なことが書かれているわけではない。だが、ともすればごくありふれた、開拓者一族がたどった人生のつながりは、かつて妖精や幽霊が信じられていた時代から、きわめて現実的な野心とともに新大陸へ向かい、こつこつと土地を広げ、休みなく働きつづけた先祖たちから、そうした過去のつまった土地からさらに離れて暮らしていくひとりの作家の人生に、最終的にたどりつく。その遍歴の妙は、ダイナミズムと呼ぶのとはまた違った感慨を、読者にもたらしてくれる。どの時代に生まれたとしても、楽な人生というものはないし、人々はいろいろなことに悩み、苦しみながらも、いすれはそのことを受け入れて生きていく。そうした人間の静かではあるが粘り強い生き方を、ぜひとも味わってもらいたい。(2008.11.09)

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