【新潮社】
『まずいスープ』

戌井昭人著 



 ひとり暮らしになって、ふだんから自分で料理をするようになって久しいが、ひとつわかってきたのは、けっきょくのところ料理というのは、レシピに書いてあるとおりの材料を集め、レシピどおりの手順に従っていけば、おのずとうまいものを作ることができる、ということである。分量を無視したり、別の材料で代用しようとしたり、変にオリジナリティを出そうとしたりすると、たいていはロクなことにならない。科学の実験のごとく、すべてを正確にやりさえすればうまくいくのが料理なのだ。

 プロの料理人であれば、そうした要素は必須のスキルかもしれない。だが、日々の生活のひとつとして毎日料理をしていくことを迫られる身としては、いついかなるときもレシピどおりの料理を作るというのは、意想外に骨の折れる作業だったりする。レシピどおりの料理というのは、言ってみれば完成されたものである。だが、いつも完璧を求められるというのはしんどいし、なにより面白みに欠ける。たしかに、レシピどおりの料理はうまい。だが、いくら完璧であってもいつも同じというのは、いいかげん飽きてくるのが人情というものである。

 そのスープ、口にして喉を通りすぎ胃の方へ下っていくと、顔がゆがんでしまうような変な味がした。まるで魚の収まっている発泡スチロールの中で溶けている氷を煮込んだような暴力的なまずさで――(中略)――口の中には得体の知れない嫌な感じが残った。

(『まずいスープ』より)

 本書『まずいスープ』は表題作をふくむ3つの作品を収めた短編集だが、いずれの作品にも共通する事柄として、登場人物たちのだらしなさという要素がある。表題作『まずいスープ』の語り手である大宮は、しょっちゅう海外をブラブラ旅する趣味が高じて大学を中退してしまったフリーターであるし、高校生の妹は喫煙がバレで停学中、職を転々として何をしているのか今ひとつよくわからない父親と、気がつくと酒を飲んでいる姿ばかりが目につく母親という、まさにちゃらんぽらんな一家が登場する話なのだが、この父親がある日、なぜかこのうえなくまずい魚のスープを作ったあと、「サウナに行ってくる」と言い残して家を出たまま、行方がわからなくなってしまう。

 小説内で失踪というと、そこになんらかの事件性が絡んでくるのが一般的なのだが、いかんせん語り手の父親というのは、過去に何度もふらっといなくなったり、かと思えば忘れたころにひょっこり帰ってきたりするような性格ゆえに、一週間ほど何の音沙汰も無いという状況になってようやく心配になって、何らかのアクションを起こすという感じである。それも、警察に捜索願を出すとかいったものではなく、せいぜい知り合いの何人かに電話をかけて、そこにいないか確認するといった程度のことで、父親の失踪が語り手の家族の日常を決定的に変えてしまうといった深刻な状況にはならない。母親は多少酒の量が増え、妹が家事をするようになり、語り手は語り手で父がじつはアメリカに腹違いの妹をつくったという情報を知ってしまったりするが、それはそれとして、それぞれがそれぞれの日常を滞りなく続けていく。

 こんなふうに書いてしまうと、どこか情の薄い家族のように見えてしまうのだが、けっして殺伐とした雰囲気があるわけではないし、むしろふつうの家庭であれば相当に深刻な事態であるはずのことがあっても、まるでそれがあたり前であるかのように受け入れて生活していく。このあたりの包容力――悪く言えばだらしなさは、アルバイトに行くはずなのに競輪場で博打をしてしまう『どんぶり』にしろ、夫が出張中に風邪をひいてしまったことを口実に、とことん自堕落な時間を過ごしてしまう『鮒のためいき』にしろ、共通するものを持っている。さらにいえば、これらの作品にはきっちりとした筋書きがあるわけではなく、むしろ荒唐無稽な展開や、謎や秘密があっても投げっぱなしになるようなナンセンスさが溢れている。

 ゆえに、本書の面白さはそのストーリーではなく、むしろ雰囲気にこそある。一風変わった登場人物、ちょっとクセのあるキャラクターたちの日常と、説明不可能な不条理がかもし出す雰囲気――たとえば、割った煎餅で喧嘩をする人や、鳥かごをもって店内をうろうろしている飲み屋の主人、自閉症の子どもたちを集めてクリーニング技術を指導しているクリーニング屋、あるいは突然庭に現われた、鮒の入ったバケツをもった男といった人物の、「なんでもあり」といった雰囲気を楽しむ作品なのだ。

 そしてここには、博打に勝つためにやって来てるのだが、人生の博打の方は賭け方を間違えてばかりの人達が集結してる雰囲気がある。だがこの雰囲気は変に温かく――(中略)――どうでもいいプラスの空気が生じているみたいで、飲み込まれてしまうと結構居心地が良い。

(『どんぶり』より)

 人が理想をもち、その理想の実現を目指して奮闘するというのは、けっして悪いことではない。むしろ立派なことだとさえ言えるのだが、それでその人が幸せになれるわけでない、というのが人としての人生の難しいところであり、また面白いところでもある。理想の人物像、理想の家族――それは言うなれば、レシピどおりに作られた料理だ。そしてそんなふうに考えたとき、本書の表題である『まずいスープ』が、理想といった堅苦しさに縛られない生き方という意味で、レシピどおりの完璧な料理とは対極に位置するものであることに気づくことになる。誰も、まずい料理など食べたくはない。だが、そのまずさはもしかしたら、レシピどおりに作れば必ず再現される完璧な料理などよりも、よほど人間味溢れる味をもっているのかもしれない。(2011.11.13)

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