【人文書院】
『失恋という幸福』

上村くにこ著 



 人はなぜ誰かを恋せずにはいられないのだろう、などと書くと、まるでいかにもありがちなラブソングの歌詞のようであるが、じっさい、誰かに恋をする気持ちほど理不尽で、しかしこのうえなく甘美な心の動きはない、というのは、おそらく万人が認めるところだろう。これは私にも経験あることだが、ふだんどれだけ理知的で、論理的にものを考え、行動するような人であっても、ひとたび誰かに恋をしたとたん、いつもならけっしてありえないような、馬鹿な言動をとってしまう。私の場合、そうした言動が常に裏目に出てしまい、意中の相手をひどく怒らせたり、呆れさせたりする結果となり、そのたびに苦い思いを噛みしめることになるのだが、後になって振り返っても、なぜ自分があのときあんな言動をとってしまったのか、完全に説明できないことがほとんどなのだ。だから、相手がいくら「あなたは自分に都合の悪いことは語ろうとしない。ちゃんと説明してほしい」と私をなじっても、私としては「だって恋しちゃったんだもの」としか答えようがないのである。そして、その答えがさらに相手の心を遠ざけるという悪循環を……。

 いや、べつに私の失恋体験などどうでもいいのだが、ときに人を盲目にさせ、ときに人を愚かにし、ときにはそのために殺人さえ犯してしまうことのある、この恋愛という複雑な感情について、あらためて不思議に思わずにはいられない。岡田斗司夫は『フロン』のなかで、恋愛と結婚と子育ては別のものとして考えたほうがいい、みたいなことを書いているが、ではそもそも恋愛とは何なのか、何が目的で人は恋に落ちるのか、性愛とはどう違うのか、そして恋愛の行き着く先に何が待っているのか、といった根本的な問題は依然大きな命題として、私たちの前に横たわっていると言える。

 ところで、スタンダールという人をご存知だろうか? 彼は19世紀のフランスを代表する小説家のひとりで、『赤と黒』や『パルムの僧院』といった作品を残しているが、じつはその生涯のなかで何人もの女性に恋をした、いわばプレイボーイのような人であったことでも有名である。本書『失恋という幸福』は、そのスタンダールが書いた『恋愛論』を中心に、彼が恋愛という情熱についてどのように分析し、どのような理想をもっていたのか、そのメッセージをわかりやすく解説した本である。

 本書にも書かれているとおり、『恋愛論』は難解な作品である。私も学生のときにちょっと読んでみたことはあるが、おそらくすぐに飽きてしまったのだろう、本書をあらためて読むまで『恋愛論』がスタンダールの著書であることさえ忘れてしまっていたくらいである。本書ではU教授という某私立大学の「恋多き」女教授のところへ、彼女のもと教え子である雑誌社勤務の女性や、U教授の甥で小説家志望の男性が何らかの問題をかかえてやってくる、という形式を通じて、読み進めていくうちにスタンダールの恋愛観についていつのまにか理解できている仕組みになっているのだが、そもそもスタンダールの『恋愛論』など読んだことのない人であっても本書に興味をもてるように、その冒頭からけっこう大胆なことが書かれていたりする。いわく、『恋愛論』は当時の恋愛を成功させるためのマニュアル本ではなく、たったひとりの女性のために書かれた暗号のようなラブレターであったとか、恋のエッセンスとしてもっとも重要なのは失恋であるとスタンダールは考えていたとかetc。

 スタンダールが『恋愛論』というラブレターを書かざるをえなかったほどの女性とは誰なのか、また、なぜ失恋こそが恋愛の醍醐味なのか、といったことについては、ぜひとも本書を読んでたしかめてほしいところであるが、ひとつだけ言えることがあるとすれば、それは本書を通じて見えてくるスタンダールという人物が、恋愛という感情を崇高なものと考え、純粋に恋愛だけに情熱を傾けていった、ということであろう。そのためには、なかば自身の恋愛体験を実験台にして、冷静に観察し分析することさえ楽しもうという姿勢があるのだが、こうして言葉にするのは簡単だが、それがいかに困難な作業であるかということについては、たとえば失恋したときのつらさを知っている人であれば想像できるだろうと思う。

 誰だって失恋の体験はつらいものだし、できれば思い出したくない、ふたをして永遠に封じておきたいたぐいのものだ。だがスタンダールは、まるで傷口に塩をすりこむかのように、しばしば終わってしまったはずの恋に未練を残し、その心の動きをとらえることをやめようとせず、また何度失恋しても、なおあらたな恋愛相手を見つけることもやめようとはしなかった。『恋愛論』のなかには、たとえば結婚しても恋愛をつづけることは妨げにはならないといった、不倫のススメみたいなことや、男性がより恋愛を楽しむために、女性はもっと教養を身につけるべきだ、などといった過激なことが書かれているようであるが、けっきょくは誰かと結婚してあたたかい家族をつくることもなくこの世を去ることになった、見方によっては馬鹿げた生き方を貫いたスタンダールが、少なくとも口先では「君が一番大事」だと言っておきながら、けっきょくは女性をセックスの対象としてしか見ていなかったり、あるいは「いっしょに歩いていて恥ずかしくない恋人を手元に置いておきたい」という男の見栄を満たすためでしかなかったりといった、自分勝手な男たちと比べて、よほど恋愛に対して真摯であると著者が考えたとしても、けっして不思議ではないだろう。

 スタンダールは恋愛を4つに分類し、そのうち「情熱恋愛」――魂が狂気に陥るような恋心のみが本物の恋であり、それこそが人としての幸福であると説いた。人として生まれた以上、ただ生きて死んでいくのではなく、人であるからこそ得られるものがあるはずだ、という思いは、おそらく誰もが一度は考えることであろうが、生物としての本能や虚栄心とかいったものではなく、純粋に相手に惹かれずにはいられない、という心の作用を生涯追い続けていったスタンダールの生き方にくらべれば、私のちょっとした失恋体験も、もしかしたら無駄ではないのかもしれない、と考えられるようになった気がするのである。(2003.12.26)

ホームへ