【早川書房】
『Xの悲劇』

エラリイ・クイーン著/宇野利泰訳 



 ミステリーにおける探偵役をになう登場人物が、ふつうの人たちとくらべて一風変わった気質の持ち主であること――言葉を変えれば、どこか「変人」であるという要素は、いったいどこから出てきたものなのだろうか、とふと考える。そもそも探偵とは、提示された謎に対してしかるべき解答をあたえるために存在するキャラクターであり、そのためには常人では見逃してしまいがちなささやかな事実に注視し、独自の洞察力や直感といったものを駆使する必要がある。つまりふつうの登場人物とくらべて、頭の思考回路がきわめてユニークだからこそ、謎の核心へと一気に踏み込むことができるわけだが、その論理性があまりに飛躍しすぎるがゆえに、周囲の人たちにとってはわけのわからない「変人」扱いされる、という流れが本来のものだと言うことができる。

 だが、いかに探偵といえども人間である以上、どれだけ突飛な言動をとっていたとしても、そのすべてには謎の解明にいたるための論理を構築しているはずである。そして、どんなに不可解な、完全犯罪のように思えるような殺人事件であったとしても、あくまで論理の力によって真犯人を指摘し、使われたトリックを暴きだすことが可能だからこそ、ミステリーはミステリーとして成立する。ようするに、探偵にとって「変人」であるという要素は、けっして必要条件ではないし、まして謎解きの免罪符のごとく使われるべきでもない、ということでもある。

 今回紹介する本書『Xの悲劇』には、ドルリイ・レーンという名の探偵が登場する。老齢に達した元舞台俳優であり、現在は郊外の「ハムレット荘」なる中世の領主屋敷風の邸宅に、数人の年寄りの執事とともに暮らしている彼は、同時に探偵として、過去に何度か、難解な殺人事件において、その真相に迫るためのきわめて重要な助言をおこない、アメリカ社交界においてその名を知られている人物でもある。今回、ニューヨークの市街電車内で起こった殺人事件の件で彼のもとを訪れた地方検事のブルーノとサム警視は、まずはこの時代錯誤的な「ハムレット荘」に、そしてその邸宅のあるじとして違和感なくたたずんでいるドルリイ・レーン本人に圧倒されることになるのだが、とかくシェイクスピアの戯曲からの引用を多用したりするこの老紳士の、ある種の「変人」さを象徴するものとして、本書の冒頭はその役目を遺憾なく発揮していると言える。

「とはいうものの、目下のところは、その獲物の――さしあたってはXと呼んでおきますが――正体を指摘するのを保留しておきたいと思います。共犯関係まで明らかにする自信があるのですが」

 被害者の上着のポケットに、ニコチン毒をしみ込ませた無数の針を刺したコルクという奇妙な凶器を忍び込ませるというその殺害方法は、被害者の日ごろの癖や行動パターンをよく知る者の犯行を思わせるものだったが、その凶器が電車のなかで仕込まれたものであることや、事件後に電車から下りた乗客がいないなど、確かな事柄はいくつもあるにもかかわらず、警察の徹底した調査をもってしても、被害者の知り合いを含む乗客のなかに、犯行を匂わせる物品をもった怪しげな人物を見つけ出すことができなかった。困りはてた警察が藁をもつかむ思いでドルリイ・レーンに助言を求め、事件当時の状況を細大漏らさず伝えたところ、彼はその犯人についてある程度の目星をつけたかのような発言をするものの、なぜかその正体を明かすことを現段階では保留してしまう。それが上述のセリフへとつながるわけであるが、こうしたいかにも探偵めいたほのめかしは、ともすると事件の早期解決を逆に妨げるものとしてミステリーでは機能することが多い。じっさい本書においても、事件に対する有力情報を提供しようとした人物が、警察との接触直前に殺害されるという第二の事件が発生してしまう。

 ドルリイ・レーンという人物について、先に彼の探偵としての名声がある程度確立されていると述べたが、彼に協力をもとめた地方検事と警視は、当初は彼のその推理能力について全幅の信頼をおいているわけではない。とくにサム警視については、ドルリイ・レーンのほのめかしについては「われわれを驚かすためのスタンド・プレイ」だと切り捨ててさえいるし、私たち読者にしても、犯人がわかっているのならなぜ出し惜しみをするような真似をするのか、という疑惑にとらわれる。その後もドルリイ・レーンは、わざわざサム警視そっくりに変装して情報収集するなどといった行動をとったりして、その「変人」ぶりを遺憾なく発揮することになるのだが、彼の探偵としての能力がただのはったりでないことは、物語の中盤、警察が第一の殺人事件の被害者とともに株式仲買会社を経営していたジョン・ドウィットを逮捕したさいに、あるたったひとつの事実をもって彼の有罪を退けてみせることで証明している。

 ここまで本書のことを述べてきて気がつく点があるとすれば、それは本書の提示するミステリーとしての謎が、大きく二種類存在するということだ。ひとつは当然のことながら、今回の一連の殺人事件の犯人が誰なのか、という点であるが、もうひとつは、ドルリイ・レーンという探偵の存在そのものである。なぜ彼は、第一の殺人事件が起こった時点で犯人の特定を避けたのか、その後の彼の謎の行動は何を意味するのか。なぜ彼は、ジョン・ドウィットの逮捕を黙認しておきながら、公判の席でそれをわざわざ退ける証拠を弁護士に提供したのか――いっけんすると、なんとも回りくどく論理的でないドルリイ・レーンの言動が、ただ彼が「変人」である以外のどのような理由によるものなのかという点について、本書では最後の謎解きですべて明らかにしているのだ。そしてそのことで私たちが思い知るのは、ドルリイ・レーンの探偵としての質の高さ――たんに謎を解くことだけに興味のある「変人」というだけでなく、法曹界の事情もふくめた、深く透徹した論理的思考の持ち主だということだ。そしてそれは、そのまま本書のミステリーとしての質の高さへとつながるものでもある。

「しかし、遺憾なことに、われわれがまずもって納得させなければならぬ相手は、法規一点ばりの司法というもので、物的証拠をあくまでも要求するのです。ですからいま、あなたの協力をおねがいしているわけです」

 けっして奇抜なトリックが仕掛けてあるわけではない、ミステリーとしてはよく使われている手口を用いながら、探偵の謎めいた言動もふくめ、あらゆる点で遺漏のない謎解きを展開している本書は、まさにミステリーの醍醐味、謎解きのカタルシスとでもいうべきものを読者に与えてくれるに違いないだけの完成度を、たしかに持ち合わせている。探偵の唯一の武器である論理性――人類の知恵ともいうべき論理の力というものの偉大さを、あらためて思い知らせてくれる本書を、ぜひ一度味わってもらいたい。(2013.02.16)

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