【講談社】
『桃夭記』

井上祐美子著 



 テレビのニュースや新聞の記事などで、毎日のように接する数々の事件――たとえば、ほんのささいなことが原因で人を死にいたらしめたり、金ほしさに強盗をはたらいたり、自分の名誉や保身のために他人を騙したり傷つけたり、あるいは世の中に絶望して自ら命を絶ってしまったりする人たちのことを知るにつけ、そうした犯罪者の、あるいは被害者の、あまりにも浅はかで、ひどく偏ってしまったものの考え方を愚かしく思ういっぽうで、自身もまた、その愚かな人間のひとりであり、いつなんどき彼らのように愚かな言動をしでかすか、じつはわかったものではないという事実に愕然とし、またうんざりしてしまうことがときどきある。

 生きていれば、つらいことや苦しいことはたくさんあるものだし、また先の見えない将来には誰もが不安をつのらせている。せっかくこの世に生まれ落ちたのだから、この世のいろいろな楽しみを享受したい、と考えるのは、人間としてごく当然の欲求だろう。人よりも良い暮らしをしたい、金がほしい、他人にうやまわれたい、いい女をゲットしたい、うまいものを食べたい――しかし、こうした欲望は、えてして際限なく膨らんでいくものである。貧乏人は豊かになりたいと思うし、裕福な者たちはさらに富をたくわえたいと思うものだ。そんなふうに汲々と生きていかざるを得ない、自分もふくめた人々の人生について考えたとき、人間というのはなんと不自由でつまらない生き物であろうか、と柄にもなく思ってしまう。

 本書『桃夭記』は、表題作をふくむ四つの短編を収めた作品集で、いずれも中国を舞台としている。明や清といった時代が類推できるものもあれば、いつの頃の話なのかはっきりしないものもあるが、いずれの短編にも共通して言えるのは、物語全体を支配している、まるで桃源郷を覗き見ているかのような情景や雰囲気の美しさと、それを生み出す筆致の妙である。

 表題作『桃夭記』は、博陵郡王・崔玄暉の末娘、連翹の居室で起こるようになった怪異を、陶周明と名乗る青年が解決してみせる、という話である。この青年、どこからともなく現われて、怪異の原因は古びた桃の木の霊のしわざである、と崔玄暉に告げた道士をいきなり偽物呼ばわりして叩き出してしまうのだが、その道士に代わって怪異を鎮めてみせるとうそぶくわりに、どこか人をくったような図々しさがあって、崔玄暉の甥である劉宗之としてはどうにも気に入らない。しかもこの青年、宗之の連翹への想いを見抜いていたり、これまでひた隠しにしてきた怪異の詳細もすでに知っていたようなところがあり、ますます得体の知れないところがある。はたして周明は、この怪異を解決してみせることができるのか、そしてこの青年の正体は何なのか……。

 『嘯風録』は、科挙に落ちたある若者が故郷に戻るときに体験した、不思議な出来事を描いた作品である。山道に迷ったあげく、ようやくたどり着いた岩穴で、彼はまるで仙人のような世捨て人と出会い、そこで彼は宿賃代わりに都で噂になっているある男の話をする。かつて、幼い皇帝陛下の信を得て、腐敗しきった政治を正しい道に戻そうと尽力した男――無名の身でありながら、すべての科挙の試験を優等で合格した偉丈夫であり、最後には虎に変化して宮殿から去ったと言われる不思議な男の話と、その顛末……。

 『迷宮譚』はその名のとおり、江南にある屋敷――先見の明をもつ優秀な貿易商だった洪孝先の広大な屋敷購入の下見にやってきたある日本人が、その迷路のような屋敷のなかで、次第に現実と夢との区別が曖昧になっていくという話であり、『墨匠伝』は、墨匠として大成する、第一人者でありつづけることにすべてをかけた、ある老墨匠の数奇な運命を描いた作品であるが、いずれの作品においても、たとえば桃の木の精であるとか、人に変化する虎、あるいは仙人のように世俗のごたごたを避けて自適の生活をおくる隠士といった、「人ならざる立場のもの」が登場するという意味では、たしかにファンタジーの要素を強くもった作品だと言うことができる。だが、本書を読んでいくと、それがたんなるファンタジーという枠をこえて、むしろ幻想譚ともいうべき静謐をたたえていることに、読者はすぐに気がつくことになる。

 本書に収録された作品集に登場する人たちは、いずれも自身の現在の利権や地位といったものを維持しようとさまざまな陰謀をめぐらせたり、保身のために他の誰かを平気で陥れたり、あるいは力あるものに追従し、その利益を少しでも享受しようとあくせく走り回るような者たちが多い。それは、彼ら自身にしてみれば何よりも大切なことなのだろうが、そうしたどろどろした権力闘争の世界から遠く離れた立場にいる者からすれば、いかにも愚かしく、そしてなんとも滑稽な見世物のように思える。人と、人ならざる立場のものとの、明確な対比――それは、本書がもつ大きな特長のひとつであるが、それ以上に重要なのは、そうした登場人物たちの栄枯盛衰、清廉潔白な人間にも、出世のことしか考えないろくでなしにも、すべてに平等な距離感を置き、けっして特定の誰かに感情移入するようなことなく物語を進めていく点であろう。

 人ならざる立場のものたちが、ほんのつかのま、人の世に介入する。その結果、ある特定の人物が権力の座を追われたり、失脚したり、あるいは命を落としたり、想い人を手に入れたり、望みどおりの名声を得たりする。本書は言うなれば、長い人の歴史のなかで、非現実的存在が交わった瞬間を切り出したような、そんな珠玉の短編集であるが、その「人ならざる立場のもの」たちの行ないが、長い目で見て人の営みにどれだけの影響をおよぼしたかのかを考えたとき、じつはほとんど何も変わっていなかったりするのだ。人々は相変わらず権力闘争にあけくれるし、名声や権力、富を求めて汲々としながら生きつづける。そして、そんな人々の姿を、どこか遠いところから眺めている「人ならざる立場のもの」をとらえているのは、まさに人の世の無常である。

 『墨匠伝』に登場する、二雲と号される隠士は、弟子に出し抜かれたと号泣する老墨匠、程君房のために、つかのま力を貸す。たかだかひとつの墨のために一喜一憂し、名匠の業物ということで、ひとつの墨が同等の金をもってして売買される――どんなに価値のある墨も、じっさいに磨って使わなければ何の意味もないと考えている二雲としてみれば、そんな人間たちの、愚かしくも滑稽な価値観もまた、磨り減っていく墨のように、ただ流れていく無常のものとしてとらえられているのかもしれない。(2004.03.02)

ホームへ