【岩波書店】
『海底二万里』

ジュール・ヴェルヌ著/朝比奈美知子訳 

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 私が子どもの頃、家ではなぜか学習研究社の『学習』と『科学』という月刊誌が購読されていた。なかでも『科学』の付録については、たとえばアリの巣の中を観察するための道具セットなど、いかにも子ども心をくすぐるギミックのものが多く、雑誌が届けられるのが楽しみだった記憶があるが、雑誌そのものに連載されていた一連の「科学マンガ」についても、今にして思えばさまざまな方面から科学の不思議をわかりやすく解説し、科学をより身近なものとしてとらえさせるという役割をしっかりと果たしていた。

 私たちの生きるこの世界には、じつは多くの不思議に満ちている。その日その日をただ漠然と生きていくだけでは、容易に見逃し忘れてしまうような事柄かもしれないが、そのささいな事柄に焦点を合わせ、それがなぜ発生するのかを突きつめていくこと――思えばこの書評のなかで何度か繰り返してきた「センス・オブ・ワンダー」の感覚は、こうしたところから育まれるものなのかもしれない。

 たとえば、人が宇宙で生活するとなったとき、それはどのような形式のものとなっていくのか、太陽の光も届かないような海底や、南極などの極寒の地ではどのような生物が生息しているのか、といった疑問は、私たちの日々の生活と直接結びついているわけではない。だが、そうした事柄に好奇心が動かされ、思わず想像をはたらかせていくのは、人間としての心を確実に豊かなものにしていくという確信がある。今回紹介する本書『海底二万里』を評するにあたって、『学習』『科学』のネタを枕にもってきたのは、本書がそうした子ども向け雑誌に連載される「科学マンガ」と似たような雰囲気をもった作品であるからに他ならない。

 航行の原動力として風や蒸気が主流だった19世紀後半という時代において、海水に含まれるナトリウムから生成されるほぼ無尽蔵の電気を動力に、水上はもちろん、水中を高速で移動したり水中での姿勢制御が可能なばかりか、深海1万メートル以上もの水圧にすら耐えられる構造をもつ潜水艦「ノーチラス号」の存在は、今でこそ実在する「ありふれた」乗り物のひとつであるが、当時にしてみれば、それこそ架空の乗り物、当時の科学技術では実現不可能なオーバーテクノロジーの産物であり、じっさいに本書冒頭においては、海でいくつもの船から報告される「何か巨大なもの」という正体不明の存在として登場してくる。そして本書の語り手であり、成り行き上そのノーチラス号に乗り込んで広大な海を旅することになるピエール・アロナックスは、パリ自然博物館の客員教授であり、彼がフランスで著した『大深海の神秘』という本によって、海洋学の専門家という肩書きをもつ人物として書かれている。

 つまりアロナックスの当初の目的は、この「何か巨大なもの」の正体を見極めることにあった。未知のものに対して、科学と知識という人間の秩序の産物で立ち向かう者の象徴というのが本書における彼の役割であり、それはなかば囚人という形でノーチラス号に乗り込むことになってからも基本的には変わらない。本書を読み進めていくとわかってくることだが、たとえば超ハイテク潜水艦であるノーチラス号のその潜水能力――当時の科学技術では実現しようのない深海の超水圧に耐えられる根拠について、たんに「すごい潜水艦」という認識に終わることなく、きわめて具体的な計算式や数値を用い、説得力のある形で説明されているし、アロナックスの視点を通して展開される海底の描写についても、さまざまな海洋生物の名前を次々と挙げていき、またその生物がどんな生態系で成り立っているのかといった知識をこれでもかというほど盛り込んで、臨場感溢れるものとして書かれている。まるで、それまで闇の中にあって見ることすら叶わなかった未知の世界が、アロナックスという人智の光で明るく照らし出されていくかのように。

 ノーチラス号の船長としてしばしばアロナックスの前に現われるネモ船長は、地上の人間社会とのかかわりを断ち、潜水艦と広大な海を自分の領土として生きる者であるが、彼をはじめとする乗組員の食糧や潜水艦の維持管理のための費用ほか、じっさいにそうするための諸問題を、どのような形で解決しているのかという読者の疑問についても、本書は描写を怠ることがない。じっさい、本書を読んでいくとそうした高性能な潜水艦に乗って自由に海を渡り歩くことのできるネモ船長たちの生活が、このうえなく魅力的に見えてくるのだが、それは著者がそうした特殊な環境下における人間の生き方について、きわめてリアルなセンス・オブ・ワンダーの感覚をもち、それを発揮しているからに他ならない。私が本書について「科学マンガ」の要素を見出したのも、そうした特長によるところが大きい。

 教授、あなたはわたしの船で過ごす時間を後悔しはしませんよ。あなたはこれから驚異の国を旅するのです。おそらく、驚き唖然とされることばかりですよ。たえず目の前に繰り広げられる光景には、なかなか退屈なさらないでしょう。

 色とりどりの魚の群れや微生物たちの織り成す色彩豊かな光景、神秘的とさえ言えるサンゴの森の探索、紅海と地中海を結ぶ海底のトンネル、海中に沈んだといわれる伝説のアトランティス大陸や海底火山、光を反射する氷山のきらめき、過去に沈没した船に残され、いまだ誰の手にも触れたことのない財宝や巨大真珠――まさに世界じゅうの海をめぐる旅を追体験するかのような本書であり、それこそが本書最大の特長とさえ言うことができるのだが、本書を語るにおいてけっして忘れてならない人物として、ネモ船長の存在がある。人間の科学と知性の象徴であるアロナックスにとって、最大の謎であり、またアロナックスとは対極の立場にあるネモ船長が、いかなる理由で地上を捨て、ノーチラス号を建造してまで海の懐で生きるという道を選んだのか、そして彼がときおり見せる、人間社会に対する激しい不信と憎悪の感情は、物語をどのような局面へと導くことになるのか――それはぜひとも本書を読んでたしかめてもらいたいところであるが、ひとつだけ言えるのは、人間の規律や道徳といったものを捨てたと公言しながらも、無力な人間に救いの手を差し伸べることをためらわず、いずれ人知れぬ海の底で滅びることを望みながらも、外部からの予期せぬ訪問者であるアロナックスたちに格別の待遇をもって接する彼のかかえる矛盾、その葛藤が、そのまま科学技術に対する人間のありかたを物語っているということである。

 本書を読んだかぎりにおいて、ノーチラス号にはソナーといった探知機のたぐいは備わっておらず、しばしば起こった他の船との接触事故もまた、純粋に事故であって故意のものでないことが読み取れるのだが、このノーチラス号は、その気になりさえすれば、海において無敵の戦闘力を示す、文字どおりの「怪物」となれるだけの機能を備えた潜水艦である。そしてアロナックスにとっては深海調査という学術的な目的のために存在する船であっても、ネモ船長にとってはまた別の意味合いをもつ船でもある。こうした両面性は、科学技術にかぎらず、あらゆる面において見出すことのできるものであり、それは使い方によっては多くの人々の生活を向上させることも、逆に大勢の人を殺戮することも可能であるということを意味する。そういう意味では、本書はたんなる科学賛歌を謳う「科学マンガ」というだけにとどまらない、深いテーマが隠されていると言うことができる。

 ご存知のとおり、潜水艦が現実の乗り物として確立したのは、戦争という要素を介してのことである。敵を葬る兵器としての潜水艦――ノーチラス号と、その船長であるネモ船長の存在は、まるで科学の発達が神の恵みと素直に信じることのできた19世紀から、人々の心が争いへと傾いていく戦争の20世紀へと移っていくことを予見していたかのように見える。はたしてあなたは、この魅力的な海洋の旅を、どのようにとらえることになるのだろうか。(2011.08.10)

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