【中央公論新社】
『とせい』

今野敏著 



 いつの時代にも、どんな社会にも要領の悪い、不器用な人間というのは存在する。彼らのすべてが頭が悪いわけではなく、むしろ個々では特化した能力やユニークな存在感を発揮することが多いのだが、彼らの属する社会との折り合いがうまくつけられなかったり、性格や資質の面で周囲と衝突しやすかったりといった理由で、なにかと損な役回りを押しつけられてしまうのだ。むろん逆に、個人としてはたいして有能というわけではないのに、その社会や組織のなかにおいてうまく立ち回り、利益をかすめとったりおいしい思いをしたりする人たちもいる。

 人間社会をひとつの生態系と考えるなら、前者は自身の置かれた環境への適応がうまくできない生き物であり、いずれは滅びることを運命づけられてしまっている、ということになる。だが、私たち人間には感情があり、他人のことを思いやる想像力がある。言葉巧みに相手に取り入ってやっかいごとを回避する人間と、必要以上に物事を真面目に受け取っていらない苦労をしょいこんでしまう人間の、どちらに好意的かと言えば、大半は後者を選ぶはずだ。なぜなら私たちにとって、ずる賢さはけっして美徳ではないという認識が残っているからである。そしてこと日本という国において、そんな不器用な人たちのひとつとして扱われることがあるのが、いわゆるヤクザと呼ばれる人たちである。

 信用があるから素人衆は相談事を持ち込む。ヤクザの仕事の大半は揉め事の調停だ。金で片をつけさせて、その上前をいただくわけだ。今時、流行らない話だ。

 浅田次郎という作家は、『プリズンホテル』のなかで、リゾートホテルを経営するヤクザたちの物語を書いた。今回紹介する本書『とせい』では、出版社を経営するヤクザが登場する。もともとは債権のとりまとめの過程で手に入れた倒産間際の会社であり、さっさと売却して金に換えるのがふつうのヤクザのやり方なのだが、阿岐元組の組長が選んだのは、自分たちがその会社の役員として収まり、経営再建に手を貸す、というものだった。

 表面上は、弟分の組が抱え込んだ問題に対して、兄貴分として面倒をみるという形をとっているが、本書の主人公である阿岐元組のナンバーツー、日村誠司は、それが組長の道楽であることを見抜いていた。出版業界がもっている、文化を担うという肩書きになかば憧れの気持ちをいだいているだけなのだと。だが、ヤクザの世界において組長の言葉は絶対であり、逆らうことはできない。うまくいきっこない、と思いながらも、組長が社長、そして日村は役員という形でその出版社「梅之木書房」に乗り込むことになったのだが……。

 ヤクザという裏家業が出版社を経営するというミスマッチは、それだけでインパクトのある材料ではあるが、『プリズンホテル』との違いがあるとすれば、彼らはあくまで健全な会社としての出版社を経営しようとしている点である。『プリズンホテル』では、ヤクザが運営するホテル、という肩書きがなかばネタとして機能しており、そのあたりの面白さがあった。だが本書の場合、日村をはじめ阿岐元組の面々は、自分たちが裏家業の一員であり、およそ似つかわしくないことをやろうとしているという自覚がある。そもそも阿岐元組は小さな組織だ。暴対法や長引く不況によって、彼らのシマのシノギも年々厳しくなっているというのが現状である。

 そんなときに、ヤクザをやりながら出版社の役員もやれという。しかも、日村の舎弟たちは何かとこの話に乗り気で、とくに志村真吉などは、雑誌のグラビアについての独自のアイディアを語りはじめる始末だ。カタギの商売にある種の憧れをもつ彼らの気持ちについては、日村も理解しているのだが、それでなくてもヤクザとして片付けなければならない問題も抱えている身としては、かなりつらい立場にあると言っていい。ヤクザという稼業はただ度胸や腕っぷしが強ければいいというわけではなく、また街中で勝手気ままにふるまっていいというわけでもない。素人衆以上に人とのつながり――義理や上下関係というものに縛られている集団、というのが、本書から見えてくるヤクザの姿である。それゆえに、見方によっては日村の立場は、会社における中間管理職の苦労とかぶってくるものがある。上司の無理難題を飲み込みつつ、部下にうまく指示を与えて動かすというのは、経験あるかたなら共感できるものがあるはずである。

「俺たちは何だ? もともとは博徒じゃねえか。博打がシノギだ。人生も博打、仕事も博打だ。いいか、まっとうなことをやっていて、極道が社長をやる意味あるか?」

 そもそも極道が出版社の社長をやる意味などない、という日村の心の声はともかくとして、極道という、裏稼業を生業とする彼らが、どのような裏技で梅之木書房の傾いた経営を立て直すのか、というのが本書の読みどころではあるのだが、それよりも、日村たちが出版社という表の稼業にかかわったがゆえに生じるトラブルのほうがよほど目立つし、また物語の面白みを高める役目をしているのもたしかだ。事務の女の子を泣かせたり、べつのヤクザから因縁をつけられたり、マル暴にはフロント企業ではないかとにらまれたりと、次々と問題が起こるのだが、そうした困難を対峙しながら、あくまで上を立て、下もフォローするという日村の苦労性ぶりをこそ、本書では楽しんでもらいたい。(2011.05.03)

ホームへ