【講談社】
『時計館の殺人』

綾辻行人著 



 あなたはサーカスを見に行ったことがあるだろうか。巨大なテントによって外の世界から隔絶された閉塞世界で展開されていく、奇術やパフォーマンスの数々――鞭一本で猛獣たちを自在に操ったり、生身の人間が炎を吹いたり剣を飲み込んだり、またアクロバティックな空中ブランコの妙技を披露したりしてくれるサーカスは、今もなお観客たちを現実とはまったく異なった世界へといざなってくれる娯楽の王様であるが、サーカスの大きな魅力として、団員たちの卓越した技術力もさることながら、そのパフォーマンスを行なうのが閉じた場である、ということも重要な要素として見逃すわけにはいかない。私たちが普段生活している、およそ平凡な日々をつかさどる日常のなかに、突如として出現した小さな異世界――私たちは、テントの入り口から中に入ることによって、日常の世界から脱け出し、サーカスという名の異世界ファンタジーに心を躍らせ、次は何が起こるのかワクワクしながら時を過ごすのである。

 綾辻行人という作家の書く小説を読んでいていつも思い出すのは、私たちがサーカスに行ったときに感じる、あの高揚感だ。とくに著者の代表作とも言える一連の「館」シリーズは、奇妙なつくりの館のなかで次々と起こっていく殺人事件を描いたミステリーであるが、「閉じた空間」という意味ではサーカスも館も共通の要素を持ち合わせていると言うことができるだろう。私たちが日常ではけっして味わうことのない、連続殺人事件の目撃者として、非日常を非日常として認識しつつもその謎を楽しみための小説――それが綾辻行人の小説の本質である。

 本書『時計館の殺人』は「館」シリーズの第五作目となるもので、記念すべき第一作『十角館の殺人』で探偵コンビとして活躍した江南孝明と、寺の三男坊だという島田潔が三年ぶりに再会するところから物語ははじまる。ただし、孝明はもう学生ではなく、稀譚社という出版社の社員となっており、そして島田のほうは、その出版社からデビュー作を出した新人作家・鹿谷門実となっている、という設定だ。

 鎌倉にある「時計屋敷」に、少女の亡霊が出るという噂を聞いた稀譚社発刊の雑誌「CHAOS」編集部は、ある霊能者と、大学のミステリー研究会(この場合の「ミステリー」とは「超常現象」のこと)のメンバーとともに、その屋敷の現在の管理人である伊波紗世子の了解のもと、三日間をその屋敷で過ごすという特別企画を行なうことになったのだが、江南も鹿谷も嫌な予感を抱いていた。「時計屋敷」と呼ばれるその館の設計者は、かつて凄惨な連続殺人を招いた角島の「十角館」の設計者、中村青司だったのだ……。

 言うまでもないことだと思うが、本書の真の主役は、『十角館の殺人』同様、生きた人間ではなく、舞台となる時計屋敷のほうである。まるで時計の文字盤を思わせるような館の内部構造、窓のまったくない半地下のその館内に飾られた百八の時計、十年前に自殺したとされる少女、古峨永遠の部屋であった「振子の部屋」、針のない時計塔、不吉な予言と謎めいた詩、そして、永遠をはじめとして、古峨家の関係者を次々と襲った不幸――こうした、ミステリファンにとってはある種のなつかしさを感じさせる魅力的な御膳立てを整えた「閉じた空間」で、読者の期待どおり、見えない殺人者によってひとり、またひとりとスタッフが殺されていく。はたして、この怪奇な連続殺人は少女の亡霊のしわざなのか。それともこの企画の参加者のなかに紛れ込んでいるのか。だとしたら誰が、何のために? そして、日本各地に奇妙な館を建てた奇才・中村青司は、その依頼者であった古峨倫典のどのような悪夢を読み取り、そもそも何の目的で「時計屋敷」を設計したのか?

 本書には、大小を含めてさまざまなトリックや謎がちりばめられており、それらが厳密に意味づけられることでひとつの大きな物語を形成している。本書を最後まで読めば、そこに提示された謎は完全に解き明かされることになるわけだが、それらの謎は、まるで私たち読者を何重にも取り囲む壁のように立ちふさがっており、なかなかその真相を垣間見せようとはしない。良い意味で何度も読者を裏切ってくれる本書の物語構造の妙は、ひとつの芸術品と言っても過言ではあるまい。そして、時間という概念を根底からくつがえしてしまう、あまりにも大規模で手間のかかった、本書における最大のトリック――それを、およそ現実世界では絶対にありえないことだと一蹴するのは簡単だ。だが、冒頭でも述べたとおり、本書は「時計屋敷」という名の巨大テントのなかで展開される、サーカスと同じなのである。そして、そのサーカス内でもっとも重要なのは、その世界におけるルールが厳密に守られている、ということなのだ。それは、すべての謎が完璧に明らかにされる、というただ一点だけであり、そしてトリックは大掛かりで奇想天外なものであればあるほど良いに決まっている。本書のラストは、まさにその壮大なトリックにふさわしいものとして、きっと読者の目に焼きつくことになるだろう。

 私たちがあたりまえのものだと認識している現実――本書が提示した時間のトリックは、いみじくもその「現実」が、社会によって生み出された共同幻想のようなものであることを指摘することにつながっている。そして本書の真の主役である「時計屋敷」は、そんな社会の見せる共同幻想に対するアンチテーゼとして、読者の目を欺いていく。まるで、この世に確かなものなど何ひとつないのだ、と言わんばかりに……。はたしてあなたは、「時計屋敷」のトリックに何を垣間見ることになるだろうか。(2001.02.18)

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