【早川書房】
『いさましいちびのトースター』

トーマス・M・ディッシュ著/浅倉久志訳 



 ライアル・ワトソンというライフサイエンティストは、『シークレット・ライフ』(筑摩書房 内田美恵訳)という本の中で、無機物の中に宿る生命の可能性について、大真面目に論じている。人間によって特別の愛着を持たれ、肌身離さず身につけられていた物や、普段から人間の手によって使われてきた物には、人間が放つ生命エネルギーとも言うべき力の影響を受けて、さながらただの鉄くずが磁石の影響によって磁気を帯びてくるのと同じように、無機物というにはあまりにも奇妙な現象――まるでそれ自身が生命を有しているかのような現象を引き起こすことがある、というのである。勝手に髪の毛が伸びてくる人形や、手にした人々を不幸にするダイヤ、血の涙を流すマリア像といった話が有名であるが、何もそのような大袈裟な話でなくても、たとえば大切にしていたお気に入りのものが知らないうちになくなってしまったり、かと思うと何年も前に無くしてしまったものがひょっこり戻って来たり、といった程度のことであれば、おそらく誰もが一度は経験しているのではないだろうか。持ち主の「クセ」がついてしまい、持ち主以外にはうまく使えない電化製品、何の理由もないのに、まるでふてくされてしまったかのように誤動作を起こすコンピュータ、天候の良し悪しによって調子が変わってくる自動車や時計――人間は、知らないうちに、自分たちの生活を快適にしてくれる道具たちに、これまで考えられていた生命の概念とはまったく異なる種類の生命を吹き込む手助けをしてきたのではないか、というのが、ライアル・ワトソンの考えなのである。

 なぜ冒頭においてこのようなことを述べるのかと言えば、本書『いさましいちびのトースター』に登場するのが人間ではなく、電化製品であるという、ただそれだけの理由によるものだ。しかし、その登場電化製品たちは、人間と同じようにものを考え、言葉を話し、あまつさえ自分の意志で自由に動き回ることさえできるというのだから、まさに無機物に宿った別種の生命、というライアル・ワトソンの考えが、いかにもしっくりくるというものであろう。

 フーバーの電気掃除機、目覚まし兼用のAMラジオ、黄色の電気毛布、卓上スタンド、そしてサンビームのトースター ――彼らが本書の主要登場電化製品たちである。彼らは森の中にある小さな夏別荘の中で、おのおのの不安を抱きながら、しかし表面上はあくまで静かに暮らしていた。彼らの不安材料、それは、彼らの持ち主であるだんなさまが、もう二年以上もこの夏別荘を放ったらかしにしている、という事実によって引き起こされているものだ。人に使ってもらい、人の役に立ててこその電化製品、それなのに、だんなさまはいったいどうしてしまったというのか、その身に何か起こってしまったのではないか――そんなある日、とくに外の世界に対する好奇心の強いトースターがこう切り出した。「みんなでだんなさまを探しに行こう!」と。

 荒唐無稽と言えば、これほど荒唐無稽な物語もないし、メルヘンチックと言えば、確かにメルヘンチックな物語でもある。だが、本書が世の中に数多くある同類の物語と異なっているのは、登場する電化製品たちが、あくまで自分たちがただの電化製品でしかないことをちゃんと自覚しているという、その一点に尽きるだろう。それは逆に言えば、電化製品たちが、安易にファンタジーの持っている、なんでもありのワイルドカード的な力に頼らない、ということでもある。彼らはあくまで、自分たちに与えられた能力を利用して困難に立ち向かっていこうとしているのだ。

 たとえば、電化製品たちが着の身着のまま外に飛び出していけば、そもそもトースター自身も言っているようにデリケートな器具である彼らは、たちまち故障してしまい、目的も果たせないままボロボロになってしまうことは明白である。そのために彼らは、わざわざ古い自動車のバッテリーを見つけ出し、椅子に車輪をとりつけて乗り物をつくってしまうという周到さを発揮する。また、本書の世界では、電化製品たちは人間の見ている前ではかならずじっとしていなければならない、という約束事があり、彼らはその約束事を――頑固者の電気掃除機なんかはとくに――頑なに守り通そうとするのである。そう、本書に書かれている物語は、非常にファンタジー的な要素を持ちながら、私たちが生きている現実世界にそのまま持ち込んでも、しっかりと整合性がとれているのである。

 こうして、五台の電化製品たちの、波瀾に満ちた冒険の旅がはじまった。それぞれがそれぞれのもつ能力を発揮し、ときに五台が力を合わせて待ち受けているさまざまな困難を乗り越えながら、彼らはだんなさまが待つ街へと向かう。考えてみれば、それはとてもこっけいな光景ではあるのだが、ただの電化製品にすぎないとわかっていながら、それでも持ち主の役に立ちたいという一心で、自分たちに与えられた役割以上のことを成し遂げようとする彼等の姿は、同時にけなげでいじましくさえ感じられるはずである。はたして、彼らは無事、だんなさまのところに辿りつくことができるのか?

 電化製品に限らず、世の中に何らかの役割を持ってつくり出されてきた無機物たちにとって、その役割を発揮することで誰かの役に立てる、ということは、きっとどうしようもないくらいに幸せなことなのではないだろうか、と本書を読むとそんなふうに思えてくる。もし、あなたが持っているもので、数年前に無くしてしまったと思っていたものがいつの間にか混じっていた、というようなこがあるなら、その道具はもしかしたら、あなたの知らない間にとんでもない大冒険を成しとげたところなのかもしれない――少なくともそのような荒唐無稽な話を素直に信じてみたくなるような、そんな魅力に溢れた作品であることだけは断言しておこう。(2000.03.09)

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