【講談社】
『冷たい校舎の時は止まる』

辻村深月著 
第31回メフィスト賞受賞作 

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 自殺というのは、文字どおり自分で自分を殺す行為であるが、およそ生物としての生存本能に逆らうようなそのいびつな行為を、まったく何の理由もなしに実行する人間はいない。人間にかぎらず、この世に生を受けたすべての生き物は生きることに対する欲求をもっている。ある人を自殺へと向かわせるには、その強烈な欲求を上回るエネルギーが必要であるし、そうである以上、自殺した人間にはそれ相応の理由があるはずである。たとえ、それが他人にとっては理不尽で不合理なものであったとしても、だ。

 ある人間が自殺という選択肢を選んだとして、彼をそこまで追いつめた要因は何だったのか――ミステリーにおける殺人事件の場合、そこには殺人を犯した人間が存在し、その犯人を特定することができれば基本的に事件は解決する。だが、自殺という行為はミステリー的観点から見たとき、被害者と犯人が同一人物であることを意味するものであり、たとえば他殺に見せかけた自殺といった特殊な状況でもないかぎり、真相は永遠に闇のなかということになってしまう。私たちにできるのは、せいぜい状況証拠を集めてその原因を推測することくらいであり、だからこそ、少年少女の自殺に対して、その要因を特定しようと躍起になっている報道を見るたびにやるせない気分にさせられる。真相究明という言葉は、およそ自殺にかんして使われるかぎり、このうえなくむなしく響く運命にあるからだ。

「私だったらこう考える。何か自分の内部に問題を抱えて、それで自殺して死んでしまったとして、私、もしそれが自分だったなら絶対後悔したと思う。――(中略)――だから、その人も同じ理由でみんなのことを『呼んだ』んじゃないのかな」

 雪の降りしきるある冬の日、いつものように通学してきた高校三年生の男女八人が、時間の止まってしまった校舎の中に閉じこめられてしまうという、いささかホラーめいた展開を見せる本書『冷たい校舎の時は止まる』は、言ってみれば自殺したクラスメートの動機を追及するミステリーである。ただ、本書に登場する青南学院高校の生徒八人は、校舎に閉じこめられた時点で自殺したクラスメートの名前や性別をまったく思い出せなくなっている。今から二ヶ月前の十月十二日、学園祭最終日に校舎の屋上から飛び降り自殺したクラスメート――自殺があったという事実は覚えているのに、その当事者が誰なのかがどうしても思い出せない彼らは、しだいにこの校舎の中が誰かの精神世界であり、自分たちは集団失踪という形でその中に閉じこめられたのではないかということ、そして自殺したというクラスメートが、もしかしたら自分を含めた八人のうちの誰かではないか、という疑いをもつにいたる。

 はたして、学園祭最終日に自殺したのは誰なのか、そしてこの閉じた世界が誰かの心が生み出した精神世界であるとして、その「ホスト」は誰なのか? まるで自殺の原因が彼らにあるかのごとく、まさに何でもありの異空間のなかで徐々に追いつめられていく様子に戦慄すべきものを感じさせる本書であるが、本書を最後まで読んでわかってくるのは、このミステリーのメインが、あくまで「自殺の動機」という、現実世界においてはけっして結論の出ない命題であること、そしてその答えのない謎に、あえてひとつの決着をつけるべく何者かの精神世界という異空間を作り出し、さらに自殺した人物にかんする記憶を意図的に消すことによって、あたかも表面上は真犯人を探し出すミステリーであるかのような構成をとっている、という点である。

 本書における「真犯人」とは自殺者本人のことであり、上述したように自殺とは被害者と犯人が一人二役をはたす行為だ。本来であれば、自殺はそれが行なわれた時点で、同時にすべで完結してしまう。だが、現実とは異なる空間において、肝心の自殺者の名前が思い出せないという状況は、必然的に登場人物たちの意識を――そして私たち読者の意識さえも「自殺したのは誰か」という方向へと向けさせることになる。こうして、自殺があったというたしかな事実があるにもかかわらず、犯人であり被害者でもある「自殺者」がわからないがゆえに、その自殺は宙ぶらりんの状態のまま完結しないというきわめて特殊な状況ができあがることになる。そして、そんなふうに考えたとき、自殺という自己完結行為がもたらす一瞬の衝撃と、同時にそれゆえにこそ容易に人々の記憶から薄れていってしまうという相反する要素が浮かび上がってくることになる。

 この世界を生きる私たちにとって、とくに、まだまだ先の長い若い人たちにとって、生と死は明確に区切りをつけなければならないひとつの境界である。そして、生きてこの世にあるかぎり、私たちは生きていかなければならないし、そうである以上、いつまでも死という別領域のことについて向き合っているわけにもいかない。私立青南学院高校は県内でも有数の進学校である。それも三年の十二月ともなれば、センター試験目前ということもあり、生徒たちにすれば、目の前に迫った受験に集中すべき時期でもある。新聞報道などでは受験ノイローゼとして完結してしまった生徒の自殺――だが、それは真相というよりも、大多数である生きた生徒たちの、そして教師たちの、受験に集中したいという願いのためにとりあえず出された決着という意味合いが大きいだろうことは、想像に難くない。もし生徒たちを閉じこめた異空間が、何より「自殺の動機」を探るためのものであるとするなら、当然のことながらその精神世界の「ホスト」たる人物は、どのような経緯によるものであれ、ひとりの生徒が死に到った真相を知る者、ということになる。

 校舎に閉じこめられた八人の生徒たちは、自殺したクラスメートの名前を思い出すことができなくなっていた。物語はそこからはじまっていくわけだが、その記憶の欠落は、本当に「ホスト」の意図によるものだったのだろうか。もしかしたら、現実世界においても彼らは自らの意思で、学園祭のときに自殺があったという事実から目をそむけようとしていたのではないか。もしそうであるとして、それは生徒たち自身の罪なのか。自殺の件について自ら非難の矢面に立つことになり、学校を辞めることが決まった榊先生の罪なのか。本当に罪深いのは誰なのか。そして救いはあるのか。思春期の若者に特有の心の闇と、その繊細で壊れやすい精神のありようを描きつつ、ミステリーとしても上質な作品として仕上がった本書の不思議な世界に、ぜひとも一度足を踏み入れてもらいたい。(2007.07.08)

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