【マガジンハウス】
『タイム屋文庫』

朝倉かすみ著 



 過去を振り返ってばかりいては、そこから先に進んでいくことはできない。だが過去というものは、それまで自身が歩んできた、今の自分を形づくるもとになったものであり、ないがしろにするわけにはいかない。過去があって、現在があり、それらが未来へとつながっていくという感覚――私たちはけっして過去をやりなおすことも、未来を垣間見ることもできないが、今という時間は過去にも、未来にもたしかにつながっている。その連続しているという感覚を、たしかな実感としてもつことができるというのは、おそらく私たちが理屈として考える以上に大切なものだ。なぜなら、過去を振り返ることができるのは、自分自身がそれまで歩んできた道筋を受け入れることができるということであり、それができてはじめて、私たちは未来を見据えることができるからだ。

 人はその刹那刹那を生きているが、もし本当に「今」しかとらえることができなければ、その「今」で切羽詰ったときに逃げ場所がなくなってしまう。過去を思い出として愛で、未来に思いを馳せるのは人間の想像力の賜物であるが、それが「今」という瞬間の連続でしかない時間を生き抜き、自分がたしかな自分自身であること――過去の自分もまたまぎれもない自分自身であって、それが今の自分とつながっているという確信をもつためのものとして、発達してきたものだと考えるのは、あるいは飛躍しすぎであろうか。

 ひとまたぎした感じがあった。
 糊しろ。あるいは宇宙のようなもの。
 そこを、ひょいと、ひとまたぎした気がした。

 本書『タイム屋文庫』の舞台となるのは、北海道の小樽にある貸し本屋である。タイトルと同名の看板をもつその貸し本屋は、昭和のたたずまいを残す古い一軒家をそのまま店舗として利用しており、あつかっているのは時間旅行にかんする本だけ。いちおう喫茶も兼ねているので、本は借りていってもいいし、その場で読んでいってもかまわないという、商売としてやっていく気があるのかどうかよくわからない、個人経営のブック・カフェであるが、この舞台となる店舗は、物語の当初から「タイム屋文庫」だったわけではない。そういう意味では、本書の中心に据えられているのは「タイム屋文庫」というお店ではなく、あるいは「時間」そのものだと言えるのかもしれない。

「かもしれない」などという曖昧な表現を使ってしまったのは、本書がもつ独特のとらえどころのなさ――妙に肩肘の張ったものではなく、良い意味で目的もなくたゆたっていくような雰囲気のせいでもあるが、そこにあえて「時間」というテーマをもってきたのは、「タイム屋文庫」があつかっているものがタイムトラベル関連の本に限定されているという要素が強い。そしてこのタイムトラベルという要素、時を跳び越えるという要素は、そのまま本書の中心人物である市居柊子が「タイム屋文庫」をはじめようと思った動機にもつながっていく。

 それは、言葉で説明してしまうとあまりにメルヘンめいて気恥ずかしく、あるいは人に聞かれたら馬鹿にされそうなものであり、それだけでは実現しなかったかもしれない動機でもある。十六歳のとき、初恋の人だった吉成和久と行った小樽は、はじめての、そして一度きりのデート場所だったが、そのときの彼が何気なく言った「タイムトラベルの本しかない本屋があったらいいな」というセリフ――柊子のなかでは特別の存在としてありつづけた吉成和久であり、だからこそ彼女はそれからずっと時間旅行の本を集め続けてきたのだが、そうはいっても時の流れはいつしか過去を風化させていく。今の柊子は三十一歳。会社で営業事務の仕事をこなし、いっぽうで妻子のある上司と不倫関係にあるという生活を考えると、十六歳のときと比べれば遠い場所にいる、という思いは強い。

 初恋の人だった吉成和久と、ある日ばったり出会うための「タイム屋文庫」――それは、たしかに大きな動機ではあるが、その動機がどれほどの想いの強さとして柊子のなかにあったのかは、じつのところよく見えてこない部分がある。だが、すべてが動き出すきっかけはあった。それが祖母の死という形で、物語の最初に書かれている。ある日、思い立ったように実家から家出して津軽海峡を渡り、祖父と知り合ったという彼女の過去は、なにかと謎が多い。そしてそれは、彼女の大往生によって永遠の謎となってしまったわけだが、そんな祖母の葬式のあと、彼女がいた家に寝転がり、ずっと昔に交わした祖母とのある会話をふと思い出したところから、すべてがはじまっていく。

 たとえば、砂浜で、丸めた花ござを括っているひもをほどくとしよう。――(中略)――すると、ほら、龍の舌は水平線をつっきって、先がぜんぜん見えなくなった。ここでひとつ息をつく。腰に手をあててもいい。振り向くと、自分が見えるはずだ。

 会社を辞め、祖母の家に引っ越し、キッチンなどを改装し、棚に時間旅行の本を並べて、といった開店準備をするかたわら、新聞配達やレストランのウェイトレスといったアルバイトに精を出すという日々が、まさに淡々と、という表現がふさわしい感じで続いていく本書には、おそよ新しい店を出すという現実感がこのうえなく乏しい。まるで、すべてが夢のなかであるかのような雰囲気の漂うこの物語は、しかしそもそもの動機自体が夢物語のようなものであるがゆえに、かえって不思議な印象を読者に残す。そしてそれに呼応するかのように、柊子の周囲でちょっとした不思議な出来事が起こっていく。それはある意味での時間旅行であるような、そうでないようなたぐいの出来事だ。

 本書はこれまで心のなかでわだかまっていた過去に決着をつけ、先へと進んでいく話だと言うことができるし、また時間というものは一方的に過去から未来へと流れていくものではなく、どこかで円環を成すようなものだという思いを書いた作品だとも言える。だが、どれだけの言葉を尽くして説明したところで、その境界からはみ出してしまうものを、本書は内包している。この独特な世界観――まさに著者でなければ書くことのできない物語を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2009.12.13)

ホームへ