【角川書店】
『タイドランド』

ミッチ・カリン著/金原瑞人訳 

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 以前に紹介したデイウィッド・アーモンドの『闇の底のシルキー』という作品のなかでは、ある少年少女たちが秘密の坑道のなかで<死>を模したゲームを行なうというシーンがあるが、子どもたちの想像力は、しばしば容易に、ときに軽やかに人間の生死の境を飛び越えていくものでもある。たとえばこの書評をお読みの皆さまは、横断歩道の白いところだけ、あるいは建物などの影となっているところだけを歩いて帰る、という自分ルールで遊んだことがないだろうか。私も小さいころはよくそんな一人遊びをしていた覚えがあるが、そのなかでは影以外の場所はマグマになっていて、踏み外したら死んでしまうことになっていた。

 そのときの私が「マグマに落ちたら死ぬ」という事実について、どの程度認識していたのかはわからない。だが、ひとつだけたしかなのは、たとえば「日陰以外ぜんぶマグマ」というのが、あくまで自分ルールでしかないのと同様に、「死ぬ」という現象についてもひとつの現象にすぎず、いったん一人遊びが終わってしまえば、たとえそこで何回死のうが来るべき日常に戻っていくだけだということである。

 死がどういうものなのか、知っている人はいない。ただ、それがけっしてとり返しのつかないことであると感じるだけである。そして、まぎれもない自分という個の連続性をしっかりと確立していなければ、死がいずれ自分の身に起こることだという想像も生まれてくることはない。何かにつけて未成熟な部分をもつ子どもたち――本書『タイトランド』を読み終えたときにまず感じたのは、子どもゆえの未成熟な想像力が、しかし本来圧倒的であるはずの現実を駆逐し、自他の区別も、そして生と死の境界さえも限りなく曖昧なものにしてしまうという、恐るべき混沌の世界の様相である。

 人が死ぬところはテレビで百万回も見たけれど、すわったまま動かなくなってしまう人なんてひとりもいなかった。死ぬ人は、死んだふりをして休暇に出るなんてことはしない。ただ死ぬのだ――ママみたいに。

 本書に登場する語り手のジェライザ=ローズは十一歳の女の子。父親のノアとともにテキサスの田舎にある家「ホワット・ロックス」にやってきていたが、父親は椅子に座ったままぴくりとも動かない。やがて彼の体は変色し、それにともなって腐敗臭が漂いだすのだが、父親が娘を残したまま死んでしまったというのは、あくまで現実の話。ジェライザ=ローズの一人称によって進められていく、彼女のなかの世界においては、父親は死んでいるけど死んでいない状態に据え置かれてしまい、それはそれとしてジェライザ=ローズは、新しくやってきた世界の探検に乗り出すことになる。

 物語はしばしばジェライザ=ローズの認識する過去と現在を行ったり来たりし、その回想のなかでは何度も彼女の父親と母親が登場するが、本書を少し読み進めていくと、両親がともに麻薬に溺れてしまっていたこと、父親はかつてバンドマンだったが、今ではまともに仕事のできない状態であること、母親のほうはちょっと前に呼吸不全で死んでしまい、父親とふたりで逃げるように今の家に移ってきたことなどがわかってくる。それは、子どもにとってけっして尋常な環境とは言えないものがあるのだが、それ以上に尋常でないと思わせるのが、ジェライザ=ローズの言動だ。鏡の中の自分や、指にはめた首だけのバービー人形に対して、あたかも別人格であるかのようにふつうに会話をしたり、夜中に見かけた太った女性を幽霊だと思い込んだり、かと思えば自分はもう死んでいて、今は幽霊になっていると思ったり――子どもというのは、しばしばそのような遊びをするものであるが、ジェライザ=ローズの場合、あくまで遊びであるはずの「ごっこ遊び」が、彼女にとっての唯一無二の現実と混じりあい、日常の延長線になってしまっているところがある。

 生きているけど生きてない、死んでいるけど死んでない、生きてないけど生きている、死んでないけど死んでいる――彼女が認識する世界では、生も死もまさに自分ルールでどうにでもなるものとして動いているのだが、それは同時に、彼女が両親と暮らしていたときに、現実から目をそらすための手段として、しょっちゅう自分の世界に閉じこもっていなければならなかったことを意味している。そして両親という、現実に引き止めておく最後の砦が取り払われた今、ジェライザ=ローズのグロテスクな、しかしそれゆえにどこか甘美な空想は、歯止めなく広がっていくことになる。

 空想というのはあくまで空想でしかなく、夢のようにいつかは醒めてしまうものでしかない。ジェライザ=ローズのはてしない空想は、現実とのギャップをますます深めていくものでしかなく、それゆえにいつかは彼女のなかで破綻するはずのものでもある。はたして、いつその臨界点がやってくるのか。それは、あたかも火のついた導火線のように物語の緊張感を高めていくものであるが、本書の面白いところは、おそらくその破綻のきっかけとなるであろう他者との出会い――中年女性のデルと、彼女とともに暮らしている少年ディキンズの存在が、ジェライザ=ローズの空想を醒まさせるどころか、むしろその空想を増長させる役割を負うべく登場しているという点である。

 草むらの中に捨て置かれた、転倒した廃バス、飛び交うホタルの光、大地を横切る線路と、その上を走り抜けている列車、そして発破の音――テキサスという乾いた土地であるにもかかわらず、ジェライザ=ローズの空想は、その大地を大海原に変えてしまうほどの、強烈な力を発揮する。本書のタイトルである「タイドランド」とは干潟のこと。微妙なバランスによってときに陸地となり、ときに海底に沈む干潟は、それゆえにちょっとした変化によってどちらかに固定される運命にある場所であるが、彼女の空想が、現実と幻の微妙なバランスによって、どちらにも定まることなく存続し続ける様子を指す言葉としては、たしかにこのうえないものだと言える。

 現実であって現実でない、夢であって夢でない、あらゆる境界がかぎりなく曖昧になっていく、ひとりの少女が生み出す無秩序な世界は、きっと読者にある種の居心地の悪さを感じさせることになるだろう。だが、私たちが現実と信じるこの世界は、もしかしたら私たちが思っている以上に脆く、儚いものでしかないのかもしれないのだ。(2006.10.13)

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