【筑摩書房】
『Think』
夜に猫が身をひそめるところ

吉田音著 

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 私は読書バカを自称するほどの読書好きであり、手元に本が一冊でもないとなんだか落ち着かなくなってしまうような活字中毒者でもあるが、そんな私でも、読んでみたいと思ってはいるけど、なかなか読むことのできない本、というのをけっこう抱えていたりする。
 絶版などでなかなか手に入らない、買ったのはいいが、そのために「いつでも読める」という心理状態から抜け出せない、借りたのはいいが、図書館の返却期間が迫っている、それ以上に興味のある本がある、読むのにそれなりの気合が必要である、たんに時間がない――理由はじつにさまざまである。そして、私の読書に費やした時間をふと振り返ってみると、じっさいに読み終えた本よりも、むしろ「読みたいけど読んでいない本」のリストのほうがはるかに多かったりするのでは、と思ったりもする。

「その本が本当に面白いのか、それとも駄作なのかは、実際にその本を手にとって、最後まで読んでみなければ絶対にわからない」というのは、昔から変わらない私の読書に対する姿勢である。自分が読んだことのない本については何も言えないし、また言う資格もない。それは事実である。だが、奇しくも長田弘が『本という不思議』で述べているように、ただ眺めるだけで「読まない」「読まなかった」という状態もまた、読書のひとつの形であるとすれば、私が今抱えている「読みたいけど読んでいない本」たちもまた、私の読書ライフをおおいに豊かなものにする役には立っている、と言うことができるだろう。

 そう、長いあいだ読むのを楽しみにしていた本をいざ読んでみると、想像していたほど面白いものではなかった、という経験は、読者家の方であれば誰もが一度は体験していることではないだろうか。むしろ、読まないまま「どんな内容なのだろう」といろいろ考えをめぐらせていたときのほうが、鮮明に記憶に残っている本――本書『Think 夜に猫が身をひそめるところ』に登場する「ミルリトン探偵局」は、こうした世の中のさまざまな「わからないもの」を、あえてわからないままにしておくことを目的とする、なんとも逆説的な発想から誕生したものである。

「そうじゃなくて、分からないのがいいんです。分からないから、また考えるでしょう? <考え>だけは、どんなに狭いすき間でもするする抜けてゆきます。想像したり分かってしまったらそこまで止りです。でも分からなければ、いつまでもどこまでも楽しめます。食べたことのないミルリトンのように」

「ミルリトン探偵局」などとたいそうな名前がついてはいるが、その実態は、中学生である著者と、いつも何か考え込んでいる、どうやら優秀な探偵らしい円田さんのふたりが、最近彼の家に出入りするようになった黒猫「シンク」がくわえてくるものを見ては、ああでもない、こうでもないといろいろ考えをめぐらせるだけという、なんとも微笑ましい探偵ごっこである。シンクは16個の青いボタンをはじめ、さびた釘や紙の切れ端、欠けたプリズムやマウスピースのようなもの、あるいは身にかぶってきた白い粉など、じつに奇妙なものを持ち込んでくるが、本書はそうしたシンクのもってきたものについて、円田さんが独自の推理をしてみせる章と、いっけんすると、それらの謎に対する解答とも言うべき物語が書かれた章の二種類で構成されている。

 探偵とは、物語のなかで提示された謎に対して、正しい解答を与えるという役割を負った者である。たとえば、近所で殺人事件がおきたとする。人の命を無常にも奪い去るという暴力的行為は、それまで殺人などという、言ってみれば自分とは無関係だと思っていた人たちの心に恐怖を植えつけるには充分な、非日常的で、衝撃的な事件である。探偵役を担う者は、犯人とその殺害方法、あるいはその動機を推理し、事件を解決へと導くことによって、非日常を日常へと回帰させる。人間は多かれ少なかれ秩序に固執する。常に非日常という衝撃的な状態を長く生きていけるほど、人間は強くはない。探偵はすみやかに非日常を終わらせるために、必ず真実に到達しなければならないのだ。

 本書で言うところの「謎」とは、黒猫のシンクが「どこから」上述のような品々をもってきたのか、という一点である。だが「ミルリトン探偵局」たる著者も円田さんも、ではその真実を追求するためにシンクに発信機をつけ、その行方を延々と追い続けたりするようなことはしない。なぜなら、本書のなかで重要なのは真実に到達することではなく、その真実を「猫には猫だけが行ける場所」としていとおしむことであるからだ。そして、こうした「わからないもの」「なくしてしまったもの」に対してよせられる特別な感情は、『どこかにいってしまったものたち』をはじめとするクラフト・エヴィング商會の作品を思わせるものがある(そしてそれらの作品を読んだことのある読者なら、クラフト・エヴィング商會と本書の著者との関係にニヤリとさせられることになるだろう)。

 本来の探偵が謎を解決するのに対し、本書の探偵はむしろ謎そのものを探し出す役割を負っている。謎を解決しない探偵――そういう意味では、本書に収められた「久助」も「奏者」も「箱舟」も、いっけん謎に対する解答のような表情をしてはいるが、じつはこれもまた著者がシンクのくわえてきた品々から考えついた物語でしかない、ということになる。だが、その「解決されない謎」から生まれた物語が、どこか懐かしく美しいもののように思えてくるのは、まさに「読まれない本」に対する思いがどこまでも想像を刺激するのとよく似ている。

 子供のとき、世界のすべては「驚き」に充ちていた。何も知らなかったからだ。私は背丈こそ伸びなかったが、いろいろなことを吸収して大きくなり、知らなくていいようなことまで知ってしまった。――(中略)――残念なことだ。

 かつて、この世界がどんな形をしているのかを知ることができなかった人たちは、海の果てに断崖絶壁や奈落の底を想像したり、巨大な亀の上に乗せられた世界の形を自由に考えついていった。今、私たちはこの世界が宇宙のなかにある惑星のひとつであり、太陽という恒星のまわりを一年かけて回っていることを知っている。だが、それはあくまで知識として知っているというだけのことでしかない。ただひとつの答え、ただひとつの結果だけを効率よく求めていく生き方を、私たちはいつのまにかあたり前のようにしていくようになってしまったが、そんな生き方にふと疑問をもち、そしてちょっと足を止めてみたくなるような、そんな魅力が本書のなかにはたしかにある。(2005.02.04)

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