【開文社出版】
『尖塔』

ウィリアム・ゴールディング著/宮原一成・吉田徹夫訳 

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 傲慢不遜な人間というのはなかなかにタチの悪いものであるが、彼らが手におえない最大の要因は、他ならぬ彼ら自身が、自身の傲慢さに無自覚な点にこそある。

 たとえば、何らかの犯罪に巻き込まれた被害者や、難病をかかえた人など、世間において理不尽な不幸を負わなければならない人がいる。彼らが幸薄い人たちであることはまぎれもない事実であるし、そのこと自体には同情を禁じえないが、もし彼らの心のなかに、自身の受けた不幸を理由に、自分は特別扱いされるべきだ、という心理が生まれてきたとしたら、彼らはこの上なく傲慢な人間に成り果ててしまうことだろう。いや、とくに大きな不幸を背負っている必要はない。たとえば、今の日本の年金制度に不満をもつ若者が、将来年金がもらえないかもしれない、という理由で、現在年金支給を受けている何の罪もないお年寄りの貯金を騙し取ってもかまわないと思い込む心理は、自分が他の人に比べて恵まれていないという状況を生み出すための方便であり、そこから生まれてくるのもまた、ある種の特別扱いされるべきだという傲慢さである。

 こうした「自分が特別である」という心理は、人間が自我をもって生まれてきた以上、誰もが多かれ少なかれ抱いているものであるが、だからといって誰もが傲慢になるわけではないし、そもそも傲慢さというのは個人が意図的にそうなるのではなく、むしろ周囲にいる人たちが判断することでもある。「自分が特別である」という意識が傲慢さに変わるとき――それは、本来あるべき特別さが、自分の内からではなく、外から与えられた要素と結びついたときだ。本書『尖塔』は、そのタイトルにもあるとおり、大聖堂に尖塔を建設するという話であるが、地上から400フィートもの高さになる尖塔の建設を、是が非でも推し進めていこうとするジョスリン参事会長の揺るぎなき思いは、神からの啓示を受けた、その幻視をたしかに見た、という外からの因子によるものである。

 聖職者として当然やるべきことをやっているだけだ、という本人の意思とは裏腹に、周囲にいる人たちは彼の行為を出すぎたもの、無謀なもの、そして自分の権威を見せつけるための、鼻持ちならないものとしてしか受け取らない、というギャップについては、物語の当初から助祭たちの陰口という形で示されている。じっさいジョスリンの態度は、たとえば尖塔建設の費用を叔母に出してもらっているにもかかわらず、そのことに感謝するどころか軽蔑するかのような態度を隠そうともしなかったりするところにも表われているのだが、尖塔建設を神の命と信じて疑わないがゆえに、自身の態度が他者にどのような影響をおよぼしているのか、という点に意識が向くことがない。そして、こうした自己批判の欠如は、物語が進むにつれてますます彼自身の思い込みと現実とのギャップを広げていく結果となる。

 境内の小家に先祖代々住みこみ、大聖堂のためにはたらいているパンガルの失踪や、彼の妻であるグッディと、尖塔建築の責任者であるロジャーとの不倫関係の行方など、尖塔建設の過程において、それが神の意思であるという神聖さとは正反対の出来事によって彩られる本書であるが、何よりメインとなっていくのは、きちんとした基盤が地面になく、それゆえに400フィートもの尖塔など物理的に建てられないとわかっていながら、それでもなお尖塔建築をやめようとしないジョスリンの、徐々ににじみ出てくることになる狂信ぶりにこそある。建築が進むにつれて、大聖堂をささえる四本の柱はその重みで曲がり、石が絶えず軋みをあげるような状態がつづくなか、是が非でも尖塔完成を目指すジョスリンの意思は、さまざまなものを犠牲にして作業をさらに急がせることになる。はたして、尖塔は本当に完成するのか、それともどこかで破綻して崩壊してしまうのか。

 人間の揺るぎない思いがいつしか狂信へと変貌し、最後にはおぞましい結果をもたらしていく、というテーマについては、同著者の『蝿の王』にも見られたものであるが、本書の場合、メインとなる人物が聖職者であるという点において、人間が生まれながらにかかえてしまっている「原罪」を強く意識させるものとなっている。じっさい、ジョスリンは本書のなかで、何度も自身の背後に天使の存在を意識し、それゆえに彼はますます破滅への道をひた走ることになるのだが、そんな彼の尖塔への意欲は、結果として他の聖職者や関係者との不和を生み、信者を大聖堂から遠のかせることとなった。そして、私たち読者は思わざるを得ない。なぜ彼は、これほどまで尖塔にこだわるのか、何が彼をそこまで駆り立てるのか、と。そして、良かれと信じてとった行動が、大きな災いを呼び起こすことになってしまう人間の存在についても、深く考えずにはいられなくなる。私たち人間の成すことは、ただそれだけで善からは外れてしまうのか、と。

「わが尖塔は、一番下の底から頂点まで、あらゆる段階を突き通すのだ!」

 大聖堂に尖塔を建てるという話ゆえに、本書にはキリスト教的な知識があちこちにちりばめられているが、本書を読んでつくづく思うのは、聖職者であってもやはり人は人であり、それゆえに原罪からは逃れられるものではない、というおよそ救いの見えないものであり、著者の書く作品はその闇の部分をしっかりと見据えて読者の前にさらけだそうとするものである。はるかな高みを目指していたはずのジョスリンの視点が、いつしか尖塔の基盤の、さらにその下にある暗い地下室へと転じていくという皮肉――人が傲慢に落ちるのは、特別だという思いが自分の外から来たときであると上述したが、では祈りの図式としての尖塔にすべてをささげたジョスリンが、その背中に感じていたものは、はたして天使だったのだろうか、それとも悪魔だったのだろうか。(2006.09.24)

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