【PHP研究所】
『小説の読み方』
−感想が語れる着眼点−

平野啓一郎著 



 今更あらためて断るまでもないことかもしれないが、このサイトは「読んだ本は意地でも褒める」という観点で本を読み、書評することを目的としている。そしてその「褒める」という観点に説得力をもたせるためには、対象となる本に対してより深い読み込みを必要とする。本を読み進めて「ああ、面白かった」で終わる、それもまた読書のひとつの形であるし、その逆もまたしかりである。だが、たとえばある本を読んで「つまらない」という感想をもったときに、私はそこに「なぜ」という疑問をもたずにはいられなくなる。

 なぜこの本は私にとってつまらなかったのか、という疑問にぶつかったときに、私がまず考えるのは、自分の読み方が間違っているのではないか、というものだ。何か重要な点を見逃しているのではないか、自分の今の知識では理解できない部分があるのではないか――せっかく金を払い、時間を割いて読もうと思った本だ。どうせならそこに書かれていることを自分なりに消化したうえで、感想をもちたいものだという気持ちが、私にはあった。ちなみに、そうした気持ちは「つまらない」ときだけでなく「面白かった」というときも同様である。そのときは、どうして面白いと思ったのか、どんな箇所に感動したのか、ということを考えていくことになる。

 今にして思えば、そうした読書への姿勢が今のサイトの方針につながっていったわけだが、かれこれ10年以上も「褒める書評」をつづけているにもかかわらず、本を褒めることというアプローチそのものに対して、あまり論理的な視点を向けていないことにふと気がついた。もちろん、褒めるべき点を探すというアプローチは常に揺るがないものであるが、物語の内容を褒めるのか、キャラクター造詣を褒めるのか、あるいはその表現が素晴らしいのか、考えるべき要素は無数にあるうえに、そもそもなぜ作者はこの作品を書いたのか、その作品にどんな思いを込めようとしたのかが見えないと、せっかくの書評も的外れなものとなってしまう。本書『小説の読み方』は、私が書評を書くさいに、おそらく頭のなかで無自覚にやっているはずの思考をきちんとした言葉にしているだけでなく、私が書評を書くさいには除外しているアプローチについても、きわめて分析的に書き記している。そしてそのアプローチは、「感想が語れる着眼点」というサブタイトルが示すように、正統的なものでもある。

 どうすれば、小説を読んで感動できるようになるのか? 小説の愛し方とは? 残念ながら、それを説明するのは難しい。――(中略)――それでも、小説というものが、どんなふうに動いていて、どういう発展を遂げてきて、ひとりの作家の作品がどんなふうに成長してゆくのか。またそれが、私たちにどんな影響を持つのか。そうしたことについては、私たちも語る術があり、知ることでなるほどと、その愛し方が変わるところもある。

 本書に提示されている読解の基礎は、大きくふたつの方式に絞ることができる。ひとつは、小説全体、あるいはそのなかの一部を切り出したさいに、それに対してどのようやアプローチをかけるか、という点。もうひとつは、文章の流れ、より詳しく言えば、主語から述語へといたる流れをどのようにとらえるか、という点である。前者に対しては、ニコラス・ティンバーゲンが動物行動学の基本として挙げている「四つの質問」、すなわち「メカニズム」「発達」「機能」「進化」の四つのアプローチを紹介し、それが小説を読むという行為とどのように結びつくのかを示している。

 ある小説を読むさいに、私たちが対峙しているのは、もちろんある作家の書いた作品であり、そこに書かれた世界だ。それゆえに、小説を読むというのは、文字どおり小説を読む、つまり作品がすべての中心という前提で小説を読むことになる。もちろん、それも小説の読み方のひとつではあるが、本書においてははあくまでアプローチのひとつにすぎない、という姿勢をとる。小説というのは、作品そのものだけでなく、それを書いた作家という人間がいて、またその小説の書かれた時代背景が少なからずからんでくるものだからだ。

「なぜその小説が書かれたのか」というひとつの疑問が生じたときに、その作品だけをとらえていると、アプローチの方法はおのずと限られてしまう。本書が示す「四つの質問」とは、ようするに作品だけではなく、作家の人間性や歴史、社会学的な視点からもアプローチをかけるべきだ、ということである。そうすることで、逆にそこから読書の世界が広がっていく。たとえば、ある作家の小説を一作だけ読むのと、同じ作家の別の小説を二作、三作と読んでいくのとでは、当然のことながらその理解の度合いは異なってくる。それは、読書という行為には、そうした側面からのアプローチがあり、そこから見出される発見がある、ということでもある。

 いっぽうの後者については、より作品寄りでテクニカルなアプローチとなる。小説が持っている大きな進行の「矢印」を見据えたうえで、個々の小さな文のなかにある主語と述語の関係が、主語から述語へと流れる「プロット前進型述語」なのか、あるいは述語が主語の説明をしている「主語充填型述語」なのかを分析し、物語全体のスピードや、その濃度といったものをとらえていく、というものである。そしてこの後者のアプローチは、ひとつのテーマなり物語を小説という形に再構成していくさいに、どのような考えや過程があったのかをとらえるのに重要な役割をはたしていく。

 だが、本書の本当の読みどころは、そうした「基礎編」ではなく、それらの分析をじっさいの作品に応用してみせる「実践編」にこそあると言える。それこそポール・オースターの『幽霊たち』や古井由吉といった文学作品から、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』のようなエンターテイメント小説、はては『恋空』といったケータイ小説まで、上述の基礎編をもとに、見事なまでに分析、書評してみせているのだ。作者の視点と主体となる登場人物の距離感、キャラクター同士の関係性や、作品内における時間の流れなど、さまざまなアプローチで論じているものの、総じてそれらは「基礎編」の応用とも言えるものであり、私も過去に読んだことのある作品もいくつかあっただけに、このようなとらえかたがあったのか、と感嘆せずにはいられないところがいくつもあった。

 小説をただ読んで終わるのではなく、より深くとらえていきたい、これまでとは違った角度で小説を読んでいきたい、と考える人にとって、本書はきっとそのきっかけを与えてくれるに違いない。それと同時に、小説とは何なのか、インターネットの隆盛によってより多くの情報のなかにさらされている私たちにとって、あえて小説という表現形式を選びとり、それを読んでいくということ、またそうした形式が現代において書かれていく意義について、理解の一助となりうるものだという確信がある。(2009.09.22)

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