【双葉社】
『先生と僕』

坂木司著 



 世の中にはじつにたくさんの小説が売り出されている。その内容は千差万別ながら、ストーリーのなかで登場人物が死んでしまう作品は、とくにミステリーやホラーといったジャンルでは珍しいものではない。家族や親しい人の死というのは悲しいものであり、できることならそんな心を砕かれるような思いは現実では忌避したいものではあるが、他ならぬフィクションのなかでならその体験を補完することは可能であり、そういう意味で物語というものには有用性がある、と脇明子の『物語が生きる力を育てる』でも述べられている。だが逆に、物語のなかだからこそ、そうしたつらい現実を忘れられるようなものを読みたい、という要望があるのも理解できる。

 今回紹介する本書『先生と僕』の語り手、伊藤二葉の場合、人が殺される小説が読めないのだが、その理由は彼が極端なこわがり屋であること、それも、なんでもなさそうな事柄に対して、しばしば最悪の想像をしてしまうという困った性格によるものである。にもかかわらず押しには弱く、流されるままに生きているような脇の甘さもある、なんとも頼りなさそうな大学生だったりする。

 そう、これが僕の悪い癖だ。負の想像力ばかりがやけに豊かで、少しでも不安なことがあるとすぐに悪い方へ悪い方へと妄想が走り出してしまう。――(中略)――そんな僕が、どうして人が殺される小説を読むことができるだろう?

(『先生と僕』より)

 全部で五つの作品を収めた短編集である本書は、いわゆる「日常の謎」を扱ったミステリーということになるが、表題作の『先生と僕』というタイトルからもわかるように、本書には伊藤二葉の「先生」に相当する人物が登場する。それが瀬川隼人であり、また本書では探偵役を担うことになる人物でもあるのだが、その彼がまだ中学一年という若さ、それも田舎育ちのおっとりした二葉とは違って世知に長け、良くも悪くも世間の表裏を心得ているしっかり者であるというのが、まずは本書の大きな特長となっている。

 本書はたしかにミステリーではあるのだが、本格ミステリーのようにトリックや謎がメインというわけではなく、そうした要素は副次的なもの、物語を進行させるためのきっかけにすぎない。むしろ二葉や隼人といった登場人物のキャラクターづくり、そしてそんな彼らが物語をどのように回していくのかが、本書のメインだと言える。

 たとえば、二葉と隼人の関係について。ふつうであればふたりの知り合う接点は無きに等しいはずなのだが、ふたりの両極端な性格が、その出会いをうまく演出する役目をはたしている。二葉は人が殺されるミステリーなど読めないにもかかわらず、大学で知り合った友人に強引に推理小説研究会に入れられてしまい、渡された江戸川乱歩の文庫本を手に茫然としているところを隼人に目をつけられる。隼人は隼人で自分のことをうるさく言ってこない、都合のいい家庭教師役を探していたのだが、大のミステリー好きな彼が二葉に声をかけるきっかけとなったのが、手に持っていた江戸川乱歩の文庫本だ。

 つまり、ふたりが出会うきっかけとなったのはミステリーの文庫本ということになるのだが、二葉はきわめて消極的な理由でそれをもっていたのであり、隼人はきわめて積極的な意味でその文庫本に目をつけた。まさに「このふたりだからこそ」という展開がそこには演出されており、これがそのまま彼らの関係を象徴し、また今後の物語の展開にも影響していくことになる。立場上こそ隼人の家庭教師ということになっている二葉が、それ以外のほとんどの部分では、まるっきり逆の立場、隼人に二葉がいろいろ教えてもらっているというところに本書のおかしみがある。とくにミステリーにかんしては完全に隼人が「先生」であり、二葉がサークルでなんとかやっていけているのは、隼人に人の死なないミステリーを教えてもらっているところが大きい。

 こうして、ミステリー好きであるがゆえに、平凡な日常において少しでも謎の気配があればそれに首を突っ込まずにはいられない早熟な中学生と、どこか人畜無害そうで、それゆえにズルズルとやっかいなことに巻き込まれてしまう大学生という、なんとも奇妙な凸凹コンビが活躍する本書は、日常の謎というミステリーにおいてはきわめて相性の良いキャラクターだと言える。もちろんそうした印象は、二葉と隼人を無理なく動かしていくだけの緻密な構成力があるからこそのものであるが、それとは別に本書の注目すべき点として、隼人のミステリー好きな「理由」がある。

 隼人は中学生としては異様なまでに頭の切れる少年だ。それはたんに勉強ができるというだけでなく、家族や学校や社会が何を自分に求めているのか、自分の反応に相手がどう思うのかといった心の機微をよくわきまえているという意味だ。二葉の家庭教師の件にしても、その裏には塾に行かされるくらいなら、家庭教師と取引して自分の好きなことをしていたいという目論見があった。そしてこの洞察力によって、日常の謎は解き明かされることになるのだが、その真相はいつも隼人を「がっかり」させる。

「本の中では、犯罪にも理由やロマンがある。正義を守る人もいれば、スケールの大きな悪をもくろむ犯人もいる。なのに現実は、お金お金お金。そればっかり。殺人にも理由がなくて、被害者だって殺され損だと思わない?」

(『先生と僕』より)

 少し前までは小学生だったにもかかわらず聡明で、でも子どもであるがゆえに不自由な隼人は、ある意味で二葉以上に危なっかしい存在だ。それこそ自分でも言っているように、その気になれば今回彼が解明した事件より「もっとうまくやれる」可能性があり、それはけっして絵空事ではないのだ。だが、隼人とは正反対な意味で危なっかしい二葉がいるからこそ、彼が探偵側から犯人側へと転ばずにいられる、という見方もできる。そしてそう考えたときに、今後二葉の隼人に対する立ち位置にどのような変化が訪れることになるのかが、気になるところでもある。

 それぞれの短編の最後には、隼人が二葉に紹介するという形で、ミステリーの名著を紹介するという形で締めくくられており、著者のミステリーに対する愛が感じられる本書、ぜひ一度手にとってみてほしい。(2014.07.27)

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