【東京創元社】
『刺青白書』

樋口有介著 



 私が大学時代に所属していた、とある文芸サークルのことをふと思い出す。そのサークルは文芸という点ではそれほど硬派なところはなく、定期的に読書会を開いたり会誌を刊行したりする以外は、部室になんとなく集まってとりとめのない話をしたりするようなサークルだった。当時、小説創作の道をひた走っていた私が、そんなサークルにそこはかとない居心地の良さを感じていたのはたしかだが、それ以上にそこで知り合った人たちとの相性も悪くはなかったのだろう。

 私の大学生活は小説創作で大半が占められてしまうようなものだったが、そのサークルの存在がなければ、私の大学生活はもっと偏狭なものとなっていたのだろうと、今になって思うことがある。曲がりなりにも大学生らしい青春を送ることができたのは、そのサークルに入っていたからこそだ。だが、大学を卒業して何年か経って、当時のサークルの人たち同士が結婚していたり、あるいはそのサークルの誰かと誰かが付き合っていたとかいう話が漏れ聞こえるようになったとき、なんとも不思議な気持ちになったことを覚えている。というのも当時、そうした恋愛関係の話題はまったくと言っていいほど上がらなかったし、私もそんな雰囲気を当時の誰かに感じることはなかったからだ。

 私が小説創作にうつつを抜かしているうちに、同じ文芸サークルの知り合いたちは、自分たちの青春を恋愛要素で彩ることに成功していたらしい。私がまったくのボンクラだったといえばそれまでだが、まったく人というのは何がどう変わっていくのか分かったものではないという感慨は、すごした時間が長ければ長いほどより大きな衝撃をもたらすものだということを、私はこのときに実感したように思う。

 この六年をぼんやりと呑気にすごしてきたのは、どうやら鈴女ひとりらしい。小筆眞弓も伊東牧歩も、それに万作も米山貴弘も、しっかりとドラマをやっている。まだドラマのストーリーは漠然としているが、誰のドラマも、それほど気楽なものではないだろう。

 今回紹介する本書『刺青白書』は、同著者の『彼女はたぶん魔法を使う』をはじめとする柚木草平シリーズの外伝的な扱いの作品であり、メインで活躍するのは彼ではなく、冷泉女子大に通う三浦鈴女である。ひょろ長い手足に野暮ったいミニスカート、無骨なウォーキングシューズの眼鏡っ子として登場する彼女は現在大学四年、卒業論文や卒業後の進路について考えなくてはならない時期にあるが、そんな彼女が上述の引用のような感慨を抱くにいたったのは、立て続けに起こった二件の殺人事件によるものだ。

 最初の事件の被害者は神崎あや。アイドル殺人としてメディアが連日報道していたが、じっさいにはコマーシャルタレントという位置づけであり、もともとアイドルに疎い鈴女のアンテナにはひっかかるはずもないのだが、大手出版社の週刊誌編集部に勤める父親から、神崎あやの本名と顔写真を見せられて、はじめて彼女が中学時代の同級生であることに気づかされることになる。そしてもうひとつの殺人事件では、伊東牧歩という大学生が犠牲になっているが、鈴女はその直前に彼女と偶然再会していた。伊東牧歩もまた中学では同級生だったのだが、そのときの彼女はテレビ局のアナウンサー部門への就職が内定しており、隅田川から溺死体として発見された彼女が自殺するような理由をもっていないことを知っている。

 こうして、妙な因果で中学時代の同級生が立て続けに死ぬという事態に陥った鈴女が、今回のふたつの事件にどんな関係があるのかを独自に調べることになるのだが、ここには鈴女だけがとりえるアドバンテージがある。それは、殺されたふたりが中学の同級生であるというつながりを前もって知っている、というもので、警察側ではこのふたつの事件は、まだ独立した事件、あるいは事故としてとらえているのだ。だがそれ以上に鈴女の原動力となっていたのは、そのふたりの変貌の大きさによるところが大きい。もともと鈴女は、自分がクラスで仲間はずれにされていたことに、当の本人から聞かされるまで気づかないという能天気な性格をしているが、それでも中学では地味で、ほとんど印象に残っていないふたりが、かたやアイドル、かたやアナウンサー候補という、派手な道を歩んでいたという事実が多少なりとも衝撃だったろうことは、想像に難くない。

 自分のかつて知り合った同級生たちは、六年という歳月で大きく変化していた。かつてクラスの女子たちの憧れで、将来はプロ野球の投手としての活躍を期待されていた左近万作でさえ、肩の故障で不良っぽい雰囲気の青年に変わっていた。それに比べて、会う人会う人に「変わっていない」と言われる鈴女が、今回の事件にあえて首を突っ込むことになったのは、そんな「変わっていない」と思われている自分の六年間を見つめなおすという意味合いもある。そういう意味では、本書は鈴女の青春をテーマとした変則的な物語だと言えるが、当然のことながら、一介の大学生にすぎない彼女が、警察でも手をこまねいている殺人事件の真相を探るというのは荷が重い。

 そこで重要になってくるのが、柚木草平というフリーの雑誌記者の存在である。彼はもともと警視庁の刑事だったこともあり、警察方面に顔が利くだけでなく、事件の捜査についてもお手の物である。彼はたまたま鈴女の父親に、今回の事件の調査と記事原稿を依頼された関係で鈴女ともかかわることになるのだが、殺されたふたりの共通点を探っていくうちに見えてくるのは、例によってじつに嫌な人間関係や、あるいは人々の後ろ暗い過去、性癖や狂気といったたぐいのものだったりする。

 柚木草平は典型的なハードボイルド的役割を負うキャラクターであり、ミステリーにおける探偵役というわけではない。ゆえに、せいぜい男として強がりながらも陰惨な事件の裏側にあえて足を踏み入れるというシチュエーションは、いかにも彼にふさわしい役割である。言い換えるなら、柚木は鈴女の代わりに汚れ役を担っており、それがあるからこそ、本書は鈴女の青春小説としての体裁をかろうじて保つことが可能になっている。

 ジントニックで咽をしめらせ、タバコに火をつけてから、薄暗くさびれた店の空気に柚木は居心地悪く肩をすくめた。他人の弱みにつけ込んで情報を引き出すことに神経は慣れていても、まだ美意識が、性こりもなく躊躇する。

 柚木草平シリーズとしては珍しく三人称で書かれた本書は、第三者の目から見た「女たらし」としての柚木草平の姿を拝めたり、あるいは鈴女の主観を意識した、江戸時代の東京の様子を垣間見たりすることができる作品でもある。そして本書を最後まで読み終えたとき、そのタイトルとなっている『刺青白書』――殺されたふたりのもうひとつの共通点である、右肩の薔薇の刺青の本当の意味と、それがもたらした悲劇の、なんともやるせない真相を知ることになる。人がどうしようもなく変わっていくということ、そしてその事実を知ってしまうということの甘酸っぱい青春を、ハードボイルドのなかに凝縮した本書を、ぜひ堪能してもらいたい。(2014.12.09)

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