【東京創元社】
『タルト・タタンの夢』

近藤史恵著 



 人と人との関係にはさまざまな形があるが、相手が心のなかで何を考え、どんな気持ちでいるのか、その真意を理解するのはけっして容易なことではない。それは相手が自身のなかで展開している理屈づけが、かならずしも万人に理解できるものであるとはかぎらないからに他ならないのだが、それと同じくらいたしかなのは、自分の思っていることやそのときの気持ちを相手に伝えることもまた、簡単ではないということだ。

 人は基本的に主観の生き物であるし、そうである以上、常に自分にとって都合のいいように物事を解釈しがちである。そしてそれゆえに、人間関係というものは常に誤解やすれ違いが発生する危険をはらんでいる。けっして相手を傷つけようという意図があったわけではないにもかかわらず、こちらのちょっとした言い回しや行動が、あるいはその積み重ねが、相手の心を傷つけ、その信頼を損なうことになってしまったという体験は、誰もが多かれ少なかれもっているものであろうが、そうなってしまったときに、一度壊れてしまった関係を修復するのは可能なのだろうか、ということをふと考える。

 本書『タルト・タタンの夢』は、表題作を含む七つの短編を収めた作品集であり、また殺人事件といった大きなものではないが、日常のちょっとした事件や謎が提示され、最終的にその謎解きがなされるという意味では、たとえば田中啓文の『落下する緑』や、大崎梢の『配達あかずきん』などと同じジャンルの連作ミステリーということになる。そして、本書の短編のなかで一貫しているのは、いずれの謎も何らかの形で料理が絡んでいる、という点である。

 本書の舞台となるのは、下町の商店街にある小さなフレンチ・レストランだ。カウンター七席、テーブル五席という店内構成の「ビストロ・パ・マル」は、フランス料理といってもその高級感やおしゃれさを演出するのではなく、あくまでフランスの家庭料理を意識したメニューが多く、純粋にフランス料理を味わいたい人たちにひそかに愛されている。料理人の志村洋二、ソムリエの金子ゆき、ギャルソンの高築智行、そして店長兼料理長の三船忍という「ビストロ・パ・マル」のメンバーのうち、一番の若輩者である高築が語り手、そして一見すると素浪人ふうな印象の三船が探偵役となり、あるときは体調を崩した常連の謎を解き、あるときは客がもちこんできた過去の不思議な事件を推理し、あるいは現在かかえこんでいる問題に一筋の光をあてていく。

 ひとつひとつの短編はきわめて軽いタッチで書かれていて読みやすく、ともすると飲み口のいいカクテルのように読み終えてしまうものばかりであるが、それぞれの作品のなかに描かれているテーマはけっして軽いものではない。そこにあるのは、人間が人間であるがゆえに陥りやすい勘違いやすれ違い、誤解といった要素によってもつれたり、こじれたりしてしまった人間関係である。そうしたこじれた人間関係の心理は、原因がわかってしまえばいかにもくだらない、たいしたことのないもののように思えてしまうものばかりだが、その単純な要因が見えていない当事者にとっては、今後の人生を大きく変える事態に発展しかねない重要事となっている。ある日突然、何も言わずに家を出て行った妻や、ひどい出来の料理をきっかけに恋人だった男から離れることにした女性作家、あるいは極端な偏食の要因になっている妻の手料理に対する、夫の愛人の意見など、物事のある一面のみが真実だと思い込んでしまったがゆえに、そこに隠された真意が見えなくなっている人たちが、本書の謎の主体をなしている。

 本書のなかで探偵役をつとめる三船シェフは、探偵である以前に料理人であり、それゆえに彼が推理してみせる謎は、いずれもその事件に大きく関係している料理が解決のヒントとなっている。ある専門の職業に従事しているからこそ見破ることのできるトリック、という点で一貫しているミステリーとしての要素も見事ではあるが、それよりも重要なのは、彼の推理が人を救う推理、もつれてしまった人間関係をほぐす推理として機能している点だ。こうした探偵の役割は、たとえば同著者の『賢者はベンチで思索する』などにも踏襲されている、おそらく著者が一貫してもっているテーマである。

 怒りや悲しみ、あるいは裏切られたという負の感情は、一度起こってしまうとその感情がいわばひとつの理屈づけとなって、人の心に根づいてしまうところがある。心というのは常に変化していくものであるが、いったん根づいたそうした感情は、それゆえに取り除くのも難しい。それは、せっかく理屈づけして安定していた自身の心を、ふたたび不安定にしてしまう行為でもあるからだ。だが、それでもお互いの誤解やすれ違いを解きたいと思うときに、重要なのは何なのだろうと考える。もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない――おそらく、そんなふうに考えてしまったら、その時点で本当に手遅れになってしまうのではないだろうか。そして私が本書を読んで思うのは、一度凍りついた心を溶かすのは、ただ言葉だけでは、正論だけでは駄目だということである。三船はふだんは無口で、ともするととっつき難い印象を受けるキャラクターであるが、そうした人物が言葉だけでなく、自ら料理を実演することをもって事件を推理するという展開は、そういう意味で象徴的だ。探偵という超人ではなく、まさに生きた人間としての姿が、たしかにそこにはある。

 本書に収められた短編は、短編ゆえに費やされている言葉は多くはないが、それ以上に本書のなかで出される料理の数々が、言葉以上に多くを物語っている。それは、ともすればただの料理として、腹に収められて終わってしまうものでしかないのかもしれないが、見る人が見れば、そこに豊かな物語が秘められていることに気づく。料理が教えてくれる真相は、人と人との関係をふたたびつなぐための真相でもある――そんな素晴らしい短編集を、ぜひとも一度味わってもらいたい。(2008.03.24)

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