【文藝春秋】
『タマリンドの木』

池澤夏樹著 



 ある人との出会いが、その人の今後の人生を大きく変えてしまうことがある。ごく一部の例外を除き、小説が人間を表現するものであり、人と人との出会いが新しい物語を生むものである以上、どんな小説も「人と人との出会い」をあつかう物語であることは間違いのない事実なのだが、本書を読み終えて、私はあらためて、その当たり前の事実を認識させられたような気がする。

 本書『タマリンドの木』は、言ってしまえばごく平凡な恋愛小説である。松浦理英子の『親指Pの修行時代』のようにアブノーマルな性をあつかうのでもなく、また林真理子の『不機嫌な果実』のように打算で生きる女の現実をあつかうのでもなく、ただ純粋に、男と女が出会い、ちょっとした偶然や事件を経て親密になり、そして一緒になる決意をする――という、ちょっと周囲に目をやればどこにでも転がっていそうな題材を、あえて物語にしている。
 そう、ある会社の営業マンである野山隆志と、あるボランティア団体の一員としてタイではたらいている樫村修子――ちょっとした偶然によって出会ったふたりは、互いに引き寄せられるようにして、結びついてゆく。だが、一緒になりたいと思ったそのとき、ふたりの間に横たわる深い溝に気づく。それはふたりに、それまで漠然と先送りにしてきた問題――自分が今いる立場、そしてこれからどうするべきなのか、という問題に、真剣に向き合わせるきっかけを与えることになる。
 先に結論を出したのは修子だ。彼女は、隆志よりもボランティアを選ぶ決意をする。そして隆志は思い悩む。

 この女を東京に呼び戻す力は自分にはない。こんな仕事をしてきた人間を満足させる生活があの国のあの都会にあるはずがない。自分に対する彼女の気持ち以外に二人を結ぶものはない。そして、人は恋だけで生きることはできない。恋は人と人を引き寄せるが、そうして作られた仲を維持するのは恋ではない。

 では、「そうして作られた仲を維持する」ものとは何なのか、そして、隆志は最終的にどんな結論を出すのか――それは本書を読んでぜひ確かめてほしいと答えるしかない。本書のラストにある、修子の何気ないひとことが、そのすべてを物語っているのに気がつくだろう。

「人と人との出会い」をあつかう物語のもっとも純粋な形が恋愛だ。考えてみれば、ある特定の男と女(あるいは男と男、女と女でもいいのだろうが)を引きよせ、結びつける恋愛という力ほど平凡で、それでいて不可解な現象もめずらしい。世の中では多くの恋愛小説が書かれ、そして読まれているが、それは恋愛が、人間を書くためのもっとも普遍的な行為であり、かつ永遠の謎を秘めているがゆえなのだろう。(1999.01.25)

ホームへ