【文藝春秋】
『My name is TAKETOO』

ヒキタクニオ著 



 老いること、体のあちこちに年月とともに刻まれていく老化の兆しは、およそあらゆる生物がこの世に生を受けた以上、かならず死を迎えるのと同様、避けることのできない自然の摂理でもある。老いるとは、古びるということ、俗な言いかたをすればガタがくる、ということでもある。それまできちんと動いてくれていたものが、思ったように動かなくなること――たとえば、私は30代のときに、一度運動会の50m走に出たことがあるのだが、頭のなかでイメージしていた体の動きと、じっさいの体の動きとのあいだには少なからぬギャップが生じ、ものの見事に転倒してしまった。これもある意味、老化の兆しと言うことができる。

 生まれてから30年以上経過した体は、10代や20代の体のようには動かないし、また動いてもくれない。それは、精神的にはまだまだやれる、ふんばれるという思いが強ければ強いほど理不尽なことのように思えるものであるが、人がいつか必ず死を迎えなければならないという絶対的な事実を考えたとき、徐々に衰えていく体は、人間に来るべき死を受け入れさせるための猶予期間であり、やさしさであると言い換えることもできる。物であれば、新しい物と取り替えればいい。だが、自分の体をそっくりそのまま交換するわけにはいかないし、仮にそれが可能だったとしても、それはもはや以前と同じ自分とは言えなくなってしまう。古びていく体と、なんとか折り合いをつけて付き合っていくしかないのだ。

 老いとの闘いが始まった。しかし、薬物を手にして闘いに挑んだ者は、自然の摂理の前にことごとく叩き伏せられた。老いとの闘いに勝利した者を武任は知らない。戦ってはいけないもの、それが老い、自然の摂理というものなのかもしれない。

 今回紹介する本書『My name is TAKETOO』は、バレエダンスの物語である。主人公のフィリップ・K・武任は、日本人と白色系アメリカ人との混血児であり、また世界的に有名なバレエ・サーキット「ペルフェクション」のグランプリ勝者。一万メートル走を全身運動の演技をしながら駆け抜けることに等しいとまで言われる苛酷なペルフェクションにおいて、彼は五年間その頂点に君臨しつづけていた。

 インプラント型ポワントの導入によって男性ダンサーであっても爪先立ちで踊ることが可能になった近未来のバレエは、そのぶんダンサーの身体にかかる負担も跳ね上がることとなった。爪先を細くするための足の小指の切断、ポワント装着のためのボルト埋め込み、膝から下の靭帯や骨組織補強のための手術といったものと、ダンサーは日常的に向き合わなければならず、それゆえに本書の世界におけるバレエとは、個人的な競技というよりも、競技者とそれをさまざまな方面でサポートする優秀なスタッフたちによるチーム戦という色合いがより強くなっている。もちろん、武任も医療、食生活、トレーニングや装具のメンテナンスなど、あらゆる面において最高級のスタッフを有し、日々の生活はペルフェクションを戦い抜くために完璧に管理されていた。

 日々の排泄物まで厳密に管理され、まるでプライベートなど存在しない武任の人生は、まさにバレエのため――ペルフェクションで勝ち続けるためだけに存在するようなものであり、それだけでもその世界の厳しさがうかがい知れるのだが、それゆえにペルフェクションにおけるバレエは、ダンサーの肉体が放つ音ひとつさえ芸術として認識されるほどのレベルを保ちつづけている。完璧な静止状態、静から動へと移行するさいの躍動感、まるで重力を感じさせない跳躍や、いっさいの無酸素状態で行なうデス・スピン、いっけんゆるやかな動きのなかに垣間見える、肉体の極度な緊張感、飛び散る汗や息づかいも含め、圧倒的な迫力をもって迫ってくるバレエダンスの表現が凄まじい本書であるが、それ以上に、ペルフェクションに臨む者たちの覚悟の度合いもまた凄まじく、読者の心を揺さぶらずにはいられない。

 はたして、武任は今年のペルフェクションにおいても、覇者でありつづけられるのか? たしかに彼のライバルとも言うべき若手ダンサーのセジウィックや、女性でありながらあえて男性と同じ条件でペルフェクションに臨むドミニクといった競技者も登場し、彼らの勝敗の行方もおおいに気になるところではあるが、本書を読み進めていくと、武任が真に立ち向かわなければならない敵が、何より老化という自然現象であることが見えてくる。具体的な年齢は書かれてはいないが、もうすぐ40に手が届くという武任の体は、けっして若いとは言えない。これまで最高のスタッフたちの管理によって、20代後半の肉体をなんとか維持しつづけてきたものの、それも限界が近づいていることを意識した武任は、今回もっとも苛酷な敵を相手にしなければならないのだ。

 ずっと若くありつづけたい――不老不死の願いというのは、いつの時代においても人々を惑わす禁断の欲望であるが、そういう意味において、本書の時代背景が2060年という近未来に設定されているのは、たんに男性ダンサーをバレエの中心に置きたいという理由だけではない。本書の冒頭では、オリンピック・ゲームにおいて世界新記録を期待されていたある100mスプリンターが、まさにその決勝戦の最中に死亡するというショッキングな事件が起こるのだが、その原因が、彼に施された全置換型人工心臓への極度な負担によるものであり、それは同時に、遺伝子操作を含むドーピング行為のエスカレートが日常となっているスポーツ界の現状を映し出す役目をはたしている。そしてそれは、ペルフェクションに臨むバレエダンサーにとっても、けっして無関係ではない。

 いっけん物静かで、王者の貫禄とも言うべき落ち着きで粛々とスタッフの指示に従っている武任だが、彼も若いころは、なかなかグランプリ勝者に届かないことに焦り、相手の失敗を願うような卑しさをもっていたし、グランプリ勝者になってからも、さらに自分が一番であり続けたいという貪欲さや、なにより負けず嫌いなところをもってもいる。そして彼は、その欲望を叶える方法として、より精神的な部分、その意思の強さを支えにするところがあった。それは、自身の体に施す金属補強をできるだけ少なくし、また痛みを抑えるための薬物投与に頼らないという彼のスタンスにも現われていたのだが、今回、よりはっきりとした形で見えてきた老いの兆候と直面しなければならないときに、いわゆる「悪魔に魂を売る」ことへの誘惑ともまた、直面しなければならなくなってくる。

 それは、言うなれば自分自身との戦い――老いをねじ伏せるのではなく、老いを認めたうえで、なお自身にできることを模索するということでもある。そしてその戦いは、これまで以上の厳しさを武任に要求する。そんな彼の姿を前にして、私たちは「なぜ、これほどまでに」と思わずにはいられない。なぜそこまでやるのか、バレエを踊るために、文字どおり心身を削るような思いをしてまで鍛錬をつづけられる、その意思の強さはどこから来るものなのかと問わずにはいられない。

「どういえばいいのか……。自分のため、チームのため、国のため、そのどれのためでもある。プライドのためでもあるし、勝ちたいという気持ちでもあるんだと思う。私は勝者を続けることを渇望しているからね。――(中略)――その全てが私、武任なんだ」

 本書のタイトルにもなっている「My name is TAKETOO」とは、自身の老いと、それをとりまくさまざまな出来事を経てきた彼が、いわば原点回帰という意味合いを込めて名づけたバレエの演目名でもある。自分が他ならぬ武任であるということ――老いゆく体を受け入れ、なお限界を超えようとする彼の踊りに、はたしてあなたは何を感じとることになるのだろうか。(2010.03.14)

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