【新潮社】
『退屈姫君伝』

米村圭伍著 



 ずっと以前にこのサイトで紹介した『アップフェルラント物語』という作品は、著者である田中芳樹の数ある代表作と比べると、その知名度はいまひとつであるが、20世紀初頭のヨーロッパを舞台として、とある少年がか弱き少女を救い出すというストーリーに、大国に囲まれた小さな国がいかにして侵略の脅威から独立をたもちつづけていくか、というより大きな問題をうまく絡ませることによって、ダイナミックに物語を展開させていくことに成功した良作である。まだ何の力もない少年少女や、たいした軍事力ももてない弱小国が、力がすべてだと思い込んでいる世の大人や大国を相手に、知恵と勇気を武器にして「ぎゃふん」と言わせてしまうという展開は、それだけで胸のすくような思いを読者に味わわせてくれるものであるが、それ以上に私たちを感動させるのは、小さくか弱い者たちがお互いに知恵を出し合ったり、力を合わせたりすることで、どんな大きな困難も乗り越えていくことができるということ――言い換えれば、どんなに小さな力であってもけっして無ではないこと、ひとりひとりが生きた人間であることを、物語の登場人物たちが私たちの代わりに証明してくれている点なのだ。

 ちょっと話が横にそれてしまったが、今回紹介する本書『退屈姫君伝』も、基本的には同じようなテーマをもつ作品である。ただ、物語のなかで中心となるのは少年ではなく少女、それも小さいとはいえ藩主の正室であり、女としての喜びも知っていながら、夢想癖のあるいたずら好きの少女のままであるめだか姫であり、ことの発端もか弱い女の子を救うといった明確なものが最初から見えているわけではなく、めだか姫の生来の好奇心旺盛な性格が、いくつもの勘違いや偶然と結びつくことで、徐々に彼女の周りに謎や事件が集まってくる、という構造をとっている。

 陸奥磐台藩五十万石の国主、西条綱道の末娘として生まれためだか姫にふってわいたかのように飛び込んできた婚儀の相手は、たった二万五千石のちっぽけな風見藩、その日のうちに洗濯しないと明日履く足袋もない、という財政の逼迫した貧乏大名であるが、どうもこの婚姻には裏がある――磐台藩と風見藩とのあいだに何か密約があり、めだか姫がその密約の道具にされたのではないか、という疑問は彼女自身も以前から抱いていたものの、藩主であり亭主でもある時羽直重が国許の讃岐に参勤交代で帰ってしまい、江戸にある藩邸でぽっかりと空いてしまった時間をひたすらもてあましていためだか姫にとっては、この現在の退屈極まりない日々をどのように過ごすか、ということこそが重要な懸念事項であった。

 暇をもてあましている者が戯れに行動を起こすと、たいていろくなことにならないというのが通例なのだが、本書においてもめだか姫が行動をおこすことで、風見藩邸に伝わる六不思議には出くわす、抜け穴をとおって屋敷から外に出て、下々の者たちとかかわりをもってしまう、さらには例の密約の内容が何なのかを探ることになったり、ことあるごとに風見藩の改易をもくろむ田沼意次の陰謀に立ち向かうことになったりと、物語が進むにつれてだんだん容易ならざる事態にめだか姫を巻き込むことになる。はたして「風見藩上屋敷の六不思議」の真相とはどのようなものなのか、また、磐台藩と風見藩との密約とは何なのか――こうしたミステリー的な要素を小出しにすることで、物語世界に読者の興味をとどめておこうとする手法は、前作『風流冷飯伝』でもおなじみのものであるが、なにより本書を魅力的な作品としているのは、世間知らずのお嬢様でありながら、天真爛漫な性格で変わったこと、自分にはない非日常的な事柄にことさら大きな空想を巡らせずにはいられない、なんとも憎めないキャラクターであるめだか姫の存在にこそある。

 なにしろ、すでに正室の身でありながら、その夫である藩主にさえいまだに「姫」と呼ばれてしまう少女である。世知辛い浮世の荒波にも無縁のまま、何不自由なく育ってきた苦労知らずの彼女であるが、だからといって自分勝手で我儘な性格だったり、自尊心ばかりが強い性格だったりすることもなく、たとえば風見藩という弱小藩の嫁という、これまでの暮らしからはかなりランクの落ちるような境遇にあっても、そのことをひとつの現実として受け入れながら、そこから自分なりの楽しみを見つけ出していこうとする意思を、おそらく本人さえも無自覚なまま発揮していく。その天然とも言える無邪気さは、そもそも田沼意次の命で密約の内容を探っていた、幕府お庭番の倉地政之助や女忍者のお仙など、本来は敵であるはずの登場人物さえもまんまと味方につけてしまうほどであるが、その無邪気さが意味するものは、身分や貧富の差といった上下意識をまったく意に介さない、言い換えれば誰と対峙しても同じひとりの人間として相手と接することができるという、人としてあたりまえのことでありながら、知らないうちに忘れてしまいがちな心構えである。

 お仙にとってはたやすい事、例えば松の木から飛び下りたりするような、女忍者にとっては朝飯前の技でも、この姫君は目を丸くして、「すてきすてき」と拍手を浴びせます。自分にない技術を有する者を、率直に褒めたたえることは、できそうでできない行いです。

 そしてこうした心構えは、たんにめだか姫個人の魅力のなかにだけでなく、本書が提示する物語上の謎、つまり「風見藩上屋敷の六不思議」と「磐台藩と風見藩がかわした密約の内容」のふたつのなかにもしっかりと息づいている。これらの謎は最終的にはすべてが明らかになるのだが、じつは謎そのものはけっしてたいしたものではない。この書評の冒頭でも述べたように、小さきもの、か弱きものが、けっしてその境遇に打ちのめされたりせず、むしろそんな境遇を楽しもうとする心のあり方――それこそが、前作を含めた本シリーズの根底にあるテーマである。だが、本書ではそんなテーマをけっして大上段にかまえたりせず、あくまで当時の講釈師が落語や講談をたれるがごとく、ちょっとした薀蓄を披露しつつひとつの物語としての距離を終始たもとうと努めている点も、本書の大きな特長のひとつだと言っていいだろう。

 もっとも、そんな小難しい理屈を考えずとも、めだか姫の言動のいちいちは可愛らしくてしょうがないし、お仙の健康的に日焼けした肌や、男勝りの言動のなかにも、乙女としての意識が少しずつ芽生えてくる様子もじつに微笑ましい。本書を読み終えたすべての人が、そんなめだか姫の大活躍にメロメロになってしまうこと請け合いの、そんな素晴らしい作品であることを、自信をもって断言しておく。(2005.04.30)

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