【山梨日日新聞社】
『たびんちゅ』

大野俊郎著 
  やまなし文学賞受賞作 



 私が故郷を離れてから、いったいどれくらいの年月が経ったのだろう。まだ、自分の未来に無限の可能性が広がっていると純粋に信じることができたあの頃、私はその可能性に挑戦したくなって、故郷から東京の大学に入学し、気がつくとそのまま東京の会社に就職している自分がいた。もちろん、その選択をしたこと自体に後悔はない。だが、そのときはさほどたいしたものだとは思わなかった何かが、月日の経つにつれてだんだん大きく膨らんできて、何かの拍子に私の心を圧迫することがある。少しずつ、しかし確実に年老いていく両親、そのふたりをいつかは世話することになるであろう、兄とその家族、そして私自身が築いていく歴史の外で、私を置いてきぼりにして流れていく故郷の時間――それは、もしかしたら私は故郷を捨てたのではなく、故郷に見捨てられたのかもしれない、という寂寞とした思いだ。

 本書『たびんちゅ』の伊集院哲郎もまた、故郷の島から離れ、東京で暮らすことを決意した者のひとりだ。彼は内地で知り合った由美子と先日、ささやかな結婚式を挙げたばかりなのだが、その結婚式にやってきた祖母のたっての願いで、新婚旅行と称する故郷への挨拶回りのために帰郷することになる。もちろん、内地の会社に勤めている哲郎が、故郷に腰を落ち着けることはない。だが、父がすでにこの世の人ではなくなり、母が完全に伊集院家と縁の切れた状態にある以上、島に住む祖父母の面倒を見るのは、今すぐというわけではないものの、いずれは哲郎の役目となる。結婚、そして帰郷という言葉のイメージとはうらはらに、哲郎夫婦の前途はけっして明るいものではないようだ。
 さらに言うなら、哲郎の親戚で島を出たものが、ことごとく不幸に遭っている、という事実も、本書全体を覆う、なつかしくありながらもどこか暗澹とした雰囲気の一因かもしれない。哲郎の父や叔父の早すぎる死、そして伯父の息子が犯した銀行強盗――同じように故郷から遠ざかってしまった哲郎の目には、彼等の姿が自分の未来を描いたものとして映っていたとしても不思議ではない。そしてそのたびに哲郎は、けっきょくのところ故郷を引きずって生きていかなければならない自身の運命を思う。

 哲郎は、なぜ故郷を出る決心をしたのか――その問いは、そのまま私自身の、そして読者自身の問いとしてはね返ってくる。多分に封建主義的であり、離島であるがゆえに他所以上に排他的な性質の強い故郷の島に未来を見出せない若者は、現状以上の可能性を求めて外の世界へと飛び立っていく――故郷ではないどこかにきっと自分の居場所があるはずだ、という想いを、その胸に秘めて。だが、実際にはどうなのだろう。いみじくも池上永一の『バガージマヌパナス』の中である登場人物が語っていたように、自分の本当の居場所など、生まれ故郷以外にはありえないのかもしれない。自分という人間を形成していった、言わば自分の原点でもある故郷――その真理から目をそむけているうちは、あるいは人々は真の幸福にはなれないのかもしれない。

 僕は頭の中で旅人と呟き、勝吉夫妻を想った。おそらく僕は、数十年の歳月の後に島を省みるとき、彼らほど強い郷愁は抱かないだろう。だが祖父母が死に、僕を見知っている者がいなくなったとき、僕は旅人のひとりとして島を訪れることができるだろうか。それも出来そうになかった。いつまでも宙に浮いた状態のまま、遠くにあって島に狗泥し続けるのかものかもしれなかった。

 故郷から遠く離れて暮らしていた者にとって、故郷は、置き去りにされた分だけ居心地が悪く、そのくせ妙ななつかしさを覚える複雑な場所である。だが、おそらく哲郎は――そして一読者である私もまた――いずれは故郷へと還っていくだろう。それまでは、あくまで異国の地を長く長く旅しつづける「たびんちゅ」なのだ。(1999.08.05)

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