【構想社】
『闇の力』

佐野良二著 
第27回北海道新聞文学賞受賞作 



 自分だけが貧乏クジを引かされた、という思いは、ときに人を暗い衝動に駆り立てていくことがある。周りの人たちはあんなに楽しそうなのに、どうして自分ばかりがこんなに苦労しなければならないのか――貧困、耐えがたい寒さ、飢餓感やひもじさ、たび重なる身内の不幸、そして何をやってもうまくいかない自分自身へのふがいなさなど、けっして誰が悪いというわけでもないのに、無性に腹が立ち、世の中のありとあらゆるものに対して憎しみを抱いてしまう。自分と自分以外の人間がいて、否応なく自分と他人とが比較される。不条理、というとずいぶん難しい言葉のように思えるかもしれないが、私たちが世の中に対して抱く不条理は、あるいはこうしたところから生まれてくるものなのかもしれない。

 本書『闇の力』は、北海道のある農村から定時制高校に通うことになった邦夫という少年の、入学から卒業までの四年間を描いた物語である。兄が酒の飲みすぎで死に、姉が家を飛び出して、ただひとり農家の家庭にとり残された形となった邦夫は、ますます困窮してくる家計のためにも、普通高校への進学を断念しなければならなかった。
 自分の希望とはまるで正反対の方向へと流れていってしまう邦夫の人生――定時制高校に入れば入ったで、先輩たちのいじめがあり、家の田んぼは冷害や病気の発生で不作続き、大雪に見舞われてもバスに乗る金もなく、あげく、大雪のなかを帰宅しようとした友人が遭難し、けっきょく死んでしまう。こんな調子で、物語は最初から最後までこれでもか、というくらい暗い出来事で満ち溢れているのだ。そして、最初は純朴な少年だった邦夫も、たび重なる不条理な出来事を前にして、少しずつ、心の中にどす黒い感情をため込んでいく。それは冒頭でも説明したような、なぜ自分だけがこんな目に? という、どこにぶつけていいのかもわからない怒りや、不平不満といった、負の感情だ。それは、愛しているにもかかわらずけっして結ばれることのなかった男のことを書いた『飛び出しナイフ』や、敗戦国であるがためにさまざまな不条理を受け入れなければならなかった戦後の日本の様子を書いた『尾なし犬』にしても、同じことが言える。

 スコップで四角く切り出した雪をひっくり返したときの様子や、田植えで黒くなった爪の様子など、細かいところの描写が非常に巧みなのが本書の特長のひとつなのは間違いないが、とくに、光と闇の使い方が秀逸だ。定時制高校から邦夫の家までの道のりには、途中に峠の森があり、そこを越えなければ家に帰ることができないのだが、夜になると峠は街灯ひとつない、真の闇の中に埋もれてしまう。入学した当初、邦夫はひとりで夜の峠を越えることに底知れぬ恐怖をおぼえている。自転車のライトは、行く先のほんのわずか向こう側しか照らし出さない。その先は完全なる暗闇――それは、これから先の人生を思い描くことのできない邦夫の気持を、そして同じく将来に何を期待していいのかわからない、現代に生きる私たちの気持を雄弁に物語っているいるとも言える。その後、裸電球しかなかった教室に蛍光灯が入り、峠の森を覆う夜の闇にも慣れた邦夫だが、自分の人生がまったく見通しのきかないものであるという事実は、やはり変わらない。

 本書のなかで、邦夫が恋心を抱く真野という女性と、カミュの『異邦人』の話をする場面があるが、そこで邦夫はこんなことを思う。

 君は父親を失って働かなくてはならなくなった。ぼくも兄を失い、姉が去って貧困にあえいでいる――これが不条理でなくて何か、世の中は不条理だらけではないか。

 カミュは、人間と世界とのかかわり合いのなかで必ず現われる不条理はけっして克服できないものであるとし、にもかかわらずそれを克服しようと努力している人間を描くことで、人生そのものの不条理を見出そうとしているのだが、著者もまた、同じような思いにとらわれたのかもしれない。そして人生の不条理、世界の不条理は、豊かさを獲得し、飢えや貧困とは無縁となりつつある日本の現代において、小さくなるどころか、ますます増長してきているように思えてならない。

 不条理に対してどう向き合えばいいのか、あるいは逃げればいいのか、投げ出してしまえばいいのか――邦夫はとりあえず、それを他人のせいではなく自分の問題としてとらえようと決意する。その答に対して、不条理ははたしてどんな顔を見せることになるのだろうか。(1999.09.15)

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