【扶桑社】
『東京タワー』
オカンとボクと、時々、オトン

リリー・フランキー著 
第三回本屋大賞受賞作 



 もともと北陸の温泉町で生まれ育った私が、大学進学のために上京してひとり暮らしをはじめてから、もう十年以上にもなる。就職先として地元の会社ではなく、東京の本関係の会社を選んだときから、もう生まれ故郷とのつながりはほとんどなくなってしまったという思いがあるが、ではこの東京の地に――あるいは東京近県をふくめた関東という地に、たしかな自分の居場所があるのかと言われれば、おそらく答えはノーだ。

 あるいは、私が結婚して自分の家庭をもつようになれば、答えは変わってくるのだろうか。通う先が大学から会社に変わり、そのぶん責任の重さも生活習慣も変わらざるを得なくなったのはたしかたが、基本的にひとり暮らしである、という状態は何も変わっていない。そのせいなのかどうかはわからないが、自分が今住んでいるアパートも、そのアパートのある町も、たしかな自分の居場所である、という認識は、未だに定着していない。むしろ、いずれどこか別の場所に移ってしまう、その前段階でしかない、仮の住まいであり、仮の生活場所であるという意識のほうが強い、というのが正直なところである。

 東京にやってきて、このままいけば私は、生まれ故郷で過ごしたよりも長い時間を、ここで過ごすことになるだろう。にもかかわらず、どこか精神的に定住することができず、年とともに根無し草であるような漠然とした不安をぬぐえずにいる。かといって、生まれ故郷に強い愛着があるというわけでもなく、今さら帰るべき場所であるとも思えない。だが、もし私と故郷とをつなぐものがあるとすれば、それはおそらく両親がそこにいる、という一点だろう。

 本書『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』という作品を端的に解説するならば、それは「母は偉大なり」というひと言に集約される。たった三年しかつづかなかった親子三人での生活、福岡の小倉や筑豊のさびれた炭坑町にある親戚の家を転々としていた頃、大学生になって、東京でひとり暮らしをはじめた頃、無職で金もなく、最低の生活をつづけていた二十代、そして母を東京に呼び寄せて、ともに暮らすようになった三十代――基本的に書かれているのは著者の自伝的な要素であるのだが、他の自伝と大きく異なる部分があるとすれば、それは本書が著者の自伝である以上に、自分の家族である両親のこと、とくにその人生において長くともに暮らすことになる母親のことを描いた作品だという点である。

 幼児の頃の記憶。多くの人はその頃のことを、ほとんど覚えていないという。しかし、ボクにはいくつかのことがずっと残っている。――(中略)――はっきりとその時の空気の匂い、思っていたこと、小さな風景まで、今でも記憶の中に鮮明に残っている。
 それは、たぶん、ボクは人よりも憶えるべきことが少ないからだと思う。

 たとえば、母がかかさずつけていたぬか漬がどんな味で、どれほど母がそれを大事にしていたか、大学に合格したときに、母親がどんなお祝いの言葉をかけ、どんな料理を出してくれたのか、小学生のときに赤痢と診断され、隔離された病院がどんな様子で、面会に来た父親がどんな煙草をどんなふうに吸っていたのか、近所の駄菓子屋のオバサンがどれほどインチキ臭かったか。じっさいに、本書に書かれている数々のエピソードは、まるでその場面を容易に想像できるくらい詳細に書かれており、その生き生きとした場面の描写に驚かされる。しかも、両親が一緒に暮らしていたのは著者が幼い頃の三年間のみで、それはひとつの家族の形としては破綻したものであるにもかかわらず、けっして殺伐とした感じはなく、むしろその事実をユーモアを織り交ぜた形で書いているところもあって、そういう意味では東野圭吾のエッセイ『あの頃ぼくらはアホでした』を彷彿とさせるものがある。父親が父親としてはどうしようもないろくでなしで、まだ小さかった著者を動物園に連れていくと称して競馬場に行くような男であったりするのだが、そのことが母親にバレる過程などは、まるでコントを見ているかのようなおかしさがあるのだ。

 自分の家族のことを書く、というのは、たとえば小説やノンフィクションなどを書くことと比べれば、じっさいに自身が体験していることであるだけに、簡単に書けそうに思えるのだが、じっさいにその作業を想像してみればすぐにわかることであるが、じつはとても難しい。だいいち、自分が小さかった頃のことなど、ぼんやりとしたイメージはあったとしても、文章化できるほど詳細を憶えているわけではない。仮に文章にしていくことができたとしても、そこに到るまでにはおそらく小説を書く以上の労力が必要となってくるはずであるし、他ならぬ自分や家族のことを見ず知らずの人に読まれてしまうことへの抵抗や、恥ずかしいことはできれば書きたくない、というプライドといったものも作品の完成をさまたげる要素となる。

 そういう意味では、著者自身の弱さや中途半端さもふくめたすべてを書ききった本書の存在は、ひとつの奇跡とも言うべきものである。そして、本書を読み終えた読者は、何より母親への思いこそが著者をして本書を書かせる原動力になったことを実感することになる。

 著者の母親は、特別何か偉大なことをしたわけではない。言ってみれば典型的な母親であったというだけの女性である。そして、ここでいう「典型的な母親」とは、いついかなるときも子どもたちを愛することができる女性、ということである。けっして上辺だけで物事を判断せず、本当に大切なことが何なのか、ということについて、誰よりもよくわかっていた母親――それは、必ずしも美しく清い母親というわけではなく、まさに著者にとって「オカン」という呼び名にふさわしい母親像ではあるが、その「オカン」像が本書のなかで、どれだけ心強く頼もしい存在として描かれていることか。私が個人的にお気に入りなのは、著者が母親を東京に呼び、ふたりで暮らし始めたときのエピソードであるが、人と接することが好きでよく笑う母親は、著者のところに訪れる人たちにはわけ隔てなく手作りの料理をふるまったという。その底抜けにお人好しで、しかし底抜けの包容力をもつ母親像は、東京という殺伐とした都市のなかにあって孤高に立ち続ける東京タワーのように、どれだけ運命に打ちのめされてもけっして変わることなく立ち続ける揺るぎないものとして、著者の目には映っていたに違いない。

 かつて私にも夢があった。今ではなぜそんな夢を悠長にみつづけることができたのか、それさえも思い出せなくなっているが、すべてが夢の後のようになった東京で、いったい何を頑張ればいいのかわからないまま、ぐるぐると回り続けるような人生をおくってきた著者は、きっと自分がどこを中心にして回り続けていたのかを、はじめて実感することになった。そしてその実感は、おそらくどれだけ深い真実や、人間としてのぬくもりなど欠片も感じられないような真理などよりは、よっぽと人間臭く、あたたかいものとして著者の心にあるに違いない。もしかしたら、本書のなかにあるものは、今を生きる私たちがもっとも必要としているものであるのかもしれない。(2006.05.28)

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