【リトル・モア】
『間取りの手帖』

佐藤和歌子著 



 学生のときに住んでいた賃貸は、普通の家の部屋を間貸ししているような、半アパート半下宿みたいなところだった。四畳半の和室で、申し訳程度のキッチンと押し入れがあるだけの部屋である。トイレは共同、風呂はなく、私は近くの銭湯を利用し、ついでに洗い物もそこのコインランドリーを使っていた。今にして思うと、大学から歩いて数分という立地条件のよさはあったものの、なんでこんな部屋に住んでいたんだろうと思うのだが、二階の角部屋で、二面に窓があってやたら明るかったのを覚えている。

 会社への就職が決まって引っ越した先の部屋は、洋六帖のワンルームで、ごく普通のユニットバスもキッチンも、そしてエアコンまで装備されており、ほとんどの生活がその部屋の中で完結できるという便利さに、当時は小躍りしたものだった。そして今もその部屋に住んでいるのだが、ひとつだけ気がかりなのが、ロフトの存在である。
 その部屋にはロフトがある。クローゼットの上にある空間なのだが、その面積は畳半枚ぶんよりも小さく、しかもそのロフトと天井までの距離が30センチ程度しかない。はっきり言って、ロフトという名前のデッドスペースである。だいいち上にあがるはしごすらない。にもかかわらず、そのロフトの上の天井には、わざわざ専用の照明が取り付けられている。いったい、このアパートの設計者は、この空間をどのように使うことを住居者に期待していたのだろうか、と今でもときどき考えることがある。今の私にできるのは、せいぜい物置替わりの場所として使うことだけである。

 本書『間取りの手帖』は、自称「マドリスト」である著者が集めに集めた間取り99点を紹介している本である。「暮らしの手帖」を意識した装幀で、巻末にはわざわざ「memo」まで加え、一見するとちょっとした賃貸情報誌のようであるが、そこに掲載されている物件は、私の今住んでいる変なロフトなど足元にも及ばないような、奇妙奇天烈なものばかりなのだ。玄関がふたつあるのに、奥に行くと部屋がひとつにつながっている間取り、100帖ものバルコニーがついている間取り、窓のない間取り、天井裏の部屋のほうが広い間取り、全体の形が丸やら三角やら、トイレやシャワーが部屋の外にあったり――冗談ではなく、いったい誰が住んでいるのかと疑いたくなるような間取りに埋め尽くされた本書は、まさに見ているだけで圧巻である。

 浅暮三文の『石の中の蜘蛛』では、マンションの住居人によってつけられた、ほんのわずかなクセや歪みをその異常聴覚によって判別し、失踪人の特長を特定してのける人物が登場するが、本書に登場するさまざまな、いわゆる普通とは異なる、ある種いびつな歪みを内包する間取りたちは、その歪みゆえに、普通でない物語を読者に想像させる。じっさい、本書にはある間取りを舞台にした掌編ともいうべきコラムがいくつか載せられているが、たしかに本書の間取りを眺めながら、自分だったらどんなふうに暮らしてみるかとか、どんな事情をかかえる人が住むのにふさわしいかとか、いろいろ想像をめぐらせるのはなんとも楽しい気分である。そしてそれは、たとえばお昼のワイドショーなどで、芸能人の朝帰りスクープや、一家惨殺事件といった刺激的なニュースを見て、自分勝手な意見や推測をめぐらせることの楽しみに似ている。

 そう、間取りというのは、基本的に空から俯瞰した眺めを図に表わしたものであり、私たちのいつもの視点からはけっして見ることのできないものである。これは経験のある方ならおわかりかと思うのだが、紙面上の間取りと、じっさいに赴いた賃貸の概観とは、えてしてそのイメージがずいぶんと異なるものである。そして本書の間取りには、たとえば「駅から徒歩5分」とか「南窓日当たり良好」とかいった情報はいっさいなく、ただ賃貸料と、著者のごく短いコメントが添えられているだけである。私たちの現実の視点では、けっして見ることのできない、部屋の間取りのすべてがさらされた俯瞰図――そこにはおのずと、ふだん見えないものを覗き見る、という行為がともなってくるものなのだ。そして、だからこそ本書の間取りは、読者の興味を惹きつけてやまない。ふつうでない間取りには、刺激的なニュースと同様の、ちょっとした不謹慎な魅力があることを、本書は雄弁に物語っているのだ。

 じつをいえば、間取り図というものは、私たち読書家――それも、とくにミステリーを好んで読む読書家には、けっして無縁のものではない。綾辻行人の「館」シリーズなどには、必ず間取り図が登場する。そして、その間取り図の書かれた屋敷では、常に不可解な殺人事件がおこると相場は決まっている。たしかに、どこかの賃貸情報誌に載っているような、ごく普通の間取りがミステリー小説のなかに載っていてもたいして面白くもないし、どうしてもそこに異常な殺人事件がおこると想像するのは難しい。そういう意味では、たしかに本書の「談話室」に登場する岸田繁(くるりヴォーカル)の言うとおり、「生理学的におかしい間取り」というものがあって、そんな間取りで暮らしていると、どこか精神も正常を保てなくなってくるような気がしないでもない。

 私が今住んでいる部屋の間取りの変さなど、たかが知れているものだが、本書に出てくる数々のへんてこな間取りは、できればそのへんてこさにふさわしい物語を用意したくなってくるような、そんな雰囲気をかもし出している。そして私は、べつに小説という形でなくとも、物語というのはどこにでも転がっているものなのだということを、本書からあらためて学ぶことができたのである。(2005.02.25)

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