【東京創元社】
『思考機械の事件簿1』

ジャック・フットレル著/宇野利泰訳 



 私が《思考機械》という名前と出会ったのは、ネット上に開かれたある掲示板の話題の中でのことだった。そこでは、古今東西のミステリ小説のなかに登場する探偵のうち、誰が最強なのかを考えるという趣旨のもと、いろいろな人がいろいろな探偵の名前を挙げては、その推理能力においてランクづけを行なっていたのだが、そのなかでも一際異彩をはなち、かつその能力においても、あきらかに他の探偵とは別格の扱いを受けていたのが、他ならぬ《思考機械》だったのだ。

 探偵というのは、普通の人であれば到底解くことのできない不可解極まる謎に対して、きちんとした道筋をつけて明快な解答を示し、事件の真犯人を言い当てるという役割を負う人物である。私たちがとらわれてしまいがちな常識や習慣といったものにけっして縛られることなく、常人にはおよびもつかない思考回路を有し、まったくの意想外な視点からこれまでにないものの見方を試みる探偵は、それゆえに一般の人たちからすれば多少奇抜な性格設定がなされる場合が多い。たとえば、島田荘司の『占星術殺人事件』に登場する御手洗潔や、森博嗣の『すべてがFになる』に登場する犀川創平&西之園萌絵のコンビ、あるいは清涼院流水の『コズミック』に登場するJDC(日本探偵倶楽部)の面々など、いずれもその推理能力はもとより、その言動においても異彩を放つシーンがあり、それが探偵たちの魅力のひとつにもなっているのだが、そうした探偵たちや、金田一耕介やシャーロック・ホームズといった誰でも名前を知っている有名どころと比較されても、なおその上に君臨するレベルの能力をもつとミステリ好きな読者に判断される《思考機械》という探偵に、興味をおぼえるなと言うほうが無理な話である。

 そのような経緯で、今回紹介する本書『思考機械の事件簿1』のご登場となる。《思考機械》というのは言わばあだ名に相当するものであり、本名はオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーセン、哲学博士、法学博士、王立学会会員、医学博士等さまざまな肩書きをもつアメリカの科学者であり、論理学者でもある。彼が《思考機械》と呼ばれるゆえんは、当時チェスの世界選手権保持者であるロシア人をチェスで打ち破ったときに、そのあまりの才知に対戦相手から「あんたは人間じゃない。頭脳そのものだ。いや、機械といったほうが的確だろう――まさに思考機械だ!」と言われたことから起因している。たった一日、チェスのプロから手ほどきしてもらっただけの知識で、あっさり世界一のチェスプレイヤーに勝ってしまうというエピソードひとつとってみても、その卓越した思考回路の一端がうかがえるだろう。

「どうして結論に達したかってことがかね? ロジックだよ――既知の事実からの簡単な演繹にすぎんのさ。二プラス二イコール四、といったような、きわめて簡単なことなのさ――時によっては、というのではなく、いつもそうなのだ」

 本書には《思考機械》の《思考機械》たるエピソードを書いた「《思考機械》調査に乗り出す」をはじめとした十一の短編が収められているが、そのいずれの作品においても、いっけんすると不可能犯罪のように思える犯罪や、オカルトめいた怪事件に対して、そのあらましを聞いただけで《思考機械》は事件のほぼ全容を見抜いてしまう。そういう意味で、彼は安楽椅子探偵に属する探偵であり、彼の代わりに事件に関する情報を収集する役割を負う、いわゆるワトスン役として新聞記者のハッチンソン・ハッチがすべての短編に登場することになるのだが、この一流の新聞記者の役割が、《思考機械》の展開する推理に非常に重要な意味合いをもつのは言うまでもない。なぜなら、《思考機械》の推理はハッチがもたらした情報の検証し、ありえそうもないものをひとつひとつ除外していった後に残る可能性を唯一の真実として仮定する、というある意味単純なものであり、それが正しく行なわれるためには、彼のもとに集められる情報がすべて正しく、落ち度がいっさいないものであることが必須条件であるからだ。

 それゆえに、《思考機械》は事件の概要を訊いたさいに、もし複数の可能性が並立する状態にあるときは、ハッチにさらなる情報収集をするように依頼する。それも、いっけんすると事件とは直接関係なさそうな事柄の調査が混じっていることもあり、ときに彼自身がより突っ込んだ質問をしかけることで、できるだけ多くの、そして詳細な情報を集めようとする。およそ考えられるあらゆる可能性を考慮する、という《思考機械》の姿勢は、彼がことさら「不可能」という言葉を嫌っていることからも明らかであるが、そうした膨大な情報から、自身のもつあらゆる知識をかけあわせてしかるべきロジックを導いていく様子は、たしかに機械という言葉を使うにふさわしいものがあると言える。さきほど、《思考機械》の推理自体は単純なものだと私は述べたが、それは彼の並外れた思考回路と情報処理能力があってこそのものなのだ。

 そして何より恐るべきなのは、《思考機械》にとってこうした謎を解くことは、けっしてメインの仕事ではない、という姿勢を崩さない点である。論理というものを最上に置く《思考機械》にとって、ハッチがもたらす謎はたんなる頭の体操程度のものでしかなく、謎を解くというのは、彼にとって純粋にその論理を構築する楽しみのひとつでしかないのだ。それゆえに、本書の作品のなかで、一度謎にかかわってしまうと、そこから先はその謎を解くという行為以外の言動はほとんどなくなり、そのまま一気に真相に向けて駆け抜けていってしまう。他の探偵とくらべてその人間味という点において、《思考機械》は淡白な部分があるのはたしかであるが、それもまた《思考機械》の《思考機械》たるゆえんでもあろう。

 どんなに深い混沌であっても、数学的正確さをもって冷徹な論理の光をあてることで、そこに理路整然とした秩序を立ち上げる《思考機械》――いくつもの博士号をもつ当代きっての知的魔術師が、有無を言わさぬ論理によって次々と謎を解いていくその手際を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2007.02.02)

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