【新潮社】
『フェルマーの最終定理』

サイモン・シン著/青木薫訳 



 人類の飽くなき挑戦の意思というものは、それだけで大きなドラマを内包するものでもある。その原理がまだよくわかっていない仕組みや、長いあいだ謎とされてきたものに対して、納得のいく説明や理由を求めてやまない人たち、あるいは不可能だと思われてきた事柄に対して、あえて挑戦したいと望む人たち――そうしたある種の向こう見ずな人たちの試行錯誤によって、人類の文明が発展してきたと言っても過言ではないことは、たとえば『自分の体で実験したい』といった本からもわかることであるが、今回紹介する本書『フェルマーの最終定理』のメインとなるひとつの予想は、いっけんするとなんてことなさそうなもののように思えるし、仮にその予想が正しく証明されたとして、それがどのような分野に応用されるのか、皆目見当もつかないような代物である。

n≧3のとき、
Xn+Yn=Zn
を満たす、自然数X、Y、Zは存在しない

 17世紀のフランス人ピエール・ド・フェルマーは、役人として身を立てるかたわら、数学の新しい定理を創り出していくことに情熱を注いだ、あくまでアマチュアの数学者とされているが、確率論や微積分学の創設に深くかかわったという意味では、数学史において間違いなく重要人物のひとりとして数えられるべき人物である。そんな彼の死後、その息子によって出版された書物に記された四十八の所見のなかのひとつが、後に「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになる上述の予想であるが、問題なのは、彼自身は証明できると断言していながら、その方法がほとんど何も記されていない、という点だった。

 生前から、著名な数学者に対して証明のない予想を送りつけては、証明してみろと挑発してからかうのが好きだったフェルマーだったが、この「フェルマーの最終定理」に関しては、じつに350年以上のあいだ、誰ひとりとしてその証明を成し遂げることができなかったという難問中の難問である。本書はその難問のもととなったピュタゴラスの定理、および古代ギリシャの哲学者にして数学者ピュタゴラスのことから、「フェルマーの最終定理」に対して、最終的に真であると証明することに成功したアンドリュー・ワイルズがどのようにしてその証明にいたったかを書きつづった作品であるが、本書の魅力は「フェルマーの最終定理」そのものの数学界における価値の変遷もさることながら、その謎にかかわった人たちによって織り成される、さまざまな人間ドラマにこそあると言うことができる。

 350年という時間は、人間にとってけっして短い時間ではない。その期間に人類が成し遂げた事柄、科学技術の格段の進歩を考えたとき、小学生にも理解できる数学の予想がどうしても証明できない――難攻不落の砦のごとく、数多くの数学者を屈服させてきたという事実は、それだけでも驚愕すべきことであるが、数学においてある要素が真であることを証明するということの意味もふくめ、本書は初心者にもわかるよう、筋道を立て、段階を踏むようにして説明している。そもそも「フェルマーの最終定理」とは何なのか、それが数学という分野において、どのような意味をもつものなのか――数こそが世界を定義する基準だとする紀元前のピュタゴラス教団からはじまり、「フェルマーの最終定理」の成立、答えは必ずあるはずだという数学者の誇りをかけた挑戦と挫折の歴史、そんななか、虚数などのあらたな数学の概念が生み出され、少しずつその牙城の一角が攻略されていくものの、無限大という大きな壁の存在や、そもそも数学では証明できない問題が存在することを証明したゲーデルの論文などが、最終定理の証明から数学者を遠ざけていく。

「フェルマーの最終定理」そのものは、アンドリュー・ワイルズが証明したというのが事実としてあるが、本書がたんにワイルズの伝記にとどまらず、またそのタイトルに「フェルマーの最終定理」という名前を冠したのは、彼の業績を正しく説明するためには、けっきょくのところ、それまで数学という学問が歩んできた歴史に触れずにはいられないからであり、そういう意味で「フェルマーの最終定理」は、数学史とも深く結びついていると言うことができる。じっさい、本書は「フェルマーの最終定理」のことばかりでなく、チューリングの暗号解読やコンピューターの導入によるある種の「力わざ」をはじめとして、数学が世界に及ぼした功績についても触れているのだが、そんななか、十歳のときに「フェルマーの最終定理」に触れ、それ以来その難問を解くという情熱をもちつづけたワイルズの時代になって、数学の分野はある意味で劇的な展開を迎えることになる。それは、数学のさまざまな分野において、その橋渡しをするような統一を図るというものであり、ワイルズの証明もまた、もともとはまったく別の数学の分野の予測から出発したものである。

 本書を読み進めて感じるのは、まさに時代が「フェルマーの最終定理」を解くべく、ワイルズを突き動かし、また力を貸したのではないか、と思えるほどのそのドラマチックな展開である。谷川=志村予測、岩澤理論、コリヴァギン=フラッハ法など、ワイルズはその時代の最先端と言うべきさまざまな方式をフル活用することで、ようやく証明を完成させたのである。しかも、一時はその査定において致命的な不備が確認されたものの、一年の試行錯誤ののちに、思わぬところからその不備を補完できる定理を発見、無事証明を完成させることができたという、まさに天国と地獄を経たうえでの証明の完成は、何か運命的なものさえ感じさせる。

 17世紀に提示されたひとつの予想は、数多くの天才たちの挑戦を退けてきたあげく、20世紀末に解決された。それは、ひとりの男の子どもの頃からの夢の実現というだけではなく、数学界にとって新たな領域への第一歩を踏み出す行為であり、また人間の不屈の闘志の力をまざまざと見せつけられる出来事でもある。数学に興味のある人はもちろん、そうでない人も、このひとつの定理をめぐって繰り広げられる壮大な物語を、ぜひとも味わってもらいたい。(2009.09.06)

ホームへ