【早川書房】
『ターミナル・エクスペリメント』

ロバート・J・ソウヤー著/内田昌之訳 

背景色設定:

 以前読んだ白石一文の『僕のなかの壊れていない部分』のなかで、ある登場人物が、人間が日々おこなっている食べること、眠ること、セックスすることについて「よく飽きもせずに一生つづけられるものだ」と語るシーンがあるが、たしかにこれらの欲求は、私たちの意思とは無関係に肉体が要求してくるものであり、たとえば食事も喉を通らないほど悲しみの感情に支配されていたとしても、肉体のほうは律儀に空腹を主張したりするような事態にしばしば遭遇することになる。私たち人間の、けっして長いとは言えない人生のなかで、こうした肉体がもたらす欲求について疎ましいと思うのか、あるいはそこにまぎれもない生の実感を得ることになるのかは、おそらく人それぞれであり、またそのときの状況によっても異なってくるのだろうが、ひとつたしかなことがあるとすれば、それは今自分が認識している自分自身の存在が、多かれ少なかれ身にまとった肉体の影響によって左右されている、という点である。

 科学の発達にともなって、私たち人間自身の仕組みについてもいろいろなことがわかりつつある。怪我をして痛みを覚えるのも、大気の流れや太陽の光のあたたかさを感じるのも、それを感受する肉体があればこそのものであり、怒りや悲しみの感情や過去の記憶、何かを思考するプロセスといったものも、けっきょくは脳が分泌する特殊な物質のもたらす作用であり、脳を構成するニューロンの発火作用の結果であるとするなら、私たちがまぎれもない自分と感じるものもまた、肉体がもたらす生化学反応にすぎず、精神や魂、ましてや死後の世界などというものは存在しない、という唯物論が今日の優勢を占めるのは、理屈としては筋のとおったものだと言える。だがその一方で、そのような理屈とは無関係のところで、人類が古くから培ってきた死生観や宗教の概念が、個人にあたえる影響もけっして小さなものではない。人が死んだらどうなるのか、なぜこの世に生を受けることになったのか、といった問題は、どれだけ科学が発達しても明確な答えを提示できないものであるがゆえに、逆にどのような可能性もありうる。そしてわからない、という事実は良くも悪くも人間の想像力を刺激する。

 人は何のために生まれてくるのか、人は所詮、遺伝子の乗り物にすぎない存在なのか、そしてその乗り物である肉体を失って、なお何かが存続しつづけるのであれば、それはいったいどのような存在なのか――本書『ターミナル・エクスペリメント』は、近未来を舞台としたSFであるが、そこであつかわれているテーマは臨死体験や死後の世界、魂の存在、擬似生命など、誰もが心のどこかで疑問に思っていたことばかりであり、ある意味読者の心をくすぐる要素に満ちていると言ってもいい。

 カナダの医学博士であり、現在は生物医学用機器をあつかう会社の経営者でもあるピーター・ホブスンは、コンピュータサイエンスに詳しいサカール・ムハメドの協力のもと、脳全体のすべてのニューロンの電気的活動を測定することができるスーパー脳波計の開発に成功した。それは、これまで曖昧なままにされてきた「人間の死」の定義を厳密に判断したいというピーターの熱意のなせる業でもあったのだが、その装置をもちいて死の間際にいるある老女の脳波を測定したところ、死によってすべての脳のニューロンの活動が停止した後、ごく小さな電気的フィールドが彼女の体外へ抜けていくことがわかった。「魂波(ソウルウェーブ)」と名づけられたこの特殊なフィールドは、人間の「魂」の存在を証明すると同時に、死後の世界というもの――それがどのようなものなのかはわからないものの――が実在することをも証明することになった。それは、全世界のこれまでの価値観を大きく揺るがすことになる世紀の大発見であり、ピーターは一躍、時の人となった。

 一時期、「人が死ぬと21グラムだけ軽くなる」ということで、魂の重さは21グラムだとする説がまことしやかに囁かれていたことがあるが、本書の場合、唯物論的にはきわめて胡散臭いものである魂の実在にたしかにリアリティーをもたせるために、たんにSF的な機器を用意するだけでなく、ピーターの過去にまで遡って、彼が死の瞬間を見極めようと決意するそもそもの原因についても、きちんと読者に提示していく。それゆえに、本書全体の印象としては、本題であるいくつかの大きなテーマをあつかった作品というよりも、むしろピーターというひとりの人間の身に起こった出来事をつづっていく物語であるかのように思えることさえあるのだが、それにはきちんとした理由が存在する。

 じつは本書における物語の流れは、ある人物がピーターの過去を追いかけていくという構成となっている。つまり、主体となる人物がピーターのほかにいるわけであるが、それが本書プロローグで登場する瀕死の女性、アレクサンドラ・ファイロ刑事である。すでに死にかけているはずの彼女に、いったいどうやってそんな調査が、まるで神の視点から俯瞰するかのようにできるというのか――そのあたりの疑問については、その時点では明確にされないまま、物語は唐突にピーターの過去へと変わっていくのだが、それが後に、ピーターが「魂波」についてさらなる調査をおこなうための、スーパー脳波計をさらに発展させた脳のスキャン装置の開発、さらに、ある人物の精神の正確な複製をコンピュータの内部につくりあげる実験へとつなげていくことで、読者ははじめて、彼女がコンピュータ内に複製された擬似人格であり、それゆえに時空間に関係なく、神のように他人の過去を追うことができるという事実に納得させられることになる。このあたりの、読者を配慮した上での物語の進め方のうまさは脱帽ものだ。

 本物のピーターの精神をそのままコンピュータ内に複製、シミュレートするにあたり、彼は三パターンの人格を設定する。ひとつは、肉体と関係のある要素をすべて削除した、いわば死後の生をシミュレートする人格、ひとつは、肉体の衰えに関係する要素をすべて削除した、不死をシミュレートする人格、そしてもうひとつは何も手を加えない、比較対照としての人格。「魂波」の発見からつながるこの実験によって、人類はさらに死後の生や不死についての研究が進むと期待していたが、物語はその後、ピーターが以前から憎いと思っていた人物が次々と不慮の死をとげるという展開となり、その犯人がコンピュータ内にコピーしたピーターの三人の擬似人格によるものであるとわかるにいたって、はたしてこの三人のうち、誰が殺人犯なのかというミステリーとしての要素を帯びてくることになる。

 SFであり、ミステリーであり、恋愛小説でもあり、さらには人間の本質について問いかける、という深い要素さえ併せ持つ、ある意味欲張りな本書が見事なのは、なによりそうした深いテーマをひとつの物語の流れのなかに、何の違和感もなく取り込んでいくことに成功している点に尽きる。本書のなかで、ピーターは妻であるキャサリンの浮気が発覚し、そのことが原因で長い夫婦生活に亀裂が入るという場面が書かれているが、こうした、いっけんするとメインのテーマとは無関係のように思われる要素が、じつは物語の最後に提示されるあるシミュレーションの結果と呼応しており、その要素がけっして余計なエピソードではないことがあきらかにされるのだが、まさに物語としての真骨頂が、本書にはたくさん詰まっている。はたして「魂派」の発見は、人類にどのような影響をおよぼすことになるのか、そして殺人鬼と化した擬似人格の暴走を、どうやって食い止めるのか――そういう意味では、本書の存在こそが、人類の新しい可能性を模索する、ひとつの偉大なシミュレーションだと言えるのかもしれない。(2006.09.07)

ホームへ