【講談社】
『盤上の敵』

北村薫著 

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「同じ人間なのだから」――私たちはふだん、こんなふうに自分自身を納得させて、相手のことを理解しようと努めているはずである。同じ人間なのだから、相手もきっと自分のことをわかってくれるに違いない、同じ人間を思いやるだけの想像力はきっとあるはずだ、という想いは、しかし現代という時代においてはほとんど通用しなくなってきているように思えてならない。非常に残念なことに、この世には、他人の心を平気で踏みにじり、他人の汚辱にまみれた姿に歓喜し、他人の人生をメチャクチャにしてやることに快感を覚える人間というのが、たしかに存在する。そして「同じ人間」である以上、彼らのもつ黒い悪意は、私たちの心の中にも少なからず存在するのである。その悪意に手を染めるかどうか――そこにあるのは、おそらくほんのちょっとした差だ。そして悪意というものは、えてして水が高いところから低いところへ流れていくように、強いものから弱いものへと向かって流れていくものである。

 かくしてここに、弱い人間が不当に貶められ、虐待される世界が成立する。人間が社会を築くようになってから――いや、おそらくそれ以前から、けっきょくのところずっと変わらず続いてきたこの不条理な法則を思うとき、この世の中で幸せに暮らしていくのが、どんなに困難な作業であるかを考えざるを得ない。本書『盤上の敵』は、すべての人間に平等に与えられるべき幸せを取り戻そうと決意した、ある「白のキング」の物語である。

 物語は東亜テレビの番組の企画・製作を行なう中堅プロダクションで、ディレクターとして働いている末永純一の家に、殺人事件をおこして逃走中の石割強治がたてこもったところから始まる。純一が家に戻ってきたときには、すでに犯人が、妻の友貴子を人質にとって篭城しており、その周りを警察が包囲している、という状態だった。そして、犯人は銃を所持している。
 本来ならば、ここで純一がとれる行動は、警察を信用してすべてをまかせ、場合によっては警察に協力し、犯人逮捕の手助けをすることくらいであろう。だが、一度携帯電話で犯人と話をした純一は、犯人どころか警察やマスコミをも出し抜いて、自分の手ですべてを解決しようと決意し、たったひとりで戦いのための準備を進めていく。純一には、そうしなければならない理由があった。そしてその背景には、友貴子の過去、そして現在にいたるまでまとわりつき、彼女を不幸に陥れ、その人生を壊してしまおうとする、ひとつの黒い悪意があったのだ……。

 本書を読んでいけばすぐにわかることであるが、純一は自分たちと敵との関係を、チェスの駒を使って表現しようとしている。純一が白のキング、友貴子が白のクィーン、そして犯人を黒のキングとして、どのようにして黒のキングを盤上から排除し、白のクィーンを救い出すか――という形で物語は進んでいく。いかにも謎めいた純一の行動が、友貴子の救出にどのように結びついていくのか、そのミステリー仕立ての流れは、さすがは北村薫と思わせる見事な構成なのだが、その純一の戦いを描いた現在と交錯するように、友貴子の過去の回想が差し挟まれていて、友貴子という女性のことが読者にもわかるようになっている。そして、ここであるいは不思議に思うかもしれない。なぜ、友貴子がクィーンという役割を与えられているのか、と。

 チェスのルールを知っている人はわかると思うが、クィーンという駒は、全ての駒の中でも最強の力を誇る駒である。だが、友貴子という人物は、けっしてクィーンのように強いわけではない。むしろ傷つけられてもただ震えていることしかできない、無力な子供のような存在――だからこそ純一は全身全霊ををかけて彼女を助けようとするのだが――として本書では描かれている。そう、友貴子とクィーンとは、あまりに不釣合いなのだ。

 この不釣合いな組み合わせを、なぜ著者はあえて結びつけたのか――それこそが、本書の最大のミステリーであり、著者がもっとも言いたかったことも、その中に含まれているのではないかと私は推測するのである。

 すべての人間に平等に与えられるべき幸せを踏みにじり、本人だけでなく、その周囲の人たちにまで不幸を撒き散らす存在は、ときに法や警察の力さえおよばないほどずる賢く立ちまわるのを得意とする存在でもある。誰ひとりとして助けを期待できない状況に追いつめられた人間の純粋な想いが、それ以外に選択の余地のない、まさに「やるしかなかった」殺人を犯す、というストーリーは、貴志祐介の『青の炎』が有名であるが、『青の炎』が本当の意味でたったひとりの戦いだったのに対して、本書で純一は、その完全犯罪を実現させるための最後の詰めで、妻であり、彼が助け出そうとしている友貴子自身の助けを求めている。そう、チェスにおいてキング自身は周囲1マス動けるだけの存在でしかなく、そのキングを守るのはクィーン以下、多くの味方の駒なのである。それまでの人生でずっと受けるだけの存在でしかなかった友貴子が、はじめて何かを与える役目を担ったとき、彼女ははじめて「白のクィーン」として、それまでの過去を含めたすべてを、そしてその元凶だった「黒のクィーン」を粉砕する力を発揮することになるだろう。だが、その力は、あまりにも哀しい力である。

 《なかったこと》にしてやりたい。
 どうして、いけないのだ。
 友貴子が、例えば、戦場で全てを失い泣き叫ぶ子供達に思えた。
 《なかったこと》にしてやるのだ。だって、それは――《あってはならないこと》じゃないか。

 貴志祐介の『青の炎』にしろ、本書にしろ、ひとつの殺人がこれほどまでに人の心を切なくさせるのは、本来、他人の気持ちを思いやるためにあるはずの人間の心が、むしろ他人の不幸を求めて飢えることもある、という厳然たる事実を、あらためて思い知らされるからに他ならない。今はただ、純一と友貴子が一日も早く、受けてしかるべきの幸せをつかむことを願うだけである。(2000.07.13)

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