【角川書店】
『さみしさの周波数』

乙一著 



 人間は言葉をもちいて意志の疎通をはかる生き物であるが、自分が思っていること、感じていることのすべてが、言葉によって伝えられるわけではない。たとえば、ラブレターを書いたことのある人ならわかると思うが、自分の内にある溢れんばかりの想いを綴ろうとしているとき、どんな表現を使っても自分の真意は伝えられないような気がして、何度も書き直したあげく、けっきょく何も書けなかった、なんていうのはよくあることだ。そんなときほど、言葉がけっして万能なコミュニケーションの道具ではないという事実をもどかしいと感じずにはいられない。

 最近は電子メールやBBSといった新しいコミュニケーションツールの普及によって、ますます言葉で――しかも断片的な言葉ですべてを言い表さなければならなくなっているようだが、そうでなくとも私たちは、ともすると言葉によるコミュニケーションのみにあまりにも頼りすぎているのではないか、と思うときがある。相手と直接会って話をするとき、私たちはたいてい、相手の発した言葉の意味だけでなく、その響きや表情の変化、ちょっとした仕草といった情報から、言外にある相手の心情や内面をおのずと察したりするし、私たちがみる夢は、たんなる意識されなかった記憶のノイズではなく、無意識の部分から発されたメッセージだという考え方もある。そして、そういった言外のメッセージが、ときに言葉以上に相手の真意を伝えることもあるのだ。

 本書『さみしさの周波数』は、おもに若者の青春時代を描いた4つの短編を収めた作品集であるが、その根底に流れているテーマは、「言葉にならない想いをどうやって伝えるか」という一点で共通している。たとえば、「未来予報」では、未来を見ることができるという奇妙な転校生に、「おまえたち二人、どちらかが死ななければ、いつか結婚する」と言われた幼馴染の男女が、そのせいで以後ずっとまともに話ができなくなってしまう、という話だし、「フィルムの中の少女」は、映画研究会のサークルの部室で偶然見つけた8ミリフィルムのなかに、見知らぬ少女の幽霊の姿を見てしまった女の子が、彼女の残した未練を探っていくという話である。「失はれた物語」では、交通事故で右腕部分の触覚以外の全感覚を失ってしまった男が、彼の右腕を鍵盤代わりに曲を演奏する妻の真意を汲み取ろうとする。「手を握る泥棒の物語」では、ある旅館の壁に穴を開けて金を盗もうとした男が、誰もいないと思っていた部屋の中にいた女性の手をつかんでしまったがために、事態が膠着してしまうという、ちょっとしたコメディーだが、その本質はふたりの漫才のような会話ではなく、その最後のシーンにある無言の数瞬にこそあると言える作品である。

 これらの短編集に出てくる登場人物たちは、いずれも自分に自信をなくしていたり、将来に対して暗澹たる思いを抱いていたり、自分がこれから何をすればいいのか、何をすべきなのかがわからず、孤独を噛みしめていたり、無力感にさいなまれていたりする者たちばかりである。こうした、いかにも年頃の若者たちが抱えていそうな悩みや苦しみは、私にも身に覚えのあるものだけに、どこか気恥ずかしい痛々しさ、いかにもな青臭さを感じさせるものであるが、彼らはいずれも、自分以外の誰かが発している「言葉にならない想い」に気づき、それまで自分が陥っていた、自分のことしか見えていない状況から抜け出して、一歩前進するきっかけをつかむことになる。コメディーあり、青春あり、ホラーありの短編集であるが、そういう意味ではさわやかな成長物語だと言うことができる。

 たとえば、自分がとんでもない不幸に見舞われていると思っていても、ふと周囲を見回してみると、自分よりもはるかに大きな不幸と戦っている人がいたりするものだ。そして、そうした事実は頭ではわかっていても、心に余裕がなかったりすると、なかなかそこまで思いがいたらなかったりするものでもある。そんなとき、言葉はいかにも無力だと感じることがある。口先ばかりで実行力のともなわない政治家の言葉が無力であるのと同じように、人の心を動かすには、言葉だけでなくそれ以外の何かが必要なのだ。

 人と人とが出会うとき、たいていはそこに会話が介在する。小説が人間を書くものである以上、人と人との出会いは避けられないイベントであり、そうなれば必然的に会話がかわされることになる。だが、本書の本質は、そうした会話では伝えられない、会話以外のコミュニケーションの部分である。さすがというべきだろうか、著者はそうした「言葉にならない想い」を、じつに絶妙なタイミングで読者に提示する。それまで青臭いことしか考えられなかった登場人物たちの心が、大きく変化する瞬間――その瞬間と、その後の余韻にこそ、本書のすべてがあると言えよう。

 ネットの世界では文字だけがすべてであり、自分から言葉を発しないと、たとえサイトに来てくれていても、こちらからはわかりようもない。「言葉にならない想い」は、まさにネットの世界では存在しない概念なのだ。私たち人間は、言葉でコミュニケーションをはかる生き物であるが、けっしてそれがすべてではない――そんな想いが、本書のなかにはたしかにある。(2003.01.08)

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